第30話:記憶の焼却炉
廃墟と化した旧市街。
車を降りると、焦げ臭い匂いが鼻をつく。10年経った今でも、何かが燻っているようだ。
「……誰もいねぇな。音もしねぇ」
レンが周囲を警戒する。
風の音以外、生物の気配がない。鳥さえもこの場所を避けているようだ。
「案内してよ、アリスちゃん」
「うん……こっち」
アリスがふらふらと歩き出す。
彼女には「残留思念」の声が聞こえているのだろう。
この街で死んだ人々の、断末魔の叫びが。
俺たちはアリスに導かれ、街の中心にある白い塔――旧国立薬理研究所の跡地へと入った。
エントランスは瓦礫で埋まっていたが、白石が「存在しない通路」を見つけてくれたおかげで、地下への入り口を発見できた。
「……ここだ」
地下へ続く螺旋階段。
俺の脳裏に、強烈な既視感が走る。
(知ってる。この階段……この冷たい手すりの感触)
『逃げて、カケル!』
誰かの声がフラッシュバックする。
白衣を着た女性? いや、男性か?
顔が思い出せない。モザイクがかかったように認識できない。
「ッ……ぐ、ぅ……」
俺は頭を押さえて膝をついた。
「おい、大丈夫か!?」
「相馬くん!?」
レンと白石が駆け寄る。
俺は荒い息を吐きながら、首を振った。
「大丈夫だ……記憶が、戻りかけてる。……この先に、俺の部屋があったはずだ」
俺たちは地下最深部へ降りた。
そこにあったのは、いくつもの独房が並ぶ無機質な廊下。
そして、その突き当たりにある厳重な扉。
プレートには『Specimen-00(検体ゼロ)』と書かれていた。
「……開けるぞ」
錆びついたハンドルを回す。
重い金属音と共に、扉が開く。
中は、何もない白い部屋だった。
家具も、実験器具もない。
ただ、部屋の中央に、古びた「ぬいぐるみ」が一つだけ落ちていた。
「……なんだ、これ」
俺は歩み寄り、そのぐるぐる目のぬいぐるみを拾い上げた。
その瞬間。
ぬいぐるみから、とてつもない量の「想い」が流れ込んできた。
『ごめんね、カケル』
『お母さんには、こうすることしかできない』
『あなたの心を……「空っぽ」にしてでも、生きてほしい』
「――っ!!」
映像が弾ける。
10年前。炎に包まれる研究所。
俺を抱きしめる女性。彼女は泣きながら、俺の額に何かを押し付けている。
それは注射器でも、機械でもない。
彼女自身の「手」だ。
『私のギフトは「忘却」と「虚無」。……あなたの悲しみを、痛みも、記憶も……すべて私が持っていく』
『だから、あなたは何も持たずに生きて。……何者でもない、ただのカケルとして』
女性が微笑む。彼女の体は炎に巻かれ、崩れ落ちていく。
俺は彼女の手によって、瓦礫の隙間から外へと放り出される――。
「……母、さん……?」
俺は呆然と立ち尽くした。
俺が「空っぽ」なのは、実験の失敗じゃない。
母親が、俺を守るために……俺のトラウマや記憶、そして「組織に利用される才能」の全てを、自身の能力で消し去ったからなのか?
「……相馬、くん」
白石が背中をさする。
俺の頬を、冷たいものが伝っていた。
だが、感傷に浸る時間は与えられなかった。
アリスが悲鳴を上げた。
「――来る!!」
部屋のモニターが突然起動する。
砂嵐の向こうから、聞き覚えのある声が響いた。
『感動の再会だね、被検体ゼロ。いや……「裏切り者の息子」くん』
蔵木だ。
死んだはずの彼が、画面の向こうで嗤っていた。
だが、その姿は異様だった。
顔の半分が機械化され、背後には無数のチューブが繋がっている。
『君の母親――先代「虚無」の能力者は厄介だったよ。自身の存在ごと、研究データを消滅させてしまったのだからね』
『だが、君がここに戻ってきたことで、最後のピースが埋まった』
部屋の四隅から、シューッという音と共にガスが噴き出す。
睡眠ガス? いや、違う。
『さあ、返してもらおうか。……君の中に眠る、母親の能力の「種」をね』
轟音と共に、天井が崩落した。
降ってきたのは、巨大な人型の影。
組織が送り込んだ次なる刺客――いや、それは人間ではなかった。
全身が黒い装甲で覆われた、自律機動型の『殺戮兵器』。
「……へっ、次から次へと……休む暇もねぇな!」
レンが前に飛び出し、衝撃波を放つ。
俺はぬいぐるみをポケットにねじ込み、涙を拭った。
真実は見えた。
俺は「失敗作」じゃない。「守られた存在」だった。
なら、やることは一つだ。
「……親孝行の時間だ。行くぞ、お前ら!」
狭い地下室での、対ロボット戦が幕を開ける。




