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いつか家族になるものがたり

作者: 155
掲載日:2026/04/06

 母が再婚した。

 相手は、名の知れたどこかの企業に勤める年上の男だという。


 母はまだ三十代半ばだし、父と離婚してからもう五年になる。だから再婚自体は、別におかしな話じゃない。ただ、問題は俺がその話を聞かされたのが、籍を入れる前日だったことだ。


「いい、あんた。アタシの邪魔だけはするんじゃないわよ」


 夜の店でホステスをしている母は、化粧を落とす前の顔でそう言った。

 高校一年生の俺とは生活時間が真逆で、もともとまともに会話することも少ない。だから母が何を考えているのかなんて、今さら知りたいとも思わない。


「邪魔なんてするわけないだろ。今までだって、母さんは好きにやってきたじゃないか。再婚したって、そこは変わらないよ」

「ふんっ……口だけは達者ね」


 母は昔から俺に関心が薄かった。

 薄い、なんて言葉で済ませていいのかわからない。世間ではたぶん、ああいうのをネグレクトって呼ぶんだと思う。


 飯がない。洗濯されていない。熱を出しても放っておかれる。それでも死ななかったから、母の中では問題なしなのだろう。

 だから今回の再婚も、相談なんてものはなかった。あるのはいつだって一方的な通達だけだ。

 邪魔をするなと言われても、何をすれば邪魔になるのかさえ俺にはわからない。ただ黙って従っていればいい。どうせそういうことなのだ。


 翌日、母は他人みたいな笑顔で俺をその男に引き合わせた。


「今日から君の義父になる、箕形正義(みかたまさよし)だ。玲子(れいこ)ちゃんの息子だからといって、和陽(かずはる)くんを特別扱いするつもりはない。そこのところは()()()()()

「……はい」


 初対面の高校生に向かって、それを最初に言うのか。

 この男まともじゃない。そう思った。

 義父になる人は如何にも金を持っていそうな男だった。同時にそれが母が一番に惹かれたところであろうことも理解する。

 類は友を呼ぶ。母みたいな人間が選ぶ相手なら、まあそんなものかもしれない。


「ああ、それから正義さんにも子どもがいるの。こっちが長男の正行(まさゆき)くん、そっちが長女の瑠衣(るい)ちゃん。ちゃんと敬うのよ」

「わかってるよ。井戸田(いとだ)和陽です。よろしくお願いします」


 義父とは養子縁組をしなかったので、俺だけ苗字が違う。

 だけどそれで良かった。一度話しただけでも十分だ。こんな男の養子になるなんて、冗談じゃない。


「正行だ。おまえのことは義弟とも思わないし関わりたくもない。今後は用もないのに話しかけたりするなよ」

 二十三歳の社会人だという義兄は、父親をそのまま若くしたみたいな目つきで俺を見下ろした。実家暮らしのくせに偉そうな口だけは一人前だ。


「はじめまして。箕形瑠衣です。十九歳で大学生。急に環境が変わって大変だと思うけど、何かあったら相談してね。よろしく、和陽くん」

「……はい。よろしくお願いします」


 義姉の瑠衣さんだけは違った。

 声も、目も、向けてくる気遣いも、この家の人間のものとは思えなかった。父親にも兄にも似ていない。やわらかくて、優しそうで、笑うと少し幼く見える人だった。




 母の再婚で変わったことは多くない。

 ただ、住まいがボロいアパートから一軒家に変わり、その代わりに俺の部屋が、もともとは納戸であろう窓のない三畳ほどの空間に変わっただけだ。家は広いのに、俺の居場所だけは前より狭くなった。


 母のネグレクトは相変わらずだったし、そこへ義父の露骨な冷遇が加わった。義兄は顔を合わせれば嫌味を言ってくるが話しかけるなと自分で言ったくせに意味がわからない。

 変わったことがあるとすれば、瑠衣さんとだけは少し言葉を交わすようになったことくらいだ。

 それでも俺は、どうせ高校を卒業するまでの辛抱だと自分に言い聞かせていた。

 三年耐えれば自由になれる。それだけを支えにしていた。



「今度の夏、新婚旅行も兼ねて家族で旅行に行かないか?」

 その話が出たのは、俺のいない夕食時だったらしい。

 そのころ俺はコンビニでアルバイトに励んでいたので、その話に加わってはいないし、あとから母に聞かされることもなかった。俺が家族旅行に同行するなんて、誰一人考えていなかったのだろう。

