第9話:視界泥棒
建設中のビルの屋上。
そこは、強風が吹き荒れるコンクリートの荒野だった。
「来るな! 来るな来るな汚らわしいッ!!」
屋上の給水タンクの上、ガスマスクをつけた小柄な生徒――スナイパーが絶叫している。
彼はライフルを乱射していた。狙いは定まっていない。だが、その弾丸には『拒絶』の念が込められており、着弾するたびに強烈な衝撃波を撒き散らす。
「くっ、近づけねぇ……!」
俺たちは換気ダクトの陰に身を潜めていた。
敵のコンプレックスは「潔癖症」。
自分のテリトリーに他人が入ってくることを病的なまでに嫌悪している。距離が詰まったことでパニックを起こし、近づくもの全てを弾き飛ばす「拒絶結界」のようなものを張っていた。
これじゃ、どんなに動きを読んでも近づけない。
「相馬くん」
背中で、白石が俺の服をギュッと握りしめる。
「……あいつの『目』、奪えばいいんだよね?」
「え?」
「私、やってみる。……いつも『見られたくない』って思ってるから、視界を遮るのは得意かも」
白石の声には、震えの中にも確かな意志があった。
彼女はダクトの陰から少しだけ顔を出し、遠くの給水タンクを睨み据えた。
「相馬くん、あと3秒だけ、あいつの注意を引いて。……そしたら私が、あいつの『レンズ』を消す」
「レンズを消す? ……まさか」
俺はニヤリと笑った。なるほど、その発想はなかった。
「透明化」の能力を、自分ではなく「相手の装備」にかける気か。
「分かった。信じるぜ、相棒!」
俺はダクトから飛び出した。
真正面からの突撃。自殺行為だ。
「ヒッ、菌が! 菌が近寄ってくるぅううッ!」
スナイパーが悲鳴を上げ、ライフルを俺に向ける。
距離は10メートル。
スコープの中、俺の姿が拡大され、照準が眉間に重なる――その瞬間だ。
「……『見ないで』」
白石が呟き、手をかざした。
刹那、スナイパーが狼狽した。
「あ、あれっ!? 見えな――スコープが!?」
スナイパーの手元にあるライフルのスコープ。そのガラスレンズが、唐突に「消失」したのだ。
正確には、レンズが「完全な透明(不可視)」になったことで、光の屈折率が失われ、ただの素通しの筒になってしまったのだ。
拡大機能も、照準のメモリも、全てが意味をなさなくなる。
その隙を見逃す俺じゃない。
俺は一気に距離を詰め、給水タンクへ駆け上がった。
「ひいいっ! 触るな! 汚い手で僕に触るなぁああ!」
スナイパーが錯乱してナイフを振り回すが、そんな出鱈目な攻撃は当たらない。
俺はナイフを持つ手首を掴み、そのまま胸倉を掴み上げた。
「安心しろよ。お前のその『潔癖』、俺が綺麗さっぱり掃除してやる」
俺の能力が発動する。
掌から、彼の中にある病的な「不潔恐怖」と「排他感情」が奔流となって流れ込んでくる。
(うぐっ……! これは、キツい……!)
漂白剤を原液で飲まされたような、強烈な拒絶感が俺の精神を焼く。
「汚い」「許せない」「洗いたい」
そんな強迫観念が俺の中を暴れ回るが、俺の虚無という胃袋はそれすらも飲み下していく。
「が、あ……ぁ……」
スナイパーの目から狂気が消え、力が抜けていく。
俺は気絶した彼をゆっくりと地面に下ろした。
「……ふぅ。ご馳走様」
俺はその場にへたり込んだ。
今回は今までで一番重かった。胃液が逆流しそうだ。
「相馬くん!」
白石が駆け寄ってくる。
俺は手を振って無事を知らせつつ、スナイパーのポケットから転がり落ちたものを拾い上げた。
あの赤いカプセルだ。
しかも、空のケース。
こいつ、直前に飲みやがったな。だからあんなに出力が上がっていたのか。
「……とりあえず、確保完了だ」
俺はカプセルのケースを白石に見せ、苦笑した。
「ナイスアシストだったぞ、白石。まさか『レンズを消す』なんてな」
「えへへ……。私、役に立った?」
「ああ。お前がいなきゃ、今頃俺は蜂の巣だったよ」
俺が頭を撫でてやると、白石は耳まで真っ赤にして、でも嬉しそうに目を細めた。
その時、屋上の入り口からバタバタと足音が聞こえてきた。
教師や警備員か? いや、違う。
「――そこまでだ、相馬カケル」
現れたのは、スーツ姿の大人たち。
そしてその中心にいたのは、あの蔵木先生だった。
だが、学校で見せるような柔和な表情ではない。
「まさか、君のような『特異点』が、私の庭(学校)に隠れていたとはね」
蔵木が冷たい瞳で俺たちを見下ろす。
罠だ。
スナイパーは俺たちを誘き出し、消耗させるための捨て駒だったのか。
俺はふらつく足で立ち上がり、白石を背に庇った。
満身創痍の俺と白石。
対するは、黒幕とその部下たち。
「……デザートにしては、重すぎるな」
俺は口元の血を拭い、獰猛に笑ってみせた。




