第78話:風鳴りの峡谷
アクア・ポリスを後にして数週間。
俺たちはひたすらに東を目指していた。
景色は劇的に変わっていた。
平坦な荒野は姿を消し、地面が大きく隆起したり、逆に底が見えないほど深く裂けたりしている。
ここは「大峡谷」。
かつての大地震と地殻変動によって引き裂かれた、地球の傷跡だ。
「……風が強くなってきたな」
俺は『バイソン』の窓を少し開けたが、すぐに吹き込む砂埃に閉口して閉めた。
ヒュゴオオオオ……という低い風鳴りが、昼夜問わず響いている。
「この辺りは磁場も狂ってるよ。コンパスがぐるぐる回って使い物にならない」
助手席で白石が困り顔をしている。
GPSも衛星が死んでいるため使えない。頼りになるのは太陽の位置と、俺の「勘」だけだ。
「おい、あれを見ろよ」
ゲンゾウが速度を落とす。
前方の谷底に、巨大な建造物の残骸が見えた。
橋だ。
かつて大陸を繋いでいたであろう、全長数キロに及ぶ巨大な鉄橋が、真ん中でへし折れて谷に垂れ下がっている。
「……デカいな。旧時代の遺物か」
「いや、それだけじゃない」
ゲンゾウが指差した先。
折れた橋の鉄骨に、鳥の巣のようにへばりつく無数の小屋が見えた。
風力発電のプロペラが回っている。
「人が住んでるのか? こんな風の強い場所に?」
「『橋上の街』……かな。古い文献で見たことがある」
白石が記憶を手繰り寄せる。
「大地の裂け目で分断された世界を、もう一度繋ごうとしている人たち……通称『橋の民』が住んでるって」
俺たちは興味を惹かれ、橋のたもとへと車を寄せた。
入り口にはバリケードがあり、風避けのゴーグルをつけた男たちが立っていた。
「止まれ! 何者だ!」
「旅人だ。……少し休ませてくれねぇか? 車のフィルターが砂で詰まりそうでな」
俺が窓から顔を出すと、男たちは『バイソン』の装甲を見て警戒を強めたが、敵意までは見せなかった。
「……怪しい連中だが、野盗じゃなさそうだな。入れ。ただし、武器は使うなよ」
バリケードが開く。
俺たちは、断崖絶壁に作られた奇妙な集落へと足を踏み入れた。
中は風の音で満ちていた。
錆びた鉄骨と木材で組まれた足場。
下を見れば、雲海が広がるほどの深い谷底。
落ちれば即死。だが、ここの住人たちは命綱なしで平気で歩いている。
「すごい……。空に住んでるみたい」
アリスが手すりから下を覗き込んで、少し怖そうに、でも目を輝かせている。
「おい、カケル」
レンが小声で囁いた。
「……なんか変だぞ、ここ」
「ああ。気づいたか」
俺も違和感を感じていた。
住人たちの視線だ。
彼らは俺たちを見ているようで、見ていない。
その目は、もっと遠く――谷の向こう側、霧に包まれた「対岸」を見つめているようだった。
「……あそこには、何があるんだ?」
俺が対岸を指差すと、通りがかった老婆が足を止め、震える声で言った。
「……行っちゃなんねぇよ。あそこは『神々の墓所』だ」
「神々の墓所?」
「風が運んでくるんだ。……黒い災いと、古の呪いをな」
老婆の言葉が終わると同時だった。
谷底から吹き上げる風に乗って、聞き覚えのある不快な音が響いてきた。
ギチチチチ……。
それは、機械が軋む音であり、何かが蠢く音でもあった。
俺の右腕の「虚無」が、ドクンと脈打った。




