第42話:重力の檻
「質量ゼロ……なるほど、それがあなたのカラクリですか」
タカミネは感心したように頷きながらも、余裕の笑みを崩さない。
俺は羽毛のような軽さで地面を滑り、一気に距離を詰めた。
「分析してる暇があるなら、避けてみろ!」
俺はタカミネの懐に飛び込み、渾身の右ストレートを放つ。
拳は彼の顔面を捉えた――はずだった。
パシッ。
軽い音がして、俺の拳はタカミネの掌で受け止められた。
いや、受け止められたというより、「触れただけ」だ。
「……軽い。軽すぎますよ、相馬さん」
タカミネが憐れむような目を向ける。
「物理学の基本です。衝撃力(F)は、質量(m)と加速度(a)の積で決まる。あなたの質量がゼロに近いなら、その拳はそよ風と同じだ。痛くも痒くもない」
「しまっ……!」
気づいた時には遅かった。
俺が攻撃の瞬間に実体化(質量を戻す)しようとすれば、その瞬間に重力で潰される。
かといって、質量ゼロのままではダメージを与えられない。
完全に手詰まり(チェックメイト)だ。
「では、こちらの番です」
タカミネの眼鏡が光る。
俺の拳を掴んだまま、彼は能力を発動した。
「【超重圧】」
ズドンッ!!
俺の右腕にだけ、突如として数トンもの重りが乗せられたような衝撃が走る。
骨がミシミシと悲鳴を上げ、俺はたまらず膝をついた。
「ぐアアアアッ!?」
「質量ゼロの状態を維持し続けるのは精神力を使うでしょう? 一瞬でも気が緩めば、この通りだ」
タカミネは俺の腕を掴んだまま、ゆっくりと締め上げていく。
「カケル!!」
レンが叫ぶが、彼もまた重力に張り付けにされ、身動きが取れない。
アリスは呼吸すら困難なようで、顔が土気色になっている。
まずい。このままじゃ全員死ぬ。
「終わりです。不適合者たち」
タカミネがもう片方の手を振り上げる。
とどめの圧縮が来る――その時だった。
ヴィィィィィィィン……。
微かだが、鋭い振動音が床を伝ってきた。
空気中ではなく、床の「固体」を伝わる振動。
「……む?」
タカミネが一瞬、眉をひそめる。
その振動は彼の足元から這い上がり、三半規管を直接揺さぶった。
「……うぐっ!?」
タカミネがよろめき、俺の手を離す。
平衡感覚を狂わされたのだ。
「へっ……ざまぁみろ……」
地面に這いつくばったまま、レンがニヤリと笑っていた。
彼の指先が、床のタイルを高速で叩いている。
空気振動が使えないなら、骨伝導で直接脳を揺らす。レンの機転だ。
「小賢しいマネを……!」
タカミネが激昂し、レンの方へ重力を集中させようとする。
その一瞬の隙。
俺にとって、それは永遠にも等しい好機だった。
「よそ見してんじゃねぇ!!」
俺は跳んだ。
質量ゼロの浮遊感でタカミネの真上を取り、そこで能力を解除する。
「なっ……!?」
「お前の大好きな重力だ! 有効活用させてもらうぜ!」
俺は空中で、自分の体重を一気に戻した。
さらに、タカミネが展開している「下向きの重力場」に身を任せる。
俺の本来の体重に加え、数倍の重力加速度が俺の体を砲弾のように加速させる。
「馬鹿な、自ら重圧の中に飛び込むなど……!」
「計算違いだったな! 俺は頑丈なんだよ!」
俺は落下エネルギーの全てを右足の踵に乗せ、タカミネの脳天へと振り下ろした。
【虚無・流星脚】
ドォォォォォォォォンッ!!!
凄まじい轟音と共に、166階のフロアが陥没した。
タカミネの体は床を突き破り、下の階層へと叩き落とされた。
周囲の重圧が霧散し、ガラス張りの天井が衝撃波で粉々に砕け散る。
「はぁ……はぁ……」
粉塵の中、俺は片膝をついて立ち上がった。
足の骨にヒビが入ったかもしれない。だが、勝った。
「……無茶苦茶しやがる」
レンがふらつきながら起き上がり、肩をすくめた。
「敵の重力を加速に使うなんざ、自殺志願者の考えることだぜ」
「お前のサポートのおかげだ。助かった」
俺はレンと拳を軽く合わせ、震えている白石とアリスに手を差し伸べた。
「行こう。邪魔者は消えた」
頭上には、突き抜けるような青空と、さらに高くそびえるタワーの頂上が見えている。
俺たちは瓦礫を踏み越え、最後の階段へと足をかけた。




