31話
結局、あれから涙川はぱったりと学校に来なくなった。
人が変わってしまう前は、彼女はあまり人との交流が
盛んでなかったために、彼女を心配しようにも、
殆ど全員がその話題について踏み込んでよいものなのか
自信がなく、現状を受け流すしかなくなっていた。
担任の酒井も、事情を知ってか知らずか、
あえて触れるようなことは終ぞなかった。
文化祭から一ヶ月が過ぎた。
再来週に修学旅行を控えた今日この頃、
僕らのクラスは一人を欠いているものの、
前と殆ど変わらない日常を繰り広げていた。
……少し変わったことと言えば。
「なあ、夏。」
「ん?」
雅歌に愛称で呼ばれるようになった。
本人曰く、
「夏草だと長いし夏でいいんじゃない?かわいいし。」
らしい。
最初のうちは少し慣れない掻痒感があったが、3日もすれば自然に返事も返せるようになった。
この頃は、雅歌があんまり明け透けに僕のことを「夏」
と呼ぶものだから、一部の人は籠夏草を簡略化して「コナっさん」とか呼んでいる。
流石に勘弁してほしい。
あとは、少し僕に話しかけてくる人が増えた。
まあ、文化祭であんなことがあったから心配してくれているのかも知れない。
だとしたら、ずっと気を遣われるのもあまり気持ちの良い話ではないが。
「芳野がさ、こいつ埼玉から来てるらしいんだけど、大宮にめっちゃうまいラーメン屋できたらしいんだけど一緒に行かね?」
「よっす、コナっさん。」
(お前もか。)
芳野晟一。すらっと伸びた背と、
モデルのような小顔に、柔らかな印象のショートヘアが
特徴的なバレー部副キャプテンの典型的な好青年である。
二人とも整った顔をしているものだから、雅歌と二人で並んでいると、傍目にはどこかの男性アイドルグループから引っ張って来たみたいだ。
身長差も相まってなんだかこう…
……一部の女性が騒ぎ立てそうな感じ。一部の、ね。
…僕がアイドルの基準わからないから参考にならないけど。
それでいて、性格は雅歌がふざけだすと付き従ってバカをする子供じみた側面もあるので、好きな人は好きだろうが、
今一つ万人にモテないのが玉に瑕である。
そういうちょっと勿体無い所が、僕は嫌いではない。
「ラーメン…今からか…。」
今日は土曜日。
授業は午前だけで、家に帰るついでにスーパーで惣菜でも買って帰ろうかと思っていた。
……なかなか悪い話ではない。
「どうする?」
「良いけど、なんで僕?」
「いやなんとなく。帰宅部だし。新しいラーメン屋開拓する仲間が欲しいじゃない?。」
「一人でやりなさいよ……。芳野は、部活は?」
「今日はオッフでござい。」
「ほえー。じゃあ行こうかな…。」
「お、まじか。じゃ急ごうぜ。腹減ったわ。」
「あそうだ、仙龍は……。」
教室を見渡すがどこにもいない。
(流石に部活があるか。)
彼らにとっては、午前授業の日なんて部活を長くやるために存在するようなものだからな。
心の中だけで合掌しておく。
「……行こうか。」
「行こ行こ……あ、杏来ちゃん!俺ら今日これか」
「行かない。」
「ガーン。」
「いいから行くよ。」
埼玉県大宮駅。
熊谷からだとここを通っても学校には行けるが、
僕の場合は別の路線で東京まで出てしまうので、
普段はあまり使わない。
様々な路線が通っていて、埼玉県の線路網で重要な役割を
持っており、駅周辺も相応に発展している。
芳野が見つけた店は、駅から少し離れた飲食店の立ち並ぶ
路地にあり、いかにもな店主と、醤油に合わせた(多分あれはたまり醤油)深いコクのある豚骨スープが印象的なラーメン屋だった。
僕は普段できるだけ安く済ませようと外食はあまりせず、
面倒なので土日に多く作り置きして、
