第36話:秩序への冒涜
広場はパニックに陥っていた。
処刑されるはずだった市民たちが手枷を外され、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
それを取り押さえようとする警備兵と、俺たちを排除しようとする増援部隊。
怒号と悲鳴、そしてサイレンの音が混ざり合い、完璧だった帝都の秩序は瞬く間に泥沼と化した。
「相馬くん! アリスちゃんと一緒に退路を確保したよ! 地下鉄の搬入路が開いてる!」
インカムから白石の焦った声が響く。
彼女は姿を消したまま、混乱する市民たちを誘導してくれているようだ。
「了解。……レン、そっちはどうだ?」
「最悪だ! 空からハエみたいにドローンが湧いてきやがる!」
上空を見上げると、無数の治安維持ドローンが編隊を組んで飛来していた。
奴らが搭載しているのは暴徒鎮圧用のゴム弾じゃない。実弾だ。
「警告。テロリスト認定。即時射殺を許可する」
機械的なアナウンスと共に、空が赤く染まった。
数百の銃口が一斉に火を噴く。
「……たく、歓迎が手厚いな」
俺は逃げ遅れた市民の前に割り込み、両手を広げた。
【虚無・広域吸収】。
パラララララッ!!
激しい着弾音が響くが、痛みはない。
俺の体表を覆う黒い霧が、弾丸をすべて飲み込み、運動エネルギーをゼロに還していく。
まるでブラックホールに向かって豆鉄砲を撃っているようなものだ。
「化け物め……!」
警備隊長らしき男が震える声で叫ぶのが聞こえた。
俺はニヤリと笑う。
「褒め言葉として受け取っておくよ。……おい、今のうちに走れ!」
俺の背後で腰を抜かしていた市民たちが、我に返って走り出す。
「させるか! 総員、突撃!」
「うるせぇんだよ、お前ら」
レンがビルの壁面を蹴って飛び出した。
彼が懐から取り出したのは、自作の音響手榴弾だ。
「ハッピークワイエット・グレネードだ。食らいな」
爆発音はない。
だが、炸裂した瞬間に発生した「超高周波」が、警備兵たちの平衡感覚を直撃した。
彼らは一斉に耳を押さえ、嘔吐しながら地面に崩れ落ちていく。ドローンの編隊も制御を失い、互いに衝突して墜落した。
「ナイスだ、レン!」
「礼はいい。さっさとずらかるぞ。……アリスが限界だ」
白石のステルス迷彩で隠されているが、近くにアリスもいるはずだ。
この戦場の殺気と混乱は、感受性の強い彼女には猛毒すぎる。
「よし、撤収だ!」
俺たちは煙幕代わりの黒い霧をばら撒きながら、白石がハッキングでこじ開けた地下鉄のメンテナンスハッチへと滑り込んだ。
重厚な鉄扉を内側からロックする。
地上の騒音が、分厚いコンクリートの向こうに遠ざかっていく。
「……はぁ、はぁ。全員、無事?」
ステルスを解いた白石が、アリスを抱きかかえながら姿を現した。
アリスは顔面蒼白で、白石の胸に顔を埋めている。
「大丈夫だよ、アリスちゃん。もう痛い音は聞こえないからね」
白石が優しく背中をさする。アリスは小さく頷いた。
その周りには、俺たちが助け出した十数人の市民たちが、怯えた様子で座り込んでいた。
「あ、あの……あなた方は……?」
代表の男が恐る恐る声をかけてくる。
俺はフードを被り直し、短く答えた。
「ただの通りすがりだ。……と言いたいところだが、ここから先は俺たちに従ってもらう。生きてこの街を出たいならな」
帝都のど真ん中で狼煙を上げてしまった。
もう後戻りはできない。俺たちは正式に、この国家の「敵」になったのだ。




