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第54話:白亜の棺



「……空気、うまいな」


車から降りたレンが、深呼吸をして呟いた。

研究所の敷地内は強力な空気清浄フィールドで守られているらしく、帝都よりも空気が澄んでいる。

だが、その清潔さが逆に鼻についた。ここは墓場のように静かすぎる。


「ゲートを開けるぞ。……手筈通り、俺が『視察に来た』ことにする」


ゲンゾウが震える手で認証パネルにIDカードをかざす。

ピッ、という電子音と共に、巨大な純白のゲートが音もなくスライドした。


『おかえりなさいませ、ゲンゾウ主任技師。10年と154日ぶりの出勤を確認しました』


無機質な女性の合成音声が響く。

10年失踪していた人間に向ける挨拶にしては、あまりに事務的だ。


「……中のシステムは生きてるみたいだな。行くぞ」


俺たちは『バイソン』を入り口に残し、徒歩で建物内へ侵入した。

エントランスホールは、高級ホテルのように広くて明るい。

床は大理石のように磨かれ、壁には抽象的な絵画が飾られている。

だが、人の気配は全くない。


「掃除ロボットだけが動いてる……。研究員はどこ?」


白石が足元を通過するルンバのような掃除機を見送る。

ゲンゾウが苦虫を噛み潰したような顔で答えた。


「ここは『全自動管理』が基本だ。研究員は最小限しかいねぇし、被検体の世話もすべて機械がやる。……感情移入しないようにな」


「悪趣味な場所だ」


俺は壁の案内板に目を走らせた。

『A棟:遺伝子保管庫』

『B棟:培養プラント』

『C棟:廃棄処理施設』


そして、最奥にある『S棟:特別検体管理区域』。


「……母さんは、S棟か」


「ああ。俺の娘も、たぶんそこだ」


俺たちが歩き出そうとした時だった。

ホールの中央に、ホログラムの少女が現れた。

受付嬢のアバターのようだが、その目はガラス玉のように光がない。


『ようこそ、見学者の皆様。……おや?』


アバターの視線が、俺とアリスの顔で止まった。

赤いスキャンラインが俺たちの体を走る。


『識別コード照合……検体番号0(ゼロ)、および検体番号7(セブン)を確認。』


空気が凍りついた。


『脱走していた検体の自主的な帰還を歓迎します。直ちに所定の保管ポッドへお戻りください。本日のスケジュールは、脳波測定と耐久実験です』


「……帰還だと?」


俺は眉をひそめた。

「あいにく、俺たちは客だ。実験を受けに来たんじゃねぇ」


『拒否を確認。……再勧告します。抵抗する場合、強制収容プロトコルが発動します』


アバターの笑顔は変わらないまま、ホールの壁から複数の銃口がせり出してきた。

麻酔銃か、それとも実弾か。


「やっぱりこうなるか。……レン!」


「わかってるよ! 挨拶代わりだ!」


レンが指を鳴らす。

【音響破砕】。

衝撃波がホログラムの投影装置を直撃し、アバターの映像がノイズと共に掻き消えた。


『警告。施設内での暴力行為を確認。警備ロボットを起動します』


警報音が鳴り響く中、奥の通路から金属音が近づいてくる。

人型ではない。四足歩行の、獣のようなシルエットのロボットたちだ。


警備犬ガード・ドッグだ! 噛まれたら神経毒を流し込まれるぞ!」


ゲンゾウが叫んで物陰に隠れる。

俺は前に出た。


「上等だ。……ここにあるもの全部ぶっ壊せば、文句ねぇんだろ?」


俺の両手に黒い霧が渦巻く。

静寂に包まれていた「白亜の棺」が、一瞬にして戦場へと変わった。


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