第56話:氷の鏡像
「排除を開始します」
俺と同じ顔をした男が、無感情に呟く。
彼が氷の剣を一振りすると、通路の空気が一瞬で凍りついた。
ダイヤモンドダストが舞い、床や壁がバキバキと音を立てて氷漬けになっていく。
「……ッ! 下がれ!」
俺はとっさに前に出て、黒い霧を展開した。
【虚無・遮断】。
迫り来る冷気そのものを「無」に還して防ぐ。
だが、防ぎきれない冷たさが肌を刺す。物理的な氷は消せても、奪われた熱までは戻らない。
「くそっ、寒いなんてもんじゃねぇぞ! 肺が凍る!」
レンが青ざめた顔で白い息を吐く。
密閉された通路で、氷の能力は凶悪すぎる。逃げ場のない冷凍庫だ。
「対象:検体番号0(ゼロ)。能力『虚無』の出力を確認。……想定の範囲内です」
クローンは表情一つ変えず、次々と氷の槍を生成して射出してきた。
正確無比。機械のような精密射撃だ。
「俺の顔で、そんなロボットみたいな喋り方すんじゃねぇ!」
俺は霧を鞭のように振るい、飛来する氷柱を次々と粉砕・消滅させる。
だが、砕いた氷の破片が、即座に再凍結して俺の手足を拘束しようと絡みついてくる。
「再生速度が速い……! 壊してもキリがないよ!」
白石が悲鳴を上げる。
「あいつ、施設内の冷却システムと直結してる! 無限にエネルギーを供給されてるんだよ!」
「チッ、地の利は向こうにあるってか」
俺が舌打ちした瞬間、クローンが地面を滑るように接近してきた。
速い。氷の上をスケートのように滑走している。
「接近戦なら……!」
俺はカウンターの右拳を放つ。
しかし、クローンは俺の動きを完全に読んでいたかのように、最小限の動きで回避した。
そして、氷の剣が俺の脇腹を浅く切り裂く。
「ぐっ……!?」
傷口から血が出る前に、肉が凍りついて塞がれる。
激痛と寒気が同時に走る。
「無駄です。あなたの戦闘データは全てインプットされています。旧式が完成品(最新型)に勝てる道理はありません」
クローンが冷淡に見下ろす。
その目は、本当に何も映していないガラス玉のようだ。
「……完成品、だぁ?」
俺は凍りついた脇腹を押さえながら、ニヤリと笑った。
「データ通りにしか動けねぇポンコツが、偉そうな口を叩くなよ」
「負け惜しみを」
クローンがトドメの一撃を振り上げる。
だが、その背後で、レンがニヤリと笑っていた。
「おい、イケメン。……俺のことを忘れてねぇか?」
レンが懐から取り出したのは、帝都から持ってきた「音響機雷」だ。
それをクローンの足元の氷床に転がす。
「氷ってのはなぁ、硬いけど『脆い』んだよ! 特定の周波数で揺らせばな!」
カチッ。
機雷が作動した瞬間、キーンという超高周波が通路に響き渡った。
「共振現象」。
クローンが作り出した氷の床、壁、そして彼が握る剣までもが、微細な振動を起こし始める。
「な……?」
クローンの動きが止まった。
計算外の事態に、処理が追いついていない。
「今だ、カケル! 粉々に砕いてやれ!」
「ナイスだ、相棒!」
俺は踏み込んだ。
足元の氷は共振でボロボロにひび割れている。滑る心配はない。
俺は黒い霧を右腕に最大圧縮し、クローンの胸板へ叩き込んだ。
「データにない動きを教えてやるよ! ……これが『ド根性』ってやつだ!!」
【虚無・穿孔】
ドゴォォォォンッ!!
黒い衝撃が、クローンの体を貫通した。
同時に、共振していた氷の剣も鎧も、粉々に砕け散ってダイヤモンドダストへと変わる。
「機能……停止……」
クローンは胸に風穴を開けたまま、ガクガクと震え、糸が切れた人形のように崩れ落ちた。
その顔は、最後まで無表情のままだった。
「……へっ。やっぱり俺の顔には、愛想笑いくらいが似合うぜ」
俺は荒い息を吐き、膝をついた。
寒さは和らいだが、体力の消耗が激しい。
「カケル、大丈夫!?」
「ああ……なんとかな。行くぞ」
氷の残骸を踏み越え、俺たちはついに最奥の扉――『S棟』の入り口に手をかけた。
この先に、母さんがいる。




