第86話:死都の入り口
「……見えてきたぞ」
大峡谷の険しい山道を下りきった先。
ゲンゾウがハンドルを握りながら、声を低くして言った。
眼下に広がっていたのは、白く乾いた広大な平野だった。
かつて海に沈み、その後干上がった泥と塩の大地。
その中心に、蜃気楼のように巨大なシルエットが浮かび上がっている。
「あれが……ロスト・トウキョウ」
白石が息を呑む。
そこは、かつて数千万人が暮らしたと言われる旧時代の首都。
無数の高層ビルが、あるものは折れ、あるものは傾きながらも、墓標のように林立している。
その中心には、ひときわ高く、赤と白の塗装が剥げ落ちた「鉄塔」の残骸が、天を突くように聳え立っていた。
「間違いない。」
白石がタブレットの地図と照合する。
「あそこが旧・関東平野。……帝都がある西側とは、この大峡谷(巨大地溝帯)で完全に分断されていた『封鎖エリア』だよ」
「へぇ、デカいな……。アクア・ポリスなんて目じゃねぇ規模だ」
レンが窓に張り付いて呟く。
「これ全部、昔は人が住んでたのか? 正気じゃねぇな」
「100年前の大崩壊で壊滅した、世界最大の廃墟都市……」
『バイソン』は、かつて高速道路だったと思われる高架橋の残骸の下をくぐり、都市の内部へと進入した。
タイヤが乾いた地面を踏む音が、静寂なビル街に反響する。
「……痛い」
アリスが頭を押さえてうずくまった。
「……声が、多すぎる。……誰もいないのに、みんな、ここにいる気がする」
彼女には聞こえているのだろう。
この街で死んでいった膨大な数の人間たちの残留思念が。
「大丈夫か、アリス」
俺はアリスの背中をさすりながら、周囲を警戒した。
物音一つしない。
風の音さえ、ビル風となってヒューヒューと亡霊のうめき声のように響いている。
だが、俺の右腕の「虚無」は、かつてないほど激しく脈打っていた。
ドクン……ドクン……。
「近いな。……この街のどこかに、俺を呼ぶ『源』がある」
「座標の反応は、都市の中央部……旧・皇居のさらに地下深くだよ」
白石がモニターを指差す。
その時だった。
『警告。未登録車両の侵入を検知。……防衛プロトコル、起動』
突然、街中に設置されていた街頭スピーカーから、割れたノイズ混じりの合成音声が響き渡った。
「なっ、まだ電力が生きてるのか!?」
ゲンゾウが叫ぶ。
ズズズズズ……!
道路の脇、ビルの影、マンホールの中。
至る所から、赤いカメラアイを光らせた機械たちが姿を現した。
四足歩行の警備ロボット、空を飛ぶドローン、さらにはビルと同化した自動砲台。
100年前の旧式だが、メンテナンスドローンによって修復され続けてきたのか、その銃口は正確に『バイソン』を狙っている。
「歓迎会にしては、ちょっと熱烈すぎるね」
白石が即座にキーボードを叩き始める。
「どうするカケル! 突っ切るか!?」
レンが臨戦態勢に入る。
だが、敵の数は数百体以上。
まともにやり合えば、『バイソン』が無事では済まない。
「……いや、ここは白石に任せよう」
俺は判断した。
白石が顔を上げる。
「できるだろ? お前の『ステルス』なら」
俺がニヤリと笑うと、白石も不敵な笑みを返した。
「……任せて。旧時代のセキュリティなんて、私の庭みたいなもんよ!」
白石がエンターキーをッターン!と叩く。
「ジャミング、およびIFF(敵味方識別装置)偽装信号、展開! ……私たちはお前らの『上官』だぞ、道を空けろ!」
ブォン!!
『バイソン』から目に見えない波紋が広がる。
次の瞬間、一斉射撃をしようとしていた警備ロボットたちの動きがピタリと止まった。
赤いカメラアイが、青色へと変わっていく。
『……識別信号、確認。……特務車両の通過を許可します』
ロボットたちが敬礼をするように道を空け、砲台が沈黙した。
「へっ、チョロいもんだぜ!」
レンが口笛を吹く。
俺は助手席で涼しい顔をしている白石を見た。
出会った頃は、戦いのたびに震えていた少女が、今や数百の殺戮兵器を前にしても眉一つ動かさない。
「白石も、随分と逞しくなったな」
俺が声をかけると、白石は少し照れくさそうに、でも誇らしげに鼻を鳴らした。
「……いつまでも守られてばかりじゃいられないでしょ? カケルくんたちの背中を追いかけてたら、自然とこうなっちゃっただけだよ」
「頼もしい限りだ。……よし、このまま中央へ向かうぞ!」
ゲンゾウがアクセルを踏む。
警備ロボットの列の間を、『バイソン』は悠々と通り抜けていく。
死した都市の深淵へ。
俺たちの旅は、いよいよ核心部へと踏み込んでいく。




