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第18話:虚無と飽和

「――オラァアアアアッ!!」


レンの絶叫と共に、放たれた音塊が空間をねじ切る。

防衛システムのレーザー砲台が飴細工のようにひしゃげ、火花を散らす。

だが、その程度の抵抗では止まらない。

本命は、アリスを閉じ込める巨大水槽だ。


パリーンッ!!


高周波振動を受けた強化ガラスが、粉々に砕け散った。

大量の培養液が滝のように溢れ出し、研究所の床を水浸しにする。


「アリスッ!」


レンが駆け寄る。

だが、宙に放り出されたアリスの体は、まだ無数の太いケーブルに繋がれたままだ。

そのケーブルは赤黒く明滅し、狂ったような速度でデータを送り続けている。


『馬鹿な奴らだ! 強制切断すれば、逆流したデータで彼女の脳は焼き切れるぞ!』


スピーカーから蔵木の嘲笑が響く。

レンが凍りついた。ケーブルを引き抜こうとした手が止まる。


「そ、んな……じゃあどうすれば……!」


アリスが苦悶の表情で痙攣する。

許容量を超えたノイズが、彼女の自我を白く塗りつぶそうとしていた。

猶予はない。あと数秒で、彼女は「物言わぬ受信機」として完全に壊れる。


「……どけ、レン」


俺はレンの肩を突き飛ばし、アリスを抱きとめた。


「相馬!?」

「俺が『バイパス』になる」


俺はアリスの濡れた体に触れ、意識のチャンネルを全開にした。

普段はセーブしている「吸引」の出力を、リミッターごと外す。


「アリスちゃんと言ったな。……聞こえるか? その汚いノイズ、全部お兄さんの方に流しな」


直後。


ドォォォォンッ!!


俺の脳天に、鉄槌が落ちたような衝撃が走った。


「が、あ、ァアアアアアッ!?」


視界が真っ赤に染まる。

痛い、熱い、重い、臭い、汚い、寒い、うるさい――!!

都市中から集められた何千、何万人分の「妬み」「恨み」「絶望」「殺意」。

ヘドロのような負の感情が、アリスというフィルターを通さず、ダイレクトに俺の中へ雪崩れ込んでくる。


(無理だ。これだけの量は、入らない)

(俺の器が割れる。自我が溶ける。俺が誰だか分からなくなる――)


俺の全身から血が噴き出した。鼻から、耳から、目から。

キャパシティオーバー。

「虚無」でさえ飲み込みきれないほどの、圧倒的な悪意の質量。


『ハハハ! 素晴らしい! その身一つで都市の闇を引き受けるつもりか! だが、君ごときの自我で耐えられるかな!?』


蔵木の声が遠い。

意識が途切れかける。

俺の手が、アリスから離れそうになる。

ダメだ、今離したら、こいつが死ぬ。俺が食い切るんだ、俺が、俺が――


「――ひとりで、格好つけてんじゃねぇよッ!!」


ドンッ!

背中に、強烈な衝撃。

レンだ。彼が俺の背中を両手で叩き、叫んでいた。


「テメェは俺の『壁』になるんだろ!? だったら最後まで立ちやがれ! 俺の妹も、テメェも、どっちも潰させねぇ!!」


レンが能力を使う。

俺の体内で暴れ回る「ノイズの震動」を、彼が外から音波で相殺し、強引に整えているのだ。

破壊のための力を、俺を繋ぎ止めるための「タガ」として使っている。


「私も……いるよ!!」


正面から、白石が俺とアリスごと抱きしめてきた。

冷たくて柔らかい感触。


「相馬くん、消えないで! ここにいて! 私が相馬くんを『見てる』から!!」


彼女の『不可視』の逆転。

対象を「絶対に見失わない」という強烈な観測。

世界が俺の存在を忘却しようとする圧力に対し、彼女の視線が俺の輪郭を縫い止める。


(……ああ、そうか)


レンが支え、白石が縛り付けてくれている。

「何もない」俺の中に、今、確かな「絆」という杭が打ち込まれた。


それなら――耐えられる。


「……う、うおおおおおッ!!」


俺は叫びと共に、アリスの中に残っていた最後のノイズまで根こそぎ吸い上げた。

アリスの表情が安らかになり、繋がれていたケーブルが炭化してボロボロと崩れ落ちる。


「……パスは通った。あとは、これを……捨てるだけだッ!!」


俺はアリスをレンに預けると、ふらつく足で立ち上がり、天井のカメラ(蔵木の視点)を睨みつけた。


「返品だ……受け取れェエエエッ!!」


俺の両手から、漆黒の奔流が放たれた。

吸い込んだ全ての悪意。

数万人分のコンプレックスの塊が、物理的な破壊光線となって天井を貫く。


『な、なんだその出力は!? 馬鹿な、計算が合わな――』


ズガァァァァァァンッ!!


天井が吹き飛び、研究所の上層階ごと蔵木のいるフロアを飲み込んだ。

轟音。崩落。

そして、訪れる静寂。


俺は空を仰いだまま、ゆっくりと後ろへ倒れ込んだ。


「……へへ。……ざまぁみろ」


意識がブラックアウトする寸前。

レンの「ありがとな」という泣きそうな声と、白石の温かい手が俺の頬に触れるのを感じた。

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