第75話:裸の王様
「く、来るな! 近寄るな!」
ガランドウは尻餅をつき、大理石の床を這いずりながら後退した。
さっきまでの余裕はどこへやら。ワインで濡れたタキシードは惨めで、その顔は恐怖で歪んでいる。
「……なんだよ。ペットがいなくなったら、何もできねぇのか?」
俺はゆっくりと歩み寄る。
足音一つ立てるたびに、ガランドウがヒッと短い悲鳴を上げる。
「わ、私は総督だぞ! この楽園の王だ! 貴様のようなドブネズミが触れていい存在ではない!」
「王様ねぇ。……自分の国民を燃料にして、安全な場所から見物してるだけの奴が王なもんかよ」
俺はガランドウの目の前で立ち止まり、彼が握りしめている「金色の杖」を見下ろした。
さっきから、それを必死に操作しようとしている。
「そ、そうだ! 取引をしよう! 金か? 女か? それとも新しい肉体か? 望むものは何でもやる! 副総督の地位をやってもいい!」
「……へぇ」
俺が興味なさそうに相槌を打つと、ガランドウは目の色を変えて畳み掛けた。
「この都市のテクノロジーがあれば、世界を支配できる! 私と手を組めば、お前は神になれるのだ! どうだ、悪い話ではな――」
バキィッ!!
俺は無言で杖を踏み砕いた。
精密機械が詰まっていたらしい杖は、火花を散らして沈黙する。
「あ……あぁ……私の、マスターキーが……」
「悪いな。俺、神様とか興味ねぇんだわ」
俺はガランドウの胸ぐらを掴み、軽々と持ち上げた。
足が宙に浮き、ガランドウがジタバタと暴れる。
「ひぃぃッ! た、助けてくれ! 死にたくない! まだ死にたくない!!」
「下の連中も、そう叫んでたんじゃないか? お前が笑って見てた画面の向こうでな」
俺が拳を振り上げた、その時だった。
『緊急警報。マスターキーの破壊を確認。……「パージ・プロトコル」へ移行します』
部屋中に赤いランプが点滅し、無機質なアナウンスが響き渡った。
「なっ……!?」
『上層居住区のエネルギー確保のため、下層および中層ブロックを切り離します。分離まで、あと5分』
「……は?」
レンが目を見開く。
切り離し。それはつまり、海上の都市から土台部分を捨てて、上だけ空へ逃げるということか。
「ハ……ハハハ! そうだ! これでいい!」
吊るされたガランドウが、狂ったように笑い出した。
「お前たちが暴れるから、エネルギーが足りなくなったのだ! だから不要な部分を捨てる! ゴミと一緒に海へ落ちろ!」
「テメェッ!!」
俺は怒りのままにガランドウを床に叩きつけた。
ゴシャッという音と共に、ガランドウは白目を剥いて気絶する。
だが、カウントダウンは止まらない。
『分離ボルト、解除開始……』
「カケルくん! マズいよ! このままだとレオくんやナギさんたちが……みんな沈んじゃう!」
白石がコンソールに飛びつき、必死にキーを叩く。
「ダメ……! ハードウェア側で物理的にロックされてる! 制御不能!」
窓の外を見る。
都市全体が激しく振動し始めていた。
下の階層と上の階層を繋ぐ巨大なジョイントが、今にも外れようとしている。
「……止める方法は?」
俺が聞くと、白石は絶望的な顔で、部屋の奥にある巨大な柱を指差した。
「あれが……『メインシャフト』。都市全体を繋ぎ止めてる背骨。……あれを内側から『溶接』して固定するしかないけど、そんな火力、ここには……」
俺たちは顔を見合わせた。
火力はない。
だが、俺たちには「繋ぐ」力はないが、「壊す」力ならある。
そして、「支える」力なら――。
「……レン。お前の音波で、あのシャフトの振動を止められるか?」
「あぁ? 止めるどころか、俺が周波数合わせたら……逆にガッチリ『噛み合わせ』ちまうこともできるぜ」
レンがニヤリと笑う。
金属同士を摩擦熱が出るほど高速振動させて、無理やりくっつける。
荒技だが、理屈は通る。
「カケルはどうするの?」
アリスが不安そうに見上げる。
「俺は……外に出る」
俺は窓ガラスを割り、暴風が吹き荒れる夜空を見上げた。
「このクソデカい空飛ぶ棺桶が落ちないように、下から支えてやるよ」
「はぁ!? お前、死ぬ気か!?」
ゲンゾウが叫ぶ。
「死なねぇよ。……俺は『虚無』だ。重力だって食っちまえば軽くなる」
俺はテラスの手すりに足をかけた。
「白石、システムを任せる! レン、シャフトを頼む! ……俺たちで、このふざけた落下を止めるぞ!!」
俺は夜の闇へと身を投げた。
目指すは、都市の最下層。
崩落寸前の楽園を、力ずくでねじ伏せる。




