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5話

始業式が終わり、教室に戻ってくる。

今日のところはこれで解散だ。


「帰りどっか行こー。」

「あ、そういえば秋葉原の方に新しいカフェが―。」

「じゃあ俺は部活行ってくるわ。」

「俺は塾行かなきゃ…。」


少し周りに聞き耳を立ててみる。

集団という制約から解放されて、みんなそれぞれ自分の

あるべき領域へと向けて動き出す。

空間が動き始めるこのさりげない間は、どこか僕には心地良い。

俯瞰してみると少し気持ちが落ち着くのだ。


(世界は動いてるんだなあ。)


そう感じられるから。

ただこの動きが、僕にはちょっと忙しないだけ。


(帰ろう。新学期始まったから母さんに電話するんだった。)


その時ふと、涙川と目が合った気がした。


(いつの間に戻ってきていたのか。)


気がした、というのはその後すぐ彼女が他の人と話し始めたからで、気のせいだったなと思い、リュックを背負って

そのまま学校を後にした。




「もしもし。」

「もしもし?夏?今日からまた学校だったのよね。

 大丈夫そう?」

「ああ、うん。特に変わったことはないかな。」

「そう。」

「うん。」

「クラスが変わったんでしょ?秋の時は二年と三年のクラス 替えは無かったけど、夏のところはあるの?」

「いや、無いよ。兄さんと同じ。」


秋というのは、僕の兄、

籠秋風(こもり あきかぜ)のことである。

兄は僕が第一志望で受けたて落ちた都立高校の中高一貫校に入り、そのまま東大に進学した。今はあまり連絡は取っていないが。

母さんは大抵、口では言わないようにしているのだろうが、

暗に僕と兄を比べる節がある。


語弊が無いように言うと、母は所謂毒親とか、そう言うものでは無い。僕たち兄弟はとても愛されて育ったと思う。

まあ父の方は良い意味でも悪い意味でも

子供に興味はないようだが。

ただ少し、いろんな人や考えと関わることが少なかったんだと思う。子供への強い愛ゆえに、その全てを知ろうとして過干渉気味なのは否定できないし、思慮の浅さや幼さを感じる時もある。母の気に入らないものを僕が好きだと言ってみると、


「どこで育て方を間違えたんだろう…。」


そう、聞こえるように呟くことも多かった。


「あたしだって人の子供なのよ。」


人の表情や、感情を読み取るのだけが取り柄だった僕は、

幼い時から、母は敢えてそれを聞こえるように

言うんだろう。ということも想像してしまって、それが

苦しくて、何だか切なくて、愛すべき親を心から愛せないかもしれないという罪悪と、恐怖に生きていた。


(いつか母さんが亡くなった時、僕はちゃんと泣けるだろうか。)


子供の頃はよく母がいなくなったらどうしようと、独り布団でいつか来る別れに怯えていたものだが。


ああ、大人びてゆく自分が気持ち悪い。

でも大人でありたい。大人らしい大人になりたい。


「ふーん。ちゃんと食べてるの?今年は一年生の時みたいにあんまりちょくちょく行ってあげられないんだからね。おばあちゃんのこともあるし。」

「ああ……おばあちゃんは最近どう?」

「ああそうだ、夏には言ってなかったわ。

 おばあちゃんね…今度うちから少し離れた町の方の

 特養に行くことになったから。」

「特養……。」


特別養護老人ホーム。基本的にはデイサービスなんかもやっているみたいだが、家族と離れ、人が最期を迎える場所の一つ。

一年ほど前からアルツハイマー症を発症した祖母は、祖父の介護では手に負えないと、然るべき施設を探していたのだ。


「もう寝たきりなの?」

「うーん…まだたまに車椅子に乗ったりはしてるみたい。ちゃんと顔見せに来てやんなさいよ。いつどうなるか分からないんだから。」

「…わかった。」

「じゃあとりあえずまた連絡するから。ちゃんと勉強しなさいよ。」

「…はい。」


なんとなく僕の方から先に通話を切る。


(……なんか疲れたな。)


また、もやもやする気持ちになってしまった。

親と話すと大体こういう気持ちになる。

不快とかではもちろんないのだが、一番近くにあるべきものの中に、自分の居場所を感じられない。

そんな漠然とした不均衡感が僕をまた一つ憂鬱にさせてしまう。


(結局自分がどう考えるか次第なんだよな…)


今日も寝つくのに時間がかかりそうだが、明日もあるので寝ないわけにはいかない。


(寝たら、また明日が来る。呼吸をするだけの明日が。)


えもいわれぬ虚しさに一つ息を吐いて、この夜もまた

長い静寂に耳を傾ける。

大人だって子供みたいな人の方が多いですよね。

でもそれはある意味では当たり前じゃないでしょうか。

子供だった人はみんな、教科書のない人間社会で「大人であること」と言う命題に取り組まざるを得ないのですから。

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