 海外は時期的に無理だったようで、北海道四泊五日になったらしい。

 後日、これ見よがしに、ダイニングテーブルに行程表が置いてあった。ほんと、つまらない嫌がらせだ。笑える。

 過去にも母が一人でどこかへ出かけて、数日帰ってこないなんてことはザラだった。今さら驚きもしないし、自分だけ除け者にされたといっていじけることもない。勝手に行って、勝手に楽しんでくればいいとさえ思った。




 夏休みのあいだ、俺は朝から夕方までバイト漬けだった。

 だから、両親たちが旅行に出かけていった姿は見ていない。どうせ鉢合わせたところで、侮られ、いないものとして扱われるだけだ。顔を合わせる必要なんてなかった。



「……今日は多かったな」


 毎日のことだが、俺の食事なんて用意されているわけがない。だからコンビニの店長が、こっそりと売れ残りの弁当や惣菜を融通してくれていた。店長は俺の家庭事情を知ってくれていて、情をかけてもらっている状態だ。

 もちろん、もらえるのは人気のない弁当ばかりだ。だけど疲れた身体で帰宅してから料理なんてしたくないし、どうせ家にろくな食材はない。腹を減らしたままでいるよりいいと思うしかなかった。


「あれ……」


 玄関の鍵を開けたところで、家の奥に灯りが見えた。誰もいないはずの家だ。

 一瞬、泥棒かと思って背中が冷える。


 恐る恐る扉を開けると、

「あ、和陽くん。おかえりなさい」


 リビングからひょいと顔を出したのは、瑠衣さんだった。


「え……どうしてここにいるんですか? 旅行は」

「断ったよ。あんな人たちと四泊五日も一緒なんて、拷問じゃない」


 さらっと言って、瑠衣さんは肩をすくめた。


「それに、和陽くん一人で留守番なんでしょ? だったらわたし、こっちに残るほうがいいと思って」

「でも、それ、まずくないですか。俺なんかに構ってたら、家の中で面倒なことになるんじゃ……」

「気にしない。そもそもお父さんともお兄ちゃんとも、これから先ずっと仲良くやっていこうなんて思ってないし」


 あっさり言い切ったあとで、瑠衣さんは少しだけ目を伏せた。


「あのね、うちのお母さん――あ、玲子さんのことじゃなくて、実のお母さんね。その人がお父さんと離婚した原因は、お父さんのモラハラなの。他にも浮気とかいろいろあったけど、一番ひどかったのはそれ」


 その言葉でもやもやが腑に落ちる。義父がまとっている理不尽な圧力。義兄の、他人を下に見て当然みたいな態度。

 あれは突然そうなったんじゃなくて、ずっと積み重なってきたものなのだ。


「お兄ちゃんもお母さんにひどいこと言ってた。わたし、何度もやめなよって言ったんだけどね……全然聞かなかった」


 瑠衣さんは実母とこっそり連絡を取り合っているらしい。

 けれど兄には知られていない。知られれば父親に告げ口されるに決まっているからだ。


「お母さん、わたしを置いて出ていったこと、すごく後悔してる。でも仕方なかったんだと思う。だから、今から少しずつやり直せばいいって、わたしはそう言ってるの」


 言いながら笑った横顔が、少しだけ寂しそうだった。


「ところで和陽くん、それ今夜のご飯?」

「ああ。バイト先でもらった弁当です」

「え、またそういうの食べるの?」

「仕方ないですよ。今までもずっとそうでしたし」

「だめ。ちょっと待ってて。今からわたしが作る」


 言うが早いか、瑠衣さんはキッチンへ走っていった。あまりに素早くて、止める暇もなかった。


 十分ほどして食卓に置かれたのは、チャーハンともピラフとも、はたまたオムライスとも言えない不思議な料理だった。


「ごめん。わたし、料理はあまり得意じゃなくて……。一応これ、オムライスのつもりで作ったんだけど、なんかご飯の味が、わたしの記憶にあるオムライスと違うんだよね。へへへ……」

「……ありがとう」

「美味しくなかったら無理しなくていいからね?」

「いや。ほんとに嬉しいんです」


 最後に誰かの手料理を食べたのは、十年くらい前だった。母じゃない。父だ。

 家族がまだ壊れていなくて、父も母もちゃんと同じ食卓についていた頃、父が作ってくれたチャーハン。その記憶が最後だ。もとより料理などほとんどしない母の手料理の味なんて一つも覚えていない。


