1.
階段は階段といっても、こっちは上る方の階段で。
裏手から回って、裏口のドアを開ける頃には。
あの庭園に続く階段のことも、美しいグラフィックのことも。
今一度、おさらば。
五堂絵卯は、ここへ来てまもない。
何でもない制服を着て。
雑誌の取り揃えから、清掃から。
ただ、レジに立っていることまで。
彼女にとっては何でもあることだが、世間から見れば、何でもないことで。
ただひとつ。
天井を見上げれば、ポップアップがある。
結構、人気になってきているよなあ。
絵卯は揚げ物の手を止めて、ぼんやり。
天井を見たり、客と眼が合ったり。
もし、自分の作ったものでない、何か別の人の制作物。
ということになったら、彼女にとっても、ポップアップは何でもないことで。
絵卯が店員でいる時間というのは、割と少ない。
それでも、店内のポップのほうは、いつまでも眼に留まる。
美しいグラフィック、か。
しかも、画面内で、だ。
彼女の中で大きい存在だった「宙に浮いた地面」の感触は、誰かの中でも、大きい存在になっていくのかもしれない。
その結果、どうだ?
店のほうは、青がメイン。
店を、スマホと共に出た、五堂絵卯。
今日の彼女は、緑のベレー帽。
画面内の美しいグラフィック、それに比べると、割と何もない道路。
平坦としている道。
漠とした空。
帰り道。
あとは、前と同じような状況が、なければいい。
絵卯の作品は人気を博す一方で、名前も顔も、一応世間には出ていない。
という自負。
彼女の眼に浮かぶ美しいグラフィックは元々、絵卯がEguri名義で出した、小説の舞台が背景になっている。
だから、絵卯の周辺情報なんて、全く興味を持たれない。
そのはずだった。
レンガ造りの建物。
絵卯の「愛車」は、そこに停めてある。
歩いて、それを取りに行く道々。
本当に、何もなければいい。
サドルもやられたことがあるし、今回は完璧な嫌がらせ、と言っていいかも。
レンガの建物、中はごくごく無機質な。
よく眼にするような料金所。
何台も何台も、細長い鉄と合金の集合体。
ハンドルの部分というのは、前々から彼女の気になる部分。
もっと気になるのは、彼女が居るレンガの建物、いわゆる駐輪場の自転車の台数が、一向に減る様子がない。
ように見えるところ。
使う理由はごく簡単。
店が近い。
空きのある時間帯が、必ずある。
停めた場所の番号は、毎回憶えていない。
絵卯は緑のベレーに、結わえた髪。
肌寒くもなく、暑くもなく。
不釣り合いな恰好の男が一人。
彼女はそちらにも、眼がいった。
「お前の考えは、まとまったか?」
そんな風に問いかけるような視線。
絵卯は少なくとも、そう感じた。
やっぱり、あった。
何でもなくない。
ハンドル部分。
不釣り合いな恰好の男が、ハンドル部分を見ていた。
絵卯に視線をよこす。それで、絵卯も見る。
で。
やっぱりあった。「駐輪禁止」。
「ここは駐輪場なのに」
と男が言う。
「なんで、こういうのを巻く必要がないのに、巻くやつが居ると思う?」
絵卯は無言。
この人の名前、なんだっけ。
「ヤマガタ……」
男はノーをした。
「樅ノ木」
肩までの黒髪。
それを一つに結わえて、白い首筋。
日本人離れした体型と、痩せ型のシルエット。手首があまりにも細い。
「そうですね。樅ノ木有人さん」
と絵卯。棒読み。
「私はここへ、料金を払うつもりで駐輪しただけです」
相変わらず、棒読み。
「で」
絵卯は、樅ノ木の手首へ視線を移す。
「あなたですよね、巻いたの。これ」
怒っている。
「この間から、樅ノ木さんを。よく見かけますけれど」
「今日はベレーだね」
と樅ノ木。
「この前はもっと、絵卯さんの作ったあの、グラフィックに印象が合いそうな恰好だったのに」
「あのですね。私はグラフィック、作りませんから」
絵卯の小説が舞台で、造られた美しいグラフィック。
使用されているのは、ゲームで。
有人はスマホで、その宣伝を流してみる。
絵卯は、更に有人の手首に注目。
その手が、何かを隠した。彼女は見逃さない。
「俺に巻かれたって思うなら、証拠をまず探ってみないと」
と樅ノ木。
「この場所に、防犯カメラがないはず、ないしな。見せてもらう努力をすれば、一発OKだ。証拠はバッチリ」
「無理でしょう、そんなの」
と絵卯。
「消そうと思えば、駐輪禁止を巻いている場面なんか。いくらだって消せますよ。加工とか。それに」
もし巻いているのが職員なら、なんらの非難にも値しない。
「どうやら例の人物は、ここには居ないみたい」
と樅ノ木。
「実際に、ここじゃなくて。あの場所で彼女? をあなたは見た?」
「だから、見てませんって」
と絵卯。
五堂絵卯と樅ノ木有人が出会ったのは、つい先日のこと。
「白緑の庭」。
絵卯の小説のタイトル。
それを舞台として造られた箱庭的育成ゲーム。
RPG含み。
登場人物のキャラ投票では、主に美少女キャラクターが上に来る。
あまり、他の何かとは変わらない、何か。
「だから、見てませんって」
と絵卯は言ったが、「彼女」の話題を出した樅ノ木自身も、実を言うと見たことはない。
一方、絵卯としては駐輪禁止より、更に気掛かりなことがあった。
匿名で小説を書いても、身バレしない確率なんて、ほんの一握りなのかもしれない。ということ。
漠とした空が続く、ごくごく平坦な黒敷。その街並み。
「でも」
と絵卯。
「最近、不思議なものを見る機会が多いって。周辺で、結構噂になってたりしますね。信ぴょう性は、ありません」
「で。結局、俺もあんたも、彼女を見ない、か」
「ですね」
駐輪場の防犯カメラ映像を、見せてもらうことは結局やめた。
駐輪禁止を巻かれるのは、これで何回目かになる。
料金は払う。
その後は、いたずらとして処理されるだけ。
絵卯が、樅ノ木に関して現段階で知っていることは、名前のみである。
「コスプレとかだったら、説明つきますかね。樅ノ木さんの気になる、彼女のこと」
駐輪禁止以外、愛車は無事。
絵卯はそれを、レンガ造りの建物から脱出させた。
何も変わり映えしない街。
樅ノ木は、絵卯について歩いている。
建物を見ながら、絵卯。
「あそこは……」
と思わずポツリ。




