01「魔王討伐」
それは、聖女の伝説。
「……悔い改めろ……だと……?」
数多の血を吸って紅く染まった海が見える。
断崖絶壁の孤城の中で、魔王は言った。
見渡す限り全てを灰に変えた『終焉の魔王』と呼ばれるその男は、今、死を迎えようとしていた。
「そうです。悔い改めなさい。さすれば神はあなたを許すでしょう」
聖女・アルティアの声は冷たい。だが、言葉の中には情が残っている。
(お願い、あなたを殺させないで……)
そんな思いで投降を勧める。ぎゅっと聖剣を握りしめて、祈るような思いで。
魔王と聖女の長い長い戦いが、終わる。
「ふざけるな……」
彼の体は聖なる力に拘束されている。地獄のような苦しみの中、それでも魔王は誇りを失うまいと叫んだ。
「……私は変わらない。歩んできた道がたとえ血の道でも……私は私だ」
その叫びは苦痛に混じっても猶消えない『魔王』としての誇りに満ちていた。
「……そう言うと……思っていました」
アルティアは安堵したように息を漏らす。
魔王との最終決戦、どちらも後一撃でも喰らえば命はない。そんな状況で彼女は魔王が最期まで悪でいてくれたことに感謝していた。
銀色の月がふたりを照らす。魔王と聖女は互いに剣を構える。
「これで終わりです……!!」
「来い!! 貴様を踏み越えて、私は生きる!!」
激しい剣戯が銀色の月光を浴びて夜闇を彩る。
互いの命をかけた最後の戦いは、アルティアの勝利で終わった。
剣から伝わる、魔王の命を断つ感触。それはアルティアに魔王といえど心臓の鼓動は人間と変わらないのだと、教えてくれた。
「その痛みは……あなたの罪……!!」
魔王との長い戦いの中、多くの仲間を失った。
憎くもある。しかし、魔王としてしか生きられなかったこの男に、憐憫もある。
(生まれ変わったら……同じ世界にいられたのかもしれない)
「その罪を抱いて……沈みなさい!」
心臓を貫いた剣を引き、そして今度は大きく振りかぶって魔王を袈裟斬りにする。
「ぐっ、ぐああああ!!」
魔王の最期の言葉は意外にもあっけないものだった。
「馬鹿な……」
自らの敗北が信じられないといった表情で虚空を見つめる魔王。その瞳にはアルティアが映る。
「さようなら、魔王」
アルティアが苦しげにそう呟くのと同時に、魔王は海の底へ沈んでいった。
――かくして、世には再び平和が訪れたのである。
【ベルモンド王国記、魔王降臨の章より抜粋】
◇ ◇ ◇
……そんな風に記録には残されたけれど。
私にとっては、戦いはまだ終わっていない。
「……まあ、これでいいかな」
翻訳文を紙に書き移して、私はふうと息を吐いた。
ベルモンド王国語や古代語の文献をアシュフォード帝国語へ翻訳することが、今の私の仕事だ。
長きにわたる戦いの果てに魔王を倒した聖女こと、私アルティア・ヴァレリアは伝説となった。
だけど、これは私の人生の序章に過ぎない。
なぜなら――
「アルティア、あーん」
私には新たなパートナーがいるから。
夜の闇のような黒髪、星のように輝く銀の瞳。うら若き絶世の美男子は、蕩けた瞳で私を見つめる。
このまま溶かされてしまうのではないかというくらい、熱い瞳には私が映っている。
「ヴェルグ、ひとりで食べられるわ」
「何を言ってるの。アルティアは何もしなくていいの。ほら、あーん」
「もう……」
あーん。
小さく開けた口に丸いものがそっと入れられる。
メレンゲの甘さの奥で、フランボワーズのほのかな酸味が混ざり合う。
「これは、マカロンね」
「あたり。僕が作ったんだよ」
「おいしいわ。ヴェルグのマカロンは絶品ね」
そう褒めると、ヴェルグは喜びを全身で表してきた。ぎゅうと後ろから抱きしめられて、ぐえっと聖女らしからぬ声が漏れる。
「今日は一緒にご飯を食べられる?」
「ごめんなさい。今日は公爵家に呼ばれていて……」
「……それは、男に会いに行くってこと?」
びり、とヴェルグの髪が逆立つ。ごろごろと雷の音がして、晴天だった空に雨雲が広がり、あたりが暗くなる。
(魔力による天候操作……!)
このままではお出かけどころではない。嵐に見舞われて、馬車を出すこともままならない。
慌てて私はヴェルグの誤解を解いた。
「ち、違うわ! ご令嬢のマルグリット様に呼ばれているの。あなたも会ったことがあるでしょう?」
「覚えてないよ、アルティア以外の女なんて」
「もう! あなたが魔王城から亡命をするのを許してくれた公爵家、そのお嬢様じゃない!」
「しーらない。天涯孤独の僕を助けてくれたのはアルティア、君だけだよ」
ぷい、とそっぽを向くヴェルグの頭を撫でて機嫌を取る。
まだご機嫌斜めそうだが、窓の外から晴れ間が見えてきたので天候操作はやめたのだろう。
「マルグリット様はあなたもぜひに、と言ってらっしゃるわ」
「なんで僕が?」
「お話を聞きたいんですって。だってあなたは――」
そう――
「魔王の息子なんだから」
私は今、魔王の息子と仮初めの婚約生活をしているのだった。
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