第5話:保健室の噂
ファントム事件から数日後。
俺たちの関係は、奇妙な均衡を保っていた。
昼休み。屋上に続く階段の踊り場。
ここは人が来ない。俺にとってはサボり場所であり、白石にとっては「呼吸ができる」数少ない聖域だ。
「……で、どうだった?」
俺がパンをかじりながら尋ねると、何もない空間からスッと白い手が現れ、コンビニの袋が差し出された。
続いて、白石の姿がゆっくりと滲み出るように現れる。
「買ってきたよ、『限定・激辛麻婆パン』。……すごい行列だったけど、誰も私の割り込みに気づかなかった」
「犯罪だぞ」
「お金はちゃんと置いてきたもん」
白石は悪びれもせず、隣にちょこんと座った。
彼女の能力制御は安定してきている。俺が定期的に彼女の「孤独」を吸い出しているおかげで、今の彼女は「消えたい時に消え、いたい時にいる」ことができつつあった。
……まあ、俺という充電器(あるいはゴミ箱)が近くにいれば、の話だが。
「それで、そっちはどう? 何か拾えたか?」
俺が本題を切り出すと、白石は少し声を潜めた。
「うん。……やっぱり、変だよ。あのスクールカウンセラーの先生」
蔵木先生。
最近赴任してきたばかりの、物腰柔らかな若い男性教師だ。生徒の悩み相談に熱心で、特に「能力の悩み」を抱える生徒からの人気が高い。
暴走した田中も、直前に相談に行っていたという噂があった。
「さっき、先生が席を外した隙に保健室に入ってみたの。……誰もいないと思って、先生のパソコンの画面を覗いたら」
白石は、震える手でスマホを取り出し、画面を見せてきた。
そこには、表計算ソフトで作られたリストの写真があった。
『対象者リスト』
A-04(剛田):適合率 B
A-08(白石):適合率 S(経過観察中)
C-02(田中):廃棄確認
「……『廃棄』だと?」
背筋がゾクリとする。
田中のあの暴走は、事故じゃない。「実験失敗」として処理されている。
「それとね、引き出しの奥に、これがいっぱい入ってた」
白石がもう一枚の写真を見せる。
映っていたのは、ラベルのないボトルに入った、毒々しい赤色のカプセル。
「……先生、電話で話してたの。『コンプレックス増幅剤』の効き目が不安定だ、って」
「ブースター……」
なるほど、合点がいく。
思春期の悩みなんてものは、本来あんな急激に爆発したりしない。
誰かが、その火種にガソリンを注いでいるとしたら。
「どうする? 相馬くん」
白石が不安げに俺を見る。
関わりたくない。それが本音だ。
だが、リストには『白石』の名前があった。適合率S。
もし放っておけば、彼女もいずれ田中のように実験台にされ、最後には――。
「……あー、クソッ」
俺はパンの袋をくしゃりと握りつぶした。
俺の平穏無事な高校生活は、もう手遅れなところまで来てしまっているらしい。
「白石。その『赤いカプセル』、手に入れられるか?」
「え? う、うん。盗み出すくらいなら、簡単だけど……」
「一つでいい。現物を確保してくれ。それが何なのか調べる」
俺は立ち上がった。
ただの「無能力者」として生きる道は断たれた。
だったら、降りかかる火の粉を払うために、俺も自分の「武器」を理解しなきゃならない。
「放課後、俺も『相談』に行ってくるわ」
「えっ、あの先生のところに!? 危ないよ!」
「大丈夫だ。俺は『悩みがない』のが悩みだ。……奴がどういう手口で人の心につけ込んでくるのか、この身で確かめてやる」