 一口食べる。

 味は正直、かなり危うかった。薄いところと濃いところがあって、正直、美味しいとはいいづらい。

 でも、胸の奥が熱くなる。こんなふうに、俺のためにキッチンに立ってくれた人は、もうずっといなかった。


「……美味しいです」

「ほんと?」

「はい。すごく」


 嘘ではなかった。料理の完成度じゃない。その皿に込められているものが、たぶん俺には何よりも嬉しかったんだ。

 瑠衣さんはほっとしたみたいに笑った。その笑顔を見た瞬間、はっきりわかった。

 俺はこの人に、救われている。

 初めて会ったときに感じた淡い好意が、ただの憧れや感謝だけじゃない何かに変わり始めている――そんな気がした。


 四日後、旅行から帰ってきた義父たちは、瑠衣さんには菓子だか雑貨だかの土産を渡していた。

 俺に寄越したのは、無料で配布されているような広告入りのステッカーだった。どうみても要らないし、ただのゴミでしか無い。





 そんな生活を数年続け、俺は高校を卒業した。

 人手不足も追い風になったのか、情報処理を主に学ぶ高校に通っていたこともあって、大手企業に即戦力として就職することができた。

 義父や義兄よりも規模の大きい企業だと知ると、二人ともあからさまに機嫌を悪くした。けれど皮肉なことに、そのおかげで家を出る許可だけはすんなり下りた。

 つまりは早く俺を追い出したかったのだろう。こちらにとっても好都合だった。


 ただ、瑠衣さんのことだけが気がかりだった。

 高校生活を送る中で、義姉の瑠衣さんとはずっといい関係を築いてこられた。もはや彼女は俺にとって特別になっている。故に「はい、さようなら」で遠くへ離れてしまう決断は取れなかった。

 だから、実家から離れすぎない場所に部屋を借りた。最寄り駅から数駅。バイクならすぐ行ける距離。


「もし瑠衣さんにも何かあったら、連絡してください。俺が迎えに行きます」

「ありがとう。大丈夫だよ。わたしも来年には就職だし、いざとなったら自分で家を出るから」


 そう笑う瑠衣さんは頼もしかったが、あの家の異常さを知っている俺は、どうしても安心しきれなかった。



 就職してから、俺は仕事に打ち込んだ。

 瑠衣さんに胸を張って会える男になりたかったし、できるなら、いつか彼女を助けられる立場になりたかった。


 数年後には同期の中でも出世頭と呼ばれるくらいになり、生活もいくぶん楽になった。


「出世したからって高卒じゃ高給取りってわけにはいかないか……」


 収入をもう少し増やしたいと思ったが、いい副業が思いつかない。しかし趣味で作っていたゲームを、思いつきでストアに公開したところ、第一作目から思いのほかヒットしてくれた。



