22話
フランツ・リスト作
「ラ・カンパネラ」
「パガニーニによる大練習曲」の一つとしてリストが作曲した超絶技巧に満ち溢れる曲。
近年ではSNS等で人目につく機会が増えたこともあり、
クラシックに通じていなくとも、
多くの人が知る言わずと知れた名難曲である。
その背景を汲んだのかどうかはわからないが、
雅歌が選んだ一曲目はこれであった。
(すごいメンタルだ。)
人前で物を言うことさえ気後れしてしまうような僕からしたら、大きな舞台で、大勢の見る前で難易度の高いものに挑むというのは極めて胃の痛くなるような話である。
きっと、それを可能にするのは彼のそのメンタルだけではなく、
普段の練習や積み重ねてきた経験の数々がそうさせているのだろう。
雅歌の演奏は誰が見ても、たとえほんの数小節を聞いただけだとしても、洗練された技巧と、オーディエンスを丸々呑み込んでしまうような表現力を持っていることは明らかだった。
すっかり魅せられた生徒たちは、
ラ・カンパネラでは特に顕著である、
鍵盤の左右への移動に従って、
雅歌の指がモーターでも組み込まれたかのように滑らかな動きをするたびに、それを目で追っていた。
それはちょうど、振り回されるおもちゃを目で追いかける
子猫たちのように。
曲が進み、どんどんと加速してゆくにつれて、
聴衆も加速度的に没入してゆく。
このまま知らない世界に迷い込んで、
もう現実には戻ってこられないんじゃないだろうか。
そういったある種の危機感のようなものが、
むしろ僕たちの興奮を後押ししたのだ。
クライマックスが近づく。
当の雅歌も例の目で―彼にはもう、「音楽」しか見えていない。そう表現するのが最も調和する眼差しで―興奮気味に鍵盤を打ちつけて、そして、最後の音をあっけなく、
熱中する僕らの耳元に息を吹きかける悪戯のように、
そっと、置いていった。
みんな、黙っていた。
いや、待っていたというのが正確かも知れない。
最後の音が、その余韻が響いて振動が分散するまで、
長いのか短いのかもわからない時間を彷徨っていたと。
パチ、と、誰かが拍手をし始めた。
それに釣られて、思い出したようにパチ、パチと
立ち所に拍手が起こり始め、寸分の後には、体育館が聞いたこともないような量と勢いの破裂音で包まれた。
頭を冷やしていたのか、椅子の上で項垂れていた雅歌が立ち上がって、こちらに向き直った。
そこで礼をするのかと思ったら、俄にも両手を大きく振って
にこにこ(ニヤニヤ)と挨拶を返した。
先程までの顔つきがまるで別人だったかのように。
そのあっけらかんとした振る舞いは、生徒達にむしろ歓迎されていて、彼を照らすスポットライトが、今までの誰よりも明るく見えた。
そこから、彼は今時の流行の曲なんかをメドレーにしたりして演奏していたそうなのだが、最初の衝撃が強すぎたのか、
あまりよく覚えていない。
「―以上で、第八十二回、星黎高校文化祭、開会式を終わります。生徒の皆さん、これから二日間、全力で文化祭を成功させましょう!」
「いらっしゃいませー!」
「3年A組!お化け屋敷やってまーす!怖いものに自信のある人はかかって来い!」
「バレー部、縁日でクレープやってまーす!いかがですかー!」
それから、ようやく一般客の入場が始まり、まだ少し暑さも残るというのに、高校の周辺には大変な行列ができており、
開門から30分もすれば、校舎の中まで人がぎっしりと詰まっていた。
僕らの出店も、内容が内容なだけに、あまり人が集まらないものかとも思っていたが、飲み物片手に現役の高校生とお喋りをする、というのは文化祭というイベントではどうにも健全に映るらしく、数名が目を見張るようなコスプレをしているにも関わらず、老若男女に好評だった。
僕が応対したのは(若者はほとんど顔のいい者を指名するので)、来年惺黎高の受験を考えている中学生だったり、
腰を休めにきた老夫婦だったり。
僕が仙龍と同じで(シフトが違うので今はいないが)落ち着いた格好をしていて気が休まるのか、色々な話をしてくれた。
……本来は僕が会話をリードするべきなのだが。
「えっあの、霜村君って、朝ピアノ弾いてた人ですよね!」
「そうだよぉ〜。どうだった?」
「めっちゃ上手でした!」
……そう。同じシフトにはこいつが入っている。
今朝あんなにも強く輝いていた光が、今度は「くまのプーさん」に出てくるティガーの着ぐるみ(これは持参らしい)に身を包んで、おちゃらけた態度で多くの客を相手取っている。
朝の件もそうだが、もともと人に愛される見た目をしているので、客達はこぞって彼に相手をしてもらおうと指名している。
(……これが売れないホストの気持ち……。)
おかげで僕の方には殆ど仕事が入ってこないので楽だが。
「……うん!じゃあありがとね〜!」
明るく手を振って客を見送る雅歌を見ていると、僕の視線に気づいたようで、そそくさと走り寄ってきて口に手添えして囁いてくる。
「いや〜、今日はどうにも調子が良くてね!
