第8話:弾道の残響
路地裏のゴミ捨て場。
湿ったカビの臭いと、錆びた鉄の臭いが鼻をつく。
「ッ……はぁ、はぁ……」
俺は白石を抱えたまま、古びた自販機の裏に滑り込んだ。
『不可視』の効果は継続しているが、俺の精神力も近い。
こめかみがズキズキと痛み、視界がノイズ混じりになる。
「そ、相馬くん、私……私が囮になって走るから、その隙に……」
白石が青ざめた顔で訴える。
自分のせいで巻き込まれたという罪悪感が、彼女を焦らせているのだ。
「馬鹿言うな。却下だ」
俺は即答し、彼女の頭をポンと軽く叩いて落ち着かせた。
「お前はここでじっとして、気配を殺し続けてろ。……いいか、絶対に出るなよ」
「で、でも、どうやって……敵の場所も分からないのに」
「場所なら、今から特定する」
俺は足元に視線を落とした。
さっきの逃走中、コンクリートの壁を掠めた弾丸の痕。
そこから微かに、赤黒い湯気のようなものが立ち昇っている。
能力によって生成された物質には、持ち主の「情念」が残留する。直撃すればダメージだが、カスなら情報の宝庫だ。
俺は自販機の影から手を伸ばし、まだ熱を持っている弾痕に指を触れた。
「……いたっ」
指先が焼けるような感覚。
同時に、脳内に他人の視界がフラッシュバックする。
――『遠い』『汚らわしい』『近づくな』『ここから一方的に排除したい』――
流れ込んできたのは、極度の「潔癖」と「排他性」。
自分は安全圏に引きこもり、汚い世界に関わりたくないという、傲慢な拒絶の意志。
それが、あの異常な射程距離を生んでいる正体か。
「……見えた」
俺は目を閉じる。
残留思念を辿ることで、まるで赤いレーザーポインターが伸びているかのように、射線がはっきりと見えた。
600メートル先。建設中の雑居ビル、屋上の貯水タンクの上。
「白石、お前の『不可視』を解くぞ」
「えっ?」
「今の俺なら、奴の『視界』が分かる。……奴がスコープを覗くタイミングに合わせて動けば、能力を使わなくても死角に入れる」
ずっと不可視を使っていれば俺が倒れる。
かといって、無防備に飛び出せば撃たれる。
だから、「敵が見ている場所」を読み、そこを避けて進む。
「俺の背中に掴まってろ。……少し揺れるぞ」
俺は白石を背負い直した。
軽い。この軽さが、今の俺が守るべき世界の全てだ。
「行くぞッ!」
俺は路地を飛び出した。
脳裏にイメージが浮かぶ。敵がトリガーに指をかける感覚。
その瞬間、俺は不規則にステップを踏み、看板の影へ滑り込む。
ヒュンッ!!
一瞬遅れて、俺の残像があった場所を弾丸が貫通した。
当たらない。
相手の「思考」を読んで動く俺には、どんな精密射撃もただの点と線の遊びだ。
「すご……」
「感心してる暇はないぞ。距離を詰める!」
敵は「近づかれること」を極端に嫌う潔癖症だ。
懐に入りさえすれば、精神的に追い詰められて脆くなるはず。
俺はビル風を切り裂きながら疾走した。
痛み始めた頭を無視して。
背中に感じる白石の体温と、微かな震えが、俺の足を前へと動かしていた。




