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第89話:地下に眠る日常



『バイソン』は、巨大な竪穴の壁面に沿って作られた螺旋状の道路を、ゆっくりと下っていた。

上を見上げれば、地上の明かりはすでに小さく、星のように遠い。


「……信じられねぇな。穴の壁面が、そのまま街になってやがる」


助手席のレンが窓に張り付いて呟く。

竪穴の壁には、無数の「窓」が並んでいた。

いや、窓ではない。壁そのものが巨大なビル群となり、地下深くへと伸びているのだ。

地上で俺たちが見てきた、鉄骨むき出しの廃墟とは違う。ここは風雨に晒されていないため、驚くほど保存状態が良い。


「ここは『ジオ・フロント』区画だね」


白石が解説する。

「100年前、地上の環境悪化を予測して建設された巨大地下都市。……当時の技術と予算を湯水のように注ぎ込んだ『箱庭』だよ」


やがて、螺旋道路の途中に巨大なゲートが現れた。

ゲートは開け放たれたままで、その奥には広大な空間が広がっていた。


「……入ってみるか」


ゲンゾウがハンドルを切る。

『バイソン』がゲートをくぐると、俺たちは言葉を失った。


そこにあったのは、あまりにも「見慣れた」光景だった。

割れていないガラス窓。整然と舗装されたアスファルト。

道路には、丸みを帯びた流線型の乗用車が、渋滞の列を成したまま停まっている。


「……おい、ここ」


レンがある店舗の前で足を止めた。

三色のラインが入った看板。ガラス張りの入り口。

帝都の居住区や、学園の近くでもよく見かける『コンビニ』だ。

ガラスが割れておらず、店内の明かりがついている。


「……まるで、学園の帰り道みたいだ」


俺たちは自動ドアをこじ開けて中に入った。

陳列棚には、ペットボトル、スナック菓子、日用品がぎっしりと並んでいる。

パッケージのデザインこそ古臭いが、並んでいる商品は俺たちがよく知るものと大差ない。


「懐かしいな。……昔、よく白石にパンを買ってこさせたっけ」

「人聞きが悪いな。……私が『隠密ステルス』の練習がてら、自主的に買いに行ってただけだよ」


白石が少しムッとして棚の商品を手に取る。

だが、その表情はすぐに凍りついた。


「……見て。賞味期限、西暦20XX年」


「……100年前か」


俺は息を呑んだ。

俺たちの知るコンビニとそっくりだが、ここは100年前に時が止まっている。

帝都の文明は、この「旧時代」のシステムをコピーして再建されたものだったんだ。


「……ねえ」


アリスが店の奥、イートイン・スペースで立ち止まっていた。

そこには、飲みかけのコーヒーカップと、広げられたままの参考書が置いてある。

そして椅子には、制服のような布切れだけが落ちていた。


「……いないの」


アリスが震える声で言う。

「誰もいない。……逃げた形跡もない。みんな、笑って、お喋りして……次の瞬間に『消えた』の」


俺は周囲を見渡した。

店の中だけじゃない。外の車の中も、歩道も。

人の姿だけがない。

まるで神隠しのように、肉体だけが蒸発している。


「……さっきの『塩の巨人』が答えかもしれねぇな」


ゲンゾウが重々しく口を開く。

「もし、あの大崩壊の時、未知の『兵器』か『現象』が起きて……ここにいた膨大な数の人間を、一瞬で塩に変えちまったとしたら?」


「塩になって、空調で風化して……塵になったってことか」


俺はゾッとして雑誌を棚に戻した。

この街の「日常」があまりにも俺たちの生活と似ているだけに、その異常性が際立つ。

ここは、都市の機能が生きたまま住民だけがいなくなった、巨大で綺麗な「集団墓地」だ。


「……行こう。長居する場所じゃない」


俺は出口へ向かった。

だがその時、街頭の大型ビジョンが一瞬だけノイズを走らせ、映像を映し出した。

予備電源の気まぐれか、それとも俺たちへのメッセージか。


『緊急報道特番。……正体不明の黒い霧が、関東全域を……』

『逃げてください! 早く!』

『きゃあああああッ!!』


映像はそこで途切れ、再び黒い画面に戻った。

たった数秒の映像。

だが、そこに映っていた「黒い霧」は、俺がよく知るものと酷似していた。


「……俺の『虚無』か」


俺は右腕を強く握りしめた。

やはり、この世界を壊したのは、俺の力の「オリジナル」だ。

100年前、ここで何かが暴走し、この平和な日常を全て飲み込んだんだ。


「……核心は、もっと下だ」


俺たちは『バイソン』に戻った。

見慣れたコンビニの光が、今は墓場の灯火のように不気味に見えた。

この静寂な地獄を越え、俺たちはさらに深く、全ての元凶が待つ最深部へと車を走らせた。


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