第37話:忘れられた路線
地下鉄のメンテナンス用通路は、湿気とカビの臭いで満ちていた。
足元をネズミが走り抜け、遠くから地下鉄が通過する轟音が地響きのように伝わってくる。
「……こっち。この先に、廃棄された旧路線の駅があるはず」
先頭を歩く白石が、タブレットの明かりを頼りに指差す。
彼女はこの迷路のような地下マップを完全に頭に入れているようだ。
「まだ歩くのかよ……。もう足が限界だ」
助け出した市民の一人が弱音を吐く。
無理もない。彼らは一般人だ。恐怖と疲労で限界に近い。
「置いていかれたいなら、そこで寝てればいい」
レンが冷たく言い放つ。
「追手のセンサーには引っかからないようにしてるが、生体反応までは消しきれねぇ。グズグズしてると全員まとめて蜂の巣だ」
厳しい言葉だが、効果はあった。
市民たちは怯えた顔を見合わせ、再び重い足を引きずり始めた。
「……レン、言い過ぎだ」
「事実だろ。足手まといなんだよ」
レンは悪態をつきながらも、アリスの手をしっかりと握り、時折後ろを振り返って警戒を怠っていない。
彼の苛立ちは、守るものが増えすぎたことへの不安の裏返しだ。
さらに十分ほど歩くと、錆びついた鉄柵が現れた。
白石が端末をかざすと、電子ロックが解除され、キーっという不快な音と共にゲートが開く。
その先には、驚くべき光景が広がっていた。
「……駅?」
そこは、何十年も前に封鎖されたであろう地下鉄のホームだった。
埃を被ったベンチ、ひび割れたタイル、広告が剥がれ落ちた看板。
だが、電気は通っているらしく、非常灯が薄暗く空間を照らしている。
「『旧・帝都第三区画』。都市開発の失敗で埋め立てられたゴーストステーションだよ。ここなら地上の監視網も届かない」
白石が安堵の息をつく。
市民たちはホームに雪崩れ込み、その場にへたり込んだ。
「助かった……のか?」
「ああ、とりあえずはな」
俺はホームの隅に腰を下ろした。
どっと疲れが出る。能力の使いすぎで体が重い。
「……ありがとう。君たちのおかげで命拾いした」
先ほどの代表の男が、深々と頭を下げてきた。
他の市民たちも、涙ながらに感謝の言葉を口にする。
「勘違いするな。俺たちは正義の味方じゃない」
俺は彼らの視線を遮るように手を振った。
「俺はただ、あの『選定の儀』ってのが気に食わなかっただけだ。お前らはそのついでだ」
突き放すような言い方だが、彼らはそれでも縋るような目を向けてくる。
彼らにとって、俺たちは唯一の希望なのだ。
「……相馬くん、ツンデレ?」
白石が隣に座り、クスクスと笑いながら小声で言った。
手には栄養補助食品のバーを持っている。
「うるさい。……アリスちゃんはどうだ?」
「レンくんの膝枕で寝ちゃった。相当疲れてたみたい」
視線を向けると、レンが壁に寄りかかり、眠るアリスの髪を不器用に撫でている姿があった。
いつもの憎まれ口はどこへやら、その表情は穏やかな兄の顔だ。
「……ここを拠点にしよう」
俺は白石から受け取った食料をかじりながら言った。
「帝都のど真ん中に、これだけの隠れ家があるのは好都合だ。ここからなら、奴らの中枢にいつでも仕掛けられる」
地上では今頃、俺たちの大捜索が始まっているだろう。
だが、灯台下暗し。
帝都の「忘れられた場所」から、俺たちの反撃が始まる。




