第77話:泥とクリスタル
「……ん」
重い瞼を開けると、知らない天井――ではなく、見覚えのある『バイソン』の天井があった。
身体中が軋むように痛いが、どうやら生きてはいるらしい。
「あ、目が覚めた!」
覗き込んできたのはアリスだった。
俺が身を起こそうとすると、横から冷たいタオルが飛んできた。
「無茶しすぎだよ、カケルくん。……丸3日も寝てたんだから」
白石が呆れた顔で、でも少し安心したように笑っている。
周囲を見渡すと、俺たちはすでにアクア・ポリスの搬入ドックに戻ってきていた。
ただし、以前のような陰鬱な空気はない。
「外、見てみなよ。傑作だぜ」
運転席で足を組んでいたレンが、親指で窓の外を指す。
そこには、信じられない光景が広がっていた。
真っ白な服を着た上層の市民たちが、煤だらけの労働者たちと混じって、物資の搬入を手伝っているのだ。
怒号も飛んでいるが、それは一方的な命令ではなく、対等な喧嘩のようだ。
「……どうなったんだ?」
「あの後、アンタたちが無理やり繋げたせいで、上と下の区画が物理的に行き来できるようになったんだよ。エレベーターも開放された」
答えながら入ってきたのは、ナギだった。
隣には、少し背が伸びたように見えるレオもいる。
「ガランドウは失脚したよ。今は元・総督として、下層の浄化槽掃除を命じられてる。……市民たちも、インフラが止まったおかげで、自分たちで働かないと死ぬって気づいたみたいだ」
レオがニカっと笑う。
上と下が混ざり合い、泥とクリスタルが融合した混沌とした街。
だが、あの綺麗なだけの楽園より、ずっと人間臭くてマシに見えた。
「で、俺たちはもう用済みってか?」
「まさか。……みんな、アンタたちを英雄として讃えたがってる。パレードの準備もしてるぞ」
ナギが苦笑するが、俺は即座に首を振った。
「パスだ。そういうのは柄じゃない」
「……同感だな。それに、長居すると情が移っちまう」
ゲンゾウが短く笑い、寂しさを振り切るようにエンジンキーを回した。
『バイソン』の荷台には、約束通り大量の真水と食料、それに最新のエネルギーパックが積み込まれていた。これだけあれば、しばらくは食いっぱぐれない。
「……行っちゃうの?」
レオが寂しそうに言う。
「ああ。……ここはもう、お前たちの街だ。俺たちがいたら、いつまで経っても『海賊』の街になっちまう」
俺は窓から手を出し、レオの頭をクシャクシャと撫でた。
「いい街にしろよ、若きリーダー」
「……っ! うん! 絶対にする!」
レオが涙を拭って頷く。
ナギも無言で敬礼を送ってくれた。
ブロロロロ……!
『バイソン』が走り出す。
パレードも、感謝状もいらない。
俺たちはただ、必要なものを奪い(貰い)、気に入らない奴を殴り、そして風のように去るだけだ。
「あばよ! 達者でなー!」
レンがサンルーフから身を乗り出して手を振る。
遠ざかるアクア・ポリス。
その歪なシルエットは、夕日の中で輝いていた。
「さて……次はどっちへ行く、カケルくん?」
白石が地図を広げる。
南の海は見た。西の研究所は潰した。
俺は少し考え、そして指差した。
「……東だ」
「東? あっちは『大峡谷』だぜ? 何があるんだ?」
「分からん。……だが、俺の『虚無』が呼んでる気がするんだ」
根拠はない。だが、直感が告げている。
この力の根源に関わる何かが、東の果てにあると。
「了解。……面舵一杯、東へ進路を取れ!」
ゲンゾウがハンドルを切る。
俺たちの旅は終わらない。
新たな謎と、まだ見ぬ強敵を求めて。




