第53話:溶解の群れ
ジュッ……ジュワァァァ……!!
嫌な音が響き渡る。
上空から飛来した腐食蟲が吐き出す粘液が、『バイソン』の装甲板をバターのように溶かしていく。
「おい、屋根の装甲が持たねぇぞ! このままだと天井に穴が開く!」
車内からゲンゾウの悲鳴が聞こえる。
俺は屋根の上で、降り注ぐ酸の雨を「虚無」で受け流し続けていた。
「チッ、キリがねぇな!」
俺は黒い霧を傘のように広げ、車体を守る。
だが、敵の数が多すぎる。霧の向こうから、ブンブンという羽音が無限に湧いてくるようだ。
「相馬くん! 奴らは熱源に反応してる! エンジンの排熱を狙ってるんだよ!」
白石の分析がインカムに届く。
なるほど、蛾が光に集まるのと同じ理屈か。だが、エンジンを止めるわけにはいかない。止まればこの毒霧に飲み込まれて全滅だ。
「だったら、もっとデカい餌を撒いてやるよ!」
俺は懐から、帝都でくすねてきた高出力バッテリー(手榴弾代わり)を取り出した。
さらに、自分の黒い霧を少しだけ纏わせ、放り投げる。
「レン! あれを狙え!」
「あいよ! 空中分解ショーだ!」
運転しながら、レンがルーフの音波砲を遠隔操作する。
放たれた衝撃波が、空中でバッテリーを粉砕した。
バチバチバチッ!! と激しいスパークが飛び散り、強烈な熱と光が発生する。
「ギギギッ!?」
腐食蟲の群れが一斉に反応した。
車よりも強い熱源であるスパークの中心へと、雪崩を打って殺到していく。
数百匹の蟲が空中で団子状になり、互いの酸で溶け合いながら巨大な火の玉となって墜落した。
「うげぇ……地獄絵図だな」
「感心してる場合か! 今のうちに突っ切るぞ!」
「了解! 掴まってろ、ニトロ噴くぜ!!」
レンがダッシュボードの赤いスイッチを叩く。
ゲンゾウが調整したブースト機能が火を噴いた。
凄まじい加速G。俺は屋根のフックにしがみつき、振り落とされないように耐える。
「残り距離、500メートル! ……ゲートが閉まるよ!」
「間に合わせろ!!」
前方の霧が徐々に狭まっていく。
「海割れ」が閉じようとしているのだ。
背後からは、生き残った蟲たちが怒り狂って追ってくる。
迫る壁。迫る蟲。
俺たちはそのわずかな隙間へ、弾丸のように滑り込んだ。
ズバァァァンッ!!
視界が一気に開けた。
紫の霧を突き抜けた先には、嘘のように澄み渡った青空が広がっていた。
「……抜けたか?」
俺は屋根の上で、後ろを振り返った。
すぐ背後で紫の壁が完全に閉じ、追ってきた蟲たちが壁に激突してジュウジュウと溶けていくのが見えた。
「はぁ……はぁ……。生きた心地がしねぇな」
俺はサンルーフから車内へ戻った。
全員、冷や汗まみれでぐったりしている。
「装甲残存率、12%。……ギリギリだったな」
ゲンゾウが震える手で汗を拭う。
「だがあの加速、悪くなかったぞ。エンジンの芯出し完璧だったろ?」
「はいはい、アンタのおかげだよ」
俺は苦笑して、フロントガラスの向こうを見た。
そこには、荒野には似つかわしくない、真っ白で巨大な建造物が鎮座していた。
ドーム状の屋根。整えられた緑地。
まるでそこだけ時間が止まったような、不気味なほどの清潔さ。
「あれが……『研究所・第0支部』」
白石が息を呑む。
アリスが小さく震えながら、俺の手を握った。
「……聞こえる。あの中に、悲しい声がいっぱいある」
母さんがいる場所。
そして、俺が生まれたかもしれない場所。
俺たちは無言のまま、その白亜の要塞へと車を進めた。




