第84話:百年目の飢餓
「グゥゥ……オォォ……」
暗闇から現れたのは、人間のような形をした「何か」の群れだった。
皮膚は色素を失って青白く、手足は蜘蛛のように長く伸びている。
そして顔には目がなく、鼻もない。
裂けたように大きな口だけが、ダラダラと粘液を垂らしながら開閉している。
「うわ、なんだこいつら……! ゾンビ映画かよ!」
レンが嫌悪感を露わにして後ずさる。
死臭と薬品が混ざったような強烈な悪臭が鼻を突く。
「気をつけて! ただの化け物じゃない……すごく『飢えてる』!」
アリスが悲鳴のような声を上げる。
彼らは「共食い」で100年を生き延びた、進化の成れの果てだ。
その一匹が、床を這うごきぶりのような速さで飛びかかってきた。
「ヒャアアアアッ!!」
「寄るなッ!!」
ゲンゾウが腰だめのショットガンを放つ。
ドォォン!!
散弾が怪物の頭部を吹き飛ばす。だが、怪物は頭を失っても痙攣しながら動き続けた。
「しぶといな! 痛みを感じてねぇのか!」
「カケルくん、ダメ! 囲まれるよ!」
白石が叫ぶ。
いつの間にか、天井や壁にも無数の怪物が張り付いていた。
数百の「口」が、一斉に俺の方を向く。
目はないはずなのに、奴らの意識は明らかに俺一人に集中していた。
「……なるほどな。こいつらの狙いは俺か」
俺は悟った。
こいつらは「失敗作」だ。だから本能的に求めているんだ。
「適合者」である俺の肉体を。俺の中にある「完成された虚無」を喰らって、自分たちの欠落を埋めようとしている。
「ニク……ヨコセ……!!」
「オレノ……カエセ……!!」
カタコトの言葉を発しながら、群れが雪崩のように押し寄せてきた。
「チッ、人気者は辛いぜ! どきやがれッ!」
俺は黒い霧を鞭のように振るい、正面の数匹を薙ぎ払った。
【虚無・断絶】。
触れた箇所が抉り取られ、怪物たちが絶叫する。
だが、後ろから次々と新しい個体が湧いてくる。死体を踏み越え、仲間を喰らいながら迫ってくる狂気。
「キリがねぇ! 一旦引くぞ! 『バイソン』まで走れ!」
「殿は俺がやる! 先に行け!」
俺はレンとゲンゾウを促し、回廊の真ん中で踏ん張った。
狭い通路なら、俺の広範囲攻撃で蓋ができる。
「カケル! 無茶すんなよ!」
「すぐエンジンかけるからな!」
仲間たちが背後へ走る。
それを見送った俺は、群がる怪物たちに向き直った。
「……哀れだな」
怒りよりも、憐憫が湧いた。
こいつらも元は人間だったのかもしれない。組織のエゴでこんな姿にされ、暗闇の中で100年も……。
母さんも、もし俺が殺していなければ、こうなっていたのかもしれない。
「……楽にしてやるよ。せめてもの慈悲だ」
俺は右腕を突き出し、ありったけの「虚無」を解放した。
物理的な破壊じゃない。存在そのものを消し去る、漆黒の波濤。
【虚無・強制静止】
ズオオオオオッ!!
黒い霧が回廊を埋め尽くす。
先頭集団の怪物たちが、霧に触れた瞬間、灰のようにサラサラと崩れ去った。
痛みも恐怖もなく、ただ静かに「無」へと還っていく。
「ギャ……?」
「ア……?」
後続の怪物たちが動きを止める。
本能が理解したのだ。あの黒い霧は、餌ではなく「終わり」なのだと。
「……満足か? これがオマエらが欲しがってた『完成形』だ」
俺は冷ややかに言い放ち、踵を返して走り出した。
恐怖に縛られた怪物たちは、もう追ってこなかった。
崩壊したゲートを抜け、外に出る。
夕日が眩しい。
『バイソン』がエンジンを噴かして待っていた。
「カケル! 乗れッ!」
スライドドアが開き、レンが手を差し伸べる。
俺は飛び乗り、ドアを閉めた。
「出せ! ここを離れるぞ!」
「おうよ!」
ゲンゾウがアクセルを踏み込む。
『バイソン』が急発進し、研究所を背に荒野を駆け抜ける。
俺は窓から、遠ざかる廃墟を見つめた。
100年の怨念が渦巻く場所。
母さんの因縁、組織のルーツ、そして俺の起源。
全てを知った今、もう迷いはない。
「……東へ行くぞ。システムが言ってた『器を満たす』ために」
俺の言葉に、全員が無言で頷いた。
大峡谷を越えた先、まだ見ぬ未知の土地へ。
俺たちの旅は、最終局面へと向かっていた。