モテてモテてしょうがありませんわ〜!」
「へえ。」
「なんでそんな興味なさげなんだよ……羨ましくないのかよぉ?」
「……うーん……あんまり人と関わりすぎるの得意じゃないからなあ…。」
「アッ…なんか……ごめん……。」
「いやいや。」
「ところで今何件目くらい?」
「うーん…4組くらいは…やったかな…?」
「一組10分までなのに!?もう始まって三時間は経つよ?」
「それは……煽りってやつかな?」
「え、あ、いやそういうのでは。」
全く。
ただでさえ持て囃されるような人は、発言に気をつけてもらいたいものだ。
「まあそろそろ昼時だから客足も減ってくるんじゃないかな。」
「そうね。」
「あ、籠くーん!ちょっと手空いてる〜?」
「おい、呼ばれてるよん。」
「ん、ああ。はーい?どうしましたー?」
裏方で働いていた女子…声的に三上だろうか?
が入口から声をかけてくる。
「さっきとなりちゃんにさー、ゴミ捨て頼んで持ってってもらったんだけど、まだ追加あったからこれ持ってってくれない?今ちょっと手離せなくてさ。」
「あ、はい。わかりました。」
「お願いねー!」
手渡された大きめのポリ袋には、
紙皿やデコレーションされた紙コップなどがぎっしりと
詰まっていて、紙の分際でかなりの重量になっていたが、
クラスのみんなの働きの成果を思わぬ形で垣間見ることができたような気もして、少しほっとしたような気分になった。
「じゃちょっと捨ててくるわ。」
「ゴミ捨て場遠いんだっけ?」
「確か…文化祭期間中のゴミ収集は全部第3棟の前の広場だったはず。」
「真逆じゃん……。」
「まあ、ゴミの山を来客に見せるわけにもいかないんでしょ。」
「あー…そういう。……俺がゴミ捨て、行こか?」
「どう考えてもいなくていいのは僕の方でしょ……。」
「いやいや……そんなことは……。」
否定しようとする雅歌だが、現実を直視して返事に窮している。
僕は苦笑いを浮かべて、
「ごめんって。じゃ行ってくるわ。」
とだけ言い残して教室を出た。
本来ならもっと急いで行動するべきなのだろうが、
まあ僕がいなくても大丈夫だろうという見立てのもとで、
他の展示や出店を見回りながら、ゆっくりとゴミ捨て場に向かった。
熱気と、希望と、興奮と、少しの気だるさで満たされた青々とした流体の中を、みんなより少し遅い速度で歩いてみるのも、また面白い観察ではあった。
いよいよ腕が重くなってきて、ゴミ捨て場も近づいてきたと思ったら、今度は目的地の方から何やら声が聞こえてきた。
僕は刹那に何か不穏なものを感じて物陰から様子を伺うことにした。
しかしてその光景を目にするや否や、僕の心臓が締め付けられるように苦しくなり、鼓動が早くなった。
「ねぇ、君ここの生徒でしょ?何年生?どこのクラス?」
「あの……まだ仕事中なので…。」
ゴミを捨て終わったすぐ後と思しき涙川が、三人の男子高校生に囲まれていたのだった。
模試があって更新できてませんでした、、、スミマセン、、、。




