28「空が黒くても」
体が、重い。
まるで全身に石を詰め込まれたみたいに、指一本動かすことすらできない。
封印はまだ解けていない。
エルを起点に張られた術式は、私の聖なる力だけを縛り上げ、自由だけを奪っている。
「せーじょさま……」
涙でぐしゃぐしゃになったエルが、私の袖を握っている。
この子は悪くない。何度だって思う。
悪いのは、子供を道具にした大人たちだ。
「おとーさまも、おかーさまも、へんになっちゃった」
「大丈夫よ。必ず元に戻して見せるから」
その手段はまだ思いつけていない。だけど目の前の哀れな子供を慰めたくて、必死に聖女らしいふるまいをした。
そのときだった。
ゴォォォ……と、地の底から唸るような振動が伝わる。
牢の小さな窓から、空が見えた。
黒い。
いや、夜ではない。
天へとまっすぐ伸びる、巨大な黒い柱。
瘴気が渦を巻き、雷のように走り、空を裂いている。
(……魔王の、顕現)
知っている。
あの柱は、かつてヴィンセントが力を解放したときと同じもの。
そして、あの中心にいるのはきっと――
「ヴェルグ……」
胸が、ぎゅっと締めつけられる。
おびただしい量の瘴気から、彼の存在を感じる。
私を失って、あの人は。
優しくて、甘くて、少し拗ねやすいあの人が。
闇を抱えきれずに、魔王の力に目覚めてしまった。
「だめ……」
声が震える。
涙がにじむ。
私のせいだ。
私がいなくなったから。
私が、守れなかったから。
絶望が、心を覆い尽くそうとした、そのとき。
「アルティア!」
地下牢の扉が蹴り破られる。
荒い息を吐きながら立っていたのは、カイルだった。
「……カイル?」
「無事か……っ」
「あっ、私……今こんな姿だけど本当は……」
「もういい。全部わかってるから」
彼は私の姿を見て、歯を食いしばる。
そして、あの黒い柱を見上げた。
「ヴェルグ様が、止まらない」
短い言葉だった。
でも、それで十分だった。
「魔物を率いて王都を蹂躙してる。オルフィー王子が捕まったらしい。もう、誰も止められない」
――誰も。
その言葉が、静かに落ちる。
「……違うわ」
私は、ゆっくりとエルの肩に触れた。
「まだ、いる」
カイルが息を呑む。
「止められるのは、私だけ」
封印はエルを核にしている。
私の力を吸い上げ、固定している。
ならば。
逆にすればいい。
吸われるのではなく――
与える。
「アルティア、なにを……」
「聖女の力を、全部この子に流し込む」
カイルの顔色が変わる。
「そんなことをしたら、あんたは……」
「ただの人間に戻るでしょうね」
不思議と、怖くなかった。
聖女。
救世主。
神の代行者。
そんな肩書きに縛られて生きてきた。
でも今、私が守りたいのは――称号じゃない。
「私は、あの人を守りたいの」
エルが不安そうに私を見上げる。
「こわい……」
「大丈夫。あなたは、光になるのよ」
私は、エルを抱きしめた。
胸の奥にある、最後の聖なる灯火を解放する。
まばゆい光が地下牢を満たす。
封印の術式が悲鳴を上げる。
瘴気が逆流する。
「っ……!」
焼けるような痛みが体を走る。
体の芯から、何かが抜け落ちていく。
聖なる力。
奇跡。
癒し。
浄化。
全部。
全部を、エルへわたす。
光が収束したとき、封印は、霧のように消えていた。
エルの瞳は、澄んだ緑色に輝いている。
瘴気は消え、封術も解けていた。
一方で――
私の手は、ただの人間のものだった。
魔力は、ない。
奇跡も、感じない。
空っぽ。それでも、立てる。
「アルティア……」
カイルが支えようとするのを、私は首を振って断った。
「大丈夫」
足は震えている。
息も荒い。
でも。
「旦那様を、必ず止めて見せるわ」
私は虚勢を張って笑った。
聖女じゃなくていい。
救世主じゃなくていい。
私は。
「ただの人間として、ヴェルグの前に立つ」
黒い柱は、まだ空を貫いている。
でも。
私は、歩き出した。
闇の中心へ。
愛しい人を、取り戻すために。
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