同じものばかり食べる生活をしているので、
ラーメンなぞは殆どありつけない。
久方ぶりの高質な脂と塩分(ちょっと過多)に、
ふらふらするような満足感と罪悪感が後を引いている。
「旨かったなあ……。」
「まじでな。」
「だろぉ?おいどんが選ぶ店に間違いはないのよ。」
「天才や!お前!」
雅歌が芳野の頭をわしわしと撫でる。
……身長が足りないので芳野が頭を突っ込んでいるようにも見えるが。
このノリにはちょっとついて行けない。
「ラーメン……今度作ってみようかなあ……。」
「「は……?」」
「え?」
「作る?……ラーメンを?」
「まあ……手間はかかるけど…ちゃんと調べながらやれば作れるんじゃない。」
「コナっさん……料理男子なのか。意外。」
「まあ夏一人暮らしだもんね。」
「は?まじ?」
「ああ……まあ。」
雅歌め言い触らしよって……。
あんまり周知になっても面倒だ。これからはもう少し気をつけて発言しよう。
「まじかあ……。じゃあ今度コナっさんの家行っていい?」
「……まあ、機会があればね。」
「うっしゃー。タコパしようぜ、タコパ。」
是非やめていただきたい。
「夏、俺らこれからゲーセン行くけどどうする?」
「いや僕は……いいかな。帰るよ。」
「おっけー。じゃまたね。」
「コナっさんばいばーい!」
「ああ、また。」
全く、騒がしい子達だ。
ついていくことこそできないが、あの無邪気に付き合うのを楽しんでいる自分も確かにいた。
(もう少し、愛想を良くしようかな。疲れるけど。)
こうやって少しずつ、付き合いを増やして行けば、
そのうち辛さも割り切って上手に生きて行けるかも知れない。
時刻はまだ3時を過ぎたくらい。
折角商店の栄えているところまで来たので、食料品やら生活必需品やらを買って行こうと思い色々回ってみる。
両親からは、
一月の生活費として家賃を除いて八万円ほど賜っている。
この中から自分で遣り繰りするのだが、学生(特に僕みたいなの)は、自炊もできるし、服飾品や教養娯楽に使うお金が少ないので、月によっては余裕があったりする。
……基本制服だし。
そんなことを考えながら店を探して回っていると、
突然街中に神社へ続く道が現れた。
(ああそうか、ここは氷川神社の。)
散歩がてら、参道に沿って歩いてみる。
土曜の午後を同じく散歩する人々を観察しながら安穏と。
あ、あの老夫婦手繋いでる。
あの歳まで仲睦まじいのはすごいなあ。
あっちは若いカップルか…爆ぜないかな。
あら、あの子供転んだ。大丈夫かな。
お、泣くの我慢した。偉いね。
大きい犬だなあ。ご主人の方見てる。かわいいなあ。
……あれ?
(あれは―。)
見間違える筈も無い。
この深まりかけた秋の最中に咲いている桜なんて、
僕は一人しか知らない。
彼女は公園のベンチに座って本を読んでいた。
初めて見る私服姿。
夏を過ぎてくたびれたような秋の陽だまりの中。
長いスカートの中で脚を組んで、背を長椅子の右端に預けながら、項垂れて手許の本を読んでいる姿がとても美しくて、文学的で、僕は胸が痛くて呼吸が苦しくなるほど高揚しているのを感じた。
それは多分、相手が女の子だからとか、そういうのよりももっと静謐で美しいものへの憧れであった。
(恋をしているという気持ちは、こういうものなんだろうか。)
そういうことも、考え始めてはみたが、
その場合僕の気持ちの矛先は彼女、ではなくその光景に対してであるから、「恋」の限りでないのだろうかなど云々。
(やっぱりわかんないや。)
話しかけてしまわないで置こうかとも思ったけれど。
どうしても、その景色に触れてみたいという欲に
僕は負けた。
「…涙川、さん?」
良い子の皆さんは不登校になっちゃダメですよォ?