「えっ、これ、そんなに売れてるの!?」


 ある日、部屋に遊びに来ていた瑠衣さんが、俺の画面を覗き込んで目を丸くした。


「趣味で作ったわりには、ちょっといい収益出してますね」


「ちょっとどころじゃないよ。先月なんてわたしの月収、超えてるんだけど」

「継続するのは大変ですけどね」

「でもすごい。和陽くん、ほんとにすごい」


 そう言って笑う瑠衣さんは、昔よりずっと大人っぽくなっていた。

 料理の腕も上がっていて、今では最初に作ってもらった“不思議な料理”が嘘みたいだ。


「どう? 美味しいでしょ。もう変な料理なんて言わせないからね」

「俺、一度もそんなこと言ってませんよ」

「顔に書いてあったもん」


 二人で笑う。

 こんな時間が、このままずっと続けばいいと思った。




 その数か月後。

 ニュースサイトの見出しに、見覚えのある社名が出ていた。

『〇〇ファイナンスの営業課長と、その実子である△△電子の秘書課社員をインサイダー取引の疑いで任意聴取』

 義父と義兄、それぞれの勤め先に違いない。

 しかも肩書まで一致している。まさかとは思うが、任意聴取されているのは、あの二人ではないだろうか。

 嫌な予感しかしなかった。

 確認のためにすぐに瑠衣さんへ電話をかける。


「もしもし、瑠衣さん。今——」

『ギャー!! 何してくれるのよ! 没収って何よ、罰金って! 刑務所に入るかもしれないってどういうことよ!!』


 耳に飛び込んできたのは母の絶叫だった。その時点で、答えはもう出ていた。


『もしもし? ごめん、和陽くん。今、家の中がめちゃくちゃで……』

「瑠衣さんは大丈夫ですか」

『全然よくわかんないんだけど、お父さんとお兄ちゃんだけじゃなくて、お義母さんも関わってたみたいで……』

「ああ……」


 母は金に汚くて、執着心も人一倍強かった。巻き込まれたというより、むしろ率先して乗ったんじゃないかとすら思った。


「今から行きます。瑠衣さん、荷物だけまとめてください」

『え、でも——』

「迎えに行く。待ってて」


 それだけ言って電話を切り、車を出した。


 二十分後、久しぶりの実家に着く。

 玄関の前で待っていた瑠衣さんは、見るからに顔色が悪かった。


「和陽くん……」

「迎えに来ました」


 すぐにでも連れ出したかったが、一応筋だけは通そうと思って家の中に声をかけた。


「こんばんは。お取り込み中みたいですけど」

「和陽! あんた——!」

「てめえ、笑いに来たのか!!」


 母は半狂乱、義兄は逆上、義父は青ざめていた。

 誰も彼も、自分の保身しか頭にない顔だった。


「別に。あんたたちがどうなろうと、俺には関係ない。ただ、そのせいで瑠衣さんに迷惑がかかるなら、迎えに来るしかないでしょう」


「和陽くん……頼む。弁護士費用を、少し貸してくれないか」


 義父が縋るように言った。

 思わず笑いそうになる。


「俺が? どうして?」

「家族だろ……」

 その一言で、本当に笑ってしまった。

 家族。

 その言葉を、よくもまあ口にできたものだ。


「あなたたち一度でも俺を家族として扱ったことがありましたか? 飯も用意しない、部屋は納戸、会えば嫌味。そんなことをしてきた相手に、今さら家族面されても困るんですよ」

「アタシだけは助けてよ! アタシはそそのかされただけなんだから!」

「母さん、もういいって。俺にそういう嘘は通じない。金に関して一番汚かったの、あんただろ」

「な、何言って——」

「もういいって。そのへんは警察が調べるだろうから。俺たちには関係ない」


 はっきり言い切ると、三人の顔が揃って醜く歪んだ。

 でも怖くはなかった。

 もう俺は、この人たちに怯える側じゃない。


「じゃあ、そういうことで。瑠衣さんは連れて行きます。今後、俺にも彼女にも連絡しないように。ちゃんと()()()()()()()ね」


 そのまま瑠衣さんを車に乗せ、まっすぐ自宅へ戻った。

 彼女はシートに身を預けた途端、糸が切れたように眠ってしまった。余程疲れていたのだろう。



 翌朝には家宅捜索が入り、そのまま三人は逮捕。

 それを知っても、何の感慨も湧かなかった。終わったな、と思っただけだ。


「……もう、あの家には帰れない」


 数日後、瑠衣さんがぽつりと言った。


「帰らなくていいですよ」

「でも、わたし、このままいたら和陽くんに迷惑が——」

「迷惑じゃない」


 即答だった。


「俺はずっと、瑠衣さんに助けられてきた。あの家で、あなたがいたから耐えられた。だから今度は俺の番です」


 瑠衣さんが息を呑む。それでもなお、遠慮の色は消えない。


「でも……」

「瑠衣さん。でも、じゃないよ。俺は瑠衣さんを守りたいんだ。ねえ、俺にその役割をやらせてくれないか?」


 彼女の名前を呼ぶ声が、自分でも驚くほど震えている。けれど、もう引き返せないと思った。

 瑠衣さんと出会ってから、もう八年になる。初めて会ったあの日から、俺は彼女を好ましく思っていた。

 優しくしてくれた人。自分を人として扱ってくれた人。優しくされたことへの憧れや感謝に近かったのだと思う。最初はたぶん、それだけだった。

 でもその気持はやがて変わっていく。

 会うたびに嬉しくて、声を聞くだけで落ち着いて、彼女が笑うと救われた。

 気づけばずっと、この人のそばにいたいと思っていた。


「俺、瑠衣さんのことが好きです」


 沈黙が落ちる。


「義姉弟としてじゃない。一人の女性として、好きなんです。ずっと前から。……俺と付き合ってください。できるなら、その先もずっと。俺と、本当の家族になってほしい」


 瑠衣さんの目が、ゆっくり潤んだ。






 実家のあった土地を離れた今、あの三人のその後は知らないし知りたいとも思わない。

 一時期は大企業のスキャンダルということでマスコミが連日報道するくらい大騒ぎしていたようだが、関心がなかったので内容については一切関知していない。


 俺と瑠衣は新しい土地での暮らしを立ち上げ、やがて子宝にも恵まれた。

 ようやく手に入れた穏やかな毎日は、過去のどんな記憶よりもあたたかい。

 だからもう、振り返る必要なんてない。

 俺たちはちゃんと、幸せになれたのだから。


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