第3話:借り物の殺意
「テメェ、人のモノを……!」
ファントムが吼える。奴の背中から伸びた影が、鋭利な鎌となって俺の首を薙ぎ払いにきた。
速い。普通の俺なら反応すらできずに首が飛んでいただろう。
だが、今の俺には「見える」。
奴の攻撃軌道、そして、その裏にある『焦り』と『怯え』が。
キンッ!
俺は無造作に右腕を振り上げた。
俺の腕を覆っていた黒い霧が瞬時に硬化し、鋼鉄のような刃となって奴の鎌を受け止める。
火花が散り、重い衝撃が腕に走る。けれど、押し負けていない。
(重いな……これが、他人の人生の重さか)
腕を通じて、ドロリとした感情が脳内に流れ込んでくる。
『あいつを見返したい』『馬鹿にした奴らを切り刻みたい』
そんなドス黒い殺意が、俺の思考を侵食しようとする。普通の人間なら、この精神汚染だけで発狂するかもしれない。
けれど、俺は「空っぽ」だ。
いくら汚れた水を注がれても、俺という器は染まらない。ただ流れて、通り過ぎていくだけ。
「……返すぜ。お前のその、暑苦しい劣等感」
俺は一歩踏み込み、受け止めた刃を弾き返した。
体制を崩したファントムの懐がガラ空きになる。
「な、なんで俺の『影刃』を俺よりうまく……!?」
「知るかよ。お前より俺の方が、冷静ってだけだ」
俺は右腕の刃を振り抜いた。
狙うのは肉体じゃない。奴の身体に纏わりつく、黒い靄の核。
ザシュッ!!
手応えは軽かった。
俺の刃がファントムの胸元を切り裂くと同時に、奴の悲鳴が上がる。血は出ない。代わりに、傷口から大量の「黒い感情」が霧散していく。
「あ、あぁ……俺の力が、抜けて……」
コンプレックスを強制的に排出されたファントムは、ただの気弱そうな男子生徒――クラスメイトの田中に戻り、その場に崩れ落ちて気絶した。
「……はぁ、はぁ」
俺もまた、膝をついた。
田中の意識が途切れたことで、供給源を断たれた俺の右腕も、元の華奢な腕に戻っていく。
「最悪だ……」
口の中に、錆びた鉄のような後味が残っている。
他人の心を無理やり食わされた気分だ。吐き気がする。
だがそれ以上に恐ろしいのは――あんなに不味い感情でも、満たされた瞬間に感じた「全能感」への渇望だった。
(俺は、これを求めていたのか?)
「……あ、あの」
震える声に、ハッと顔を上げる。
壁際でへたり込んでいた白石が、涙目で俺を見ていた。
「相馬……くん、だよね?」
彼女は『不可視』の能力者だ。普段なら、こんな至近距離でも認識がブレて顔を覚えられないはずだった。
でも今、彼女の瞳には、はっきりと俺が映っている。
「……見たか?」
「う、うん。……食べた、よね? 田中くんの影」
一番バレたくないところを見られている。
俺は頭をガシガシとかきむしり、ため息をついた。
「忘れてくれ。……と言っても、無理か」
「相馬くんの能力って、霧じゃなかったの?」
「霧だよ。ただ、ちょっと混ざり物を拾いやすい性質なだけだ」
適当にごまかして立ち去ろうとした、その時だ。
「……私のも」
「え?」
白石が、スカートの裾をギュッと握りしめて、蚊の鳴くような声で言った。
「私の……『誰にも見られたくない』っていうこの気持ちも……いつか、相馬くんなら食べてくれるの?」
その問いかけは、救済を求める祈りのようにも、あるいは自分を殺してくれという懇願のようにも聞こえた。




