第41話:天空の回廊
166階のフロアゲートをこじ開けると、そこには予想外の光景が広がっていた。
「……なにこれ。植物園?」
白石が呆気にとられた声を出す。
無機質な鋼鉄の通路から一転、目の前には緑豊かな庭園が広がっていた。
天井はガラス張りになっており、雲海と青空が一望できる。人工太陽の柔らかな光が降り注ぎ、小鳥のさえずり(恐らくスピーカー音源だが)まで聞こえてくる。
「趣味が良いのか悪いのか……。気味の悪い場所だぜ」
レンが警戒して周囲を見回す。
敵の姿はない。警報音すら鳴っていない。
だが、その静けさが逆に俺の肌を粟立たせた。
「……いるぞ。奥だ」
俺たちは庭園の中央へと進んだ。
噴水広場の中央にある白いベンチに、一人の男が優雅に足を組んで座っていた。
真っ白なスーツに身を包み、手には文庫本を持っている。
「ようこそ、空の孤島へ。随分と派手なご到着でしたね」
男が本を閉じ、ゆっくりと立ち上がった。
細身で神経質そうな顔立ち。眼鏡の奥の瞳は、爬虫類のように冷たい。
「お前がここの受付嬢か? 悪いがアポは取ってない」
俺が挑発すると、男はクスリと笑った。
「私の名はタカミネ。このタワーのセキュリティ統括責任者であり――『全人類覚醒計画』の第一号成功検体です」
成功検体。
つまり、組織が理想とする「完成された能力者」ということか。
「ここから先、最上層の制御室へは通しません。あなた方の旅は、この美しい庭で終わりです」
「御託はいい。……どけ!」
レンが先制攻撃を仕掛けた。
【音響衝撃】。
不可視の音波の弾丸が、タカミネの顔面へ向けて放たれる。
だが――。
ドォンッ!!
「……あ?」
レンの放った音波が、タカミネの数メートル手前で急激に「下」へ曲がり、地面に激突した。
花壇の土が弾け飛ぶ。
「音が……落ちた?」
白石が目を見開く。
「重力だ」
俺は即座に前に出た。
「こいつ、重力を操作してやがる!」
「ご名答。私の能力は【重圧領域】。私の視界にあるものはすべて、私の定めた重さに従う」
タカミネがスッと眼鏡の位置を直す。
ただそれだけの動作で、俺たちの周囲の空気が鉛のように重くなった。
「ぐっ……!?」
全員の膝が折れ、地面に押し付けられる。
背中に見えない巨人が乗っかっているような感覚だ。
アリスが悲鳴を上げてうずくまる。
「きゃああっ!」
「ア、アリスちゃん……!」
白石が這いつくばりながらアリスを守ろうとするが、指一本動かすのもやっとの状態だ。
「まずは2倍。……訓練を受けていないネズミなら、これだけで内臓が潰れるはずですが。意外としぶといですね」
タカミネは涼しい顔で歩み寄ってくる。
彼だけはこの重力の影響を受けていない。
「くそっ……! 音が……伝わらねぇ……!」
レンが歯を食いしばる。
空気が圧縮されすぎて、振動媒体としての役割を果たしていないのだ。
重力操作は、音使いにとって最悪の相性だった。
「終わりです。そのまま土に還りなさい」
タカミネが俺の頭上で手をかざす。
更なる加重が来る。骨がきしむ音が聞こえた。
だが、俺はニヤリと笑ってみせた。
「……重力? だからどうした」
俺の体から、どす黒い霧が噴き出した。
【虚無・質量消失】。
俺自身の質量を「ゼロ」に近づけることで、重力の影響を無効化する。
俺は重圧を跳ね除け、ゆらりと立ち上がった。
「な……?」
タカミネの表情が初めて曇る。
「お前の理屈なんざ知ったことか。……ここからは俺のターンだ」
俺は地面を蹴った。
重力使い対、質量を消す男。
矛盾する二つの力が、天空の庭園で激突する。




