第43話:天上の玉座
166階からの道のりは、果てしなく続く非常階段だった。
エレベーターは全滅。空を飛ぶドローン部隊も、レンの音波探知を警戒してか、不用意には近づいてこない。
静寂だけが支配する螺旋階段を、俺たちは黙々と登り続けた。
「……はぁ、はぁ。あと、どれくらいだ?」
「もう少し。……あと10階層分くらいで、最上階の『司令室』だよ」
白石が肩で息をしながら、端末のマップを確認する。
全員、体力は限界に近い。だが、足は止めない。
ここで止まれば、二度と動けなくなる気がしたからだ。
「……カケル。いる」
アリスが突然、足を止めて天井を見上げた。
その瞳は、何か恐ろしいものを見ているように大きく見開かれている。
「いるって……誰が?」
「『パパ』がいる。……全部の声を束ねてる、一番大きな黒い声」
アリスの言葉に、レンが眉をひそめる。
「組織のトップか。ようやくお出ましかよ」
「……行こう。挨拶しにな」
俺はアリスの手を引いて、最後の踊り場を駆け上がった。
最上階。
そこには、装飾のない重厚な両開きの扉が一つだけあった。
セキュリティロックは厳重だが、白石にかかれば時間の問題だ。
「……開けるよ。でも、変なの」
白石が操作盤から手を離す。
「セキュリティレベルが最高位なのに、私の侵入を『誘導』してるみたいだった。まるで、来るのを待ってたみたいに」
「罠か、あるいは余裕か。……どっちにしろ、入るしかない」
俺は扉に手をかけ、一気に押し開けた。
プシューッ……。
気圧調整の音がして、扉が左右にスライドする。
その先に広がっていたのは、息を呑むような光景だった。
壁一面がガラス張りの巨大なホール。
眼下には帝都の全て、いや、遥か彼方の地平線までが見渡せる。
雲海の上から世界を見下ろす、まさに神の視点だ。
そして、その中央。
無数のモニターに囲まれた椅子に、一人の老人が座っていた。
背中を向け、優雅にクラシック音楽を聴いている。
「……遅かったな。待ちくたびれたよ」
老人がゆっくりと椅子を回転させ、こちらを向いた。
白髪に整えられた髭。穏やかそうに見えるが、その眼光は猛禽類のように鋭く、底知れない知性を宿している。
「あんたが、この場所の主か」
俺が問うと、老人は鷹揚に頷き、立ち上がった。
「いかにも。私が神宮寺。この国を統べる『組織』の総帥であり、この愚かな世界を導く管理者だ」
神宮寺。
その名を聞いた瞬間、レンが殺気立った。
「てめぇか……! 俺たちをモルモットみたいに扱いやがって!」
「モルモットではない。尊い『検体』だよ」
神宮寺は悪びれる様子もなく、窓の外へ視線を向けた。
「私は人類を次のステージへ進化させようとしているだけだ。君たちのような『特異点』を量産し、この停滞した世界を救うのだよ」
「そのために、失敗作を廃棄処分にするのか?」
「進化には犠牲がつきものだ。……君なら分かるだろう? 『虚無』の能力者、相馬カケルくん」
神宮寺が俺の名前を呼んだ瞬間、背筋に悪寒が走った。
なぜ俺の名前を?
「……君のデータはずっと見ていたよ。君は『失敗作』ではない。私の計画における、最も重要なサンプルだ」
神宮寺が指を鳴らす。
すると、周囲のモニターに、幼い頃の俺の映像が映し出された。
施設にいた頃の映像。検査を受けている映像。そして――母さんと逃げ出した日の映像。
「な……!?」
「君の母親が君を連れ出したのも、私のシナリオ通りだ。野生の環境で『虚無』がどう育つか、観察させてもらった」
「……全部、お前の掌の上だったって言いたいのか?」
俺の中で、ドロリとしたどす黒い感情が溢れ出す。
怒りではない。もっと冷たく、深い殺意だ。
「相馬くん、落ち着いて。……挑発に乗っちゃダメ」
白石が俺の腕を掴む。その手は震えていた。
「さあ、最後の実験を始めようか。君の『虚無』が全てを飲み込むか、私の『理想』が世界を覆うか」
神宮寺が両手を広げる。
その背後から、人間とは思えないほど巨大なプレッシャーが膨れ上がった。
アリスが悲鳴を上げて耳を塞ぐ。
「……レン、白石、アリスを頼む」
俺は黒い霧を全身から噴出させた。
言葉はいらない。
ここにあるのは、どちらかが滅びるまでの殺し合いだけだ。




