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掲示板

送信してから三十分ほど、画面の更新ボタンを押す指は止まらなかった。夜更けの掲示板は、ふだんより人の気配が濃い。古びたスレッドが上がったり沈んだり、匿名の文字列が新しい話題をつかんでは離していく。

 わたしの書き込みも、やがて誰かの目に触れるだろう――そう思っていた矢先、返信が一件ついた。


 〈それ、よくある作り話じゃないですか?〉


 短く、鼻で笑うような文章。が、そこに続けて、もう一件。


 〈詳細を聞かせてください。特定班います〉


 無機質な黒字が、心臓の裏を押した。特定班――聞き慣れない響きだったが、掲示板の空気ではある種の合言葉らしい。いずれにせよ、わたしは指を止めた。下手に情報を出せば、悪趣味な遊びの餌食になる。だが、興味は、わずかに勝った。


 〈真水だけです。お茶やジュースでは何も聞こえません。聞こえるのは女の声で、時間は数秒から十秒。〉


 送信する。間もなく、返信が重なる。


 〈IP確認。国内〉

 〈過去にも似た事例を知ってます〉

 〈その症状、解決可能です。条件があります〉


 最後の文は、前夜に届いたメールと同じ書き出しだった。目がその一行に吸い寄せられる。送信者のハンドルネームは〈So_ma〉。スレッドの流れが急に早くなり、書き込みが雪崩れるように流れる。その中で、ひときわ短い文が飛び込んできた。


 〈DMを開放してください〉


 反射的にプロフィールを開く。そこには連絡先のリンクがひとつだけ。匿名のメッセージフォーム。迷いながらも、わたしは入力した。

 〈水城結衣です。あなたは誰ですか〉


 送信。しばらくして、返信が来た。


 〈ネット情報担当の城戸颯真。俺たちは3人組です。桐生紬と相良蓮司。事件の調査と解決を請け負います。料金は高いですが、結果は出します〉


 文面の整い方に、素人ではない匂いがあった。メールにあった「条件」とは何かを問うと、即座に返事が来る。


 〈水を一滴も飲まないこと。調査中は特に〉


 その言葉だけで、喉の奥がじりじりと渇いた。ペットボトルの麦茶に手を伸ばし、コップに注いで口を湿らせる。画面にはさらに短い行が続いていた。


 〈直接会いましょう。明日、十九時。駅前の地下喫茶“リモージュ”〉


 ***


 翌日の夕方、指定の喫茶店は駅ビルの奥、半分地下のような構造にあった。入口の上には古びたランプが一つ、薄暗く灯っている。店内に足を踏み入れると、カウンター席の端に三人がいた。

 ひとりは、細身の男。ノートPCの画面から視線を上げ、こちらを見ないまま軽く会釈する。これが城戸颯真だろう。

 向かいに座る女は、深緑のストールを首に巻き、白い指でマグカップを包んでいた。桐生紬――眼差しは柔らかいが、その瞳の奥に古びた地図のような複雑さが見える。

 最後のひとり、相良蓮司は、髭を短く整えた四十代の男。コーヒーをひと口飲み、「座りなよ」と低い声で言った。


 「昨夜の掲示板、君の書き込みはすぐ見つけた」城戸がキーボードを叩きながら言う。声は淡々としているが、わたしの反応を逃さない鋭さがあった。「過去二十四時間の水難事故と、君の発症時間を突き合わせた。かなり高い確率で一致してる」


 「一致……?」


 「偶然じゃないってこと」横から桐生が口を挟む。声は芝居がかっていて、やや楽しげですらあった。「ああいう声は、たいていは耳の病気。でも、真水だけに反応するのは、別の系統ね」


 相良が、ポケットから小さな封筒を出した。中には何枚かの写真が入っている。川辺、湖畔、舗装された用水路。どれも事故現場だ。ひとつの写真に目が留まった。水面に、白くぼやけた人の輪郭が浮かんでいる。


 「これ……」思わず声が漏れる。輪郭は歪んでいるが、女の長い髪がはっきりと水に溶けていた。


 「昨日の夜だ」相良が言う。「時間は二十三時五十二分」


 数字が、わたしの背骨を叩いた。昨夜、掲示板に書き込みを送信した時間と、同じだ。


 「料金のことは、あとで話そう」城戸が淡々と続ける。「ただ、君が水を飲み続ければ、この現象は終わらない。俺たちは、その原因を突き止めたい」


 その時、桐生が身を乗り出し、わたしの目を覗き込んだ。瞳に、ランプの光が小さく揺れている。


 「聞きたいの。――悲鳴の向こうに、何か見える?」


 わたしは、言葉を失った。昨夜、あの水音の底で、確かに……何かが覗いていた気がする。それを思い出した瞬間、背後で氷がグラスに落ちる音がして、心臓が跳ねた。振り返ると、店員が給水ポットを置き、笑顔で「お水、お持ちしますね」と言った。


 「いらない!」反射的に声が出た。店内の空気が、少し揺れる。城戸が小さく頷き、店員に目配せする。「お冷は結構です」


 ポットは下げられた。わたしの喉は、酷く渇いていた。

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