17話
「おはよー。」
「おっすー。」
教室の所々からいつもの挨拶が聞こえる。
少し寝不足気味でうつらうつらとした僕の頭には
この日常的な挨拶がなんだかとても平和的な物に感じられた。やはり挨拶は大事である。
昨日は寝る分には寝れたのだが、そもそも高崎線が車両点検で遅延したので家に着くのが遅くなってしまったのだ。
…遅刻魔め。
まあ愚痴を言ってもしょうがない。
というかむしろ運営側は安全を期すために懸命に働いているのだから、文句などというのは筋違いか。
(これも反省だなあ。)
「おはよう。」
「んァ、ああ、おはよう。」
「すごい眠そうだね……。」
「仙龍に言われたくない……。」
「今日は朝練がちょっと短かったから眠気はいつもの……
3、いや…5……ううん、6分の4くらいだよ。」
(そこは約分しろよ。)
心の中だけで突っ込んでおく。
「それより今日も早いね。」
「ん?うん。物理のレポートが今日提出だから。
仕上げるの忘れてたんだ。」
「レポートかあ。理系は大変だね。」
ちなみにこの学校は、ホームルームのクラスが文理で分かれていない。科類の違う授業などでは完全に移動教室で生徒が移動して、体育や芸術、一部の数学や英語は共通してホームルームで行われる。
曰く、「学問の差によって偏らない広範な人格の養成」
であるらしい。
まあ、悪くはないんじゃないか。面倒だけど。
ちなみに僕の身近な人で言うと、
仙龍、涙川、百山、は文系
僕、安積香、雅歌は理系である。
蓼久保?あんなの圧倒的理系である。
性格がもう理系だもの。
「まあねー。でも今回の範囲は割と理解しやすいし
楽な方なんじゃない?」
「夏草は物理が得意なんだっけ?」
「得意……かはわからないけどね。実際好きな方だよ。」
実際物理は結構好きだ。
原理を学び、日常のある風景を一般的な現象に落とし込む。
そして明確な式によって順々に論述されてゆく。
そして後から完成された式を見て、
パラメタと物の動きが一致する時のあの感覚は、
プラモデルを組むような独特の没入感がある。
癖になる、ってやつだ。
「おいっすー。お二人さん。」
「おはよう。」
「おはよっす。」
雅歌が登校して来ていつのまにか近くにいたらしい。
雅歌は誰にでも話しかけるので、いつ誰に話しかけるかが
読み取れず、ある程度コミュ力のある人でも寸分戸惑うことさえある。
「なにそれー。レポート?レポ……あ。」
(忘れてたんだろうなあ。)
この子は前回のレポートもなんやかんやで提出していなかったんじゃなかろうか。
これで留年でもしようものなら目も当てられない。
「写す……?」
「いい…の……ですか……?」
僕の喋り方を真似したのか雅歌もぎこちなく返す。
「いいよ。ちょっと字汚いかもだけど。」
「まじか!いや助かりますわぁ。むしろ、むしろね?
頭のいい人のレポート写したら急に成績あがっちゃうかもね?」
「それだと写したってバレるんじゃないかな。」
「え。」
冷静な仙龍が突っ込みを入れる。
「まぁ、ちょっとずつ語調とか変えてけばいいんじゃない。
できる範囲で。」
「あと回収まで15分くらい残ってるから……。」
「…がんばるます……。」
「可愛くないアーニャだ、、、。」
「なんでそんなこと言うの。ま、とりあえずありがとね。
ちょっとやってくるわ。」
とぼとぼと、少しわざとらしく肩をすくめて自席に向かう雅歌の背中を見送りながら、今度は仙龍と一瞬見つめあって、
笑いが溢れてしまった。
「―以上で今日のショートホームルームは終わりでーす。号令ー。」
僕的には少し眠かったが、通常授業が特に何もなく―
雅歌が授業中にペットボトルフリップを5連続で成功させて
化学の教員をキレさせた事以外は何もなく―終わり、
放課後になった。
ちなみに一応レポートの提出はしたようで、後で安積香に
「絶対人の写したでしょ」と言われていた。
よくわかってらっしゃる。
そこからはクラスの大半が教室に残り、残り一ヶ月を切った文化祭に向けて準備を始める。
僕はカフェの外装を手伝うことになった。
ちなみに現在決まっている企画の名前は
「カフェ・アドレセント
〜喫茶店以上キャバクラ未満〜」
だそうだ。この中の誰一人としてキャバなんぞ行ったことないだろうに、、、。
勿論この後公序良俗に反するとして委員会に変更を迫られ
サブタイトルが消えたのは言うまでもない。
「籠ー。ちょっとこっち押さえててー。」
「ほい。」
「あ、籠ー。カッターとテープとってー。」
「はーい。」
「あ、籠ー。」
「はいはーい。」
こう言ったイベントの時分には普段話さない人とも会話することが増えるので、少しくすぐったいような、浮かれた気分になりやすい。
え?返事は会話に含まれないって?
まあまあ、そんなことはどうでもいいじゃない。
僕は確かに人と話すことは少なく、人脈もかなり薄い方だが、色んな人と関わること自体は嫌いではないので、
気分的には少しプラスだ。
「あ、ガムテープ切れたー。誰か買い出し行ってきてー。」
「こっちもないわー。」
「あ、俺んところはちょっと布が欲しいかも、駅前に
ユザワヤあったっけ?」
「あったあった。」
「誰いく?」
「ちょっと手ぇ離せんなあ。」
「私も今厳しいかも……。」
「じゃあ僕が行ってくるよ。」
こういう時に勇気を出してやります宣言しておくのも大事だ。僕の印象がいつどんなところで作用するかわからないからね。
「お、籠君ほんとうか。悪いな、じゃあガムテープと布と、
あと塗装用の水溶性ペンキと、、、。」
教壇のところに椅子を置いて、書類に何やら書き入れながら場を統括する蓼久保が反応する
「はいよ。」
(お金足りるかな。)
後でクラス費から落としてくれるらしいが、とりあえずは僕が立て替えることになる。
まぁなんとかなるだろう。PayPayにもいくらか入れてあるし。
「……こんなものかな。あとはみんな何か籠君に買っておいて欲しいものはあるかな。」
「お菓子!」
「あんたは黙ってなさい!」
「いでっ。」
すぐさま声を上げた雅歌にこれまたすぐさま安積香の制裁が下る。彼女は複数人と小道具の工作をしているところで
手にはハサミを持っている。まぁなんて怖い凶器だこと。
……まぁそんなもの使うわけもなく、床で作業していた雅歌を軽く爪先で小突いただけだが。
「いいよ。そういうのあったほうがやる気も出るだろうし。
今何人くらいいる?何袋かスナック菓子でも買ってくればいいかな。」
「まじか。」
「いいの?ありがとうー!」
「もしかして籠っていいやつだった?」
……最後のやつ余計な一言だぞ。
「じゃあ、頼んだ。と言いたいけど、流石にその分量は一人じゃ無理があるか。」
「あー…確かに持ち帰ってくるのがちょっと…。」
「じゃあ、私が一緒に行くよ。」
気づいたら、涙川が僕のすぐ背後まで来ていて、また
後ろから話しかけられた。
気配を消すのが上手いのか。それとも天然ものなのか。
びっくりというか…どきっとするからちょっと控えて欲しい。
「ああ、本当?じゃあ頼むよ。」
「…いいの?」
何に対する「いいの?」なのかは自分でもよくわからなかったが、とりあえず反射的にそう問うてしまった。
「?……勿論。それとも私じゃ不満?」
そう言いながら、揶揄うように上目に覗き込んできたが、僕を捉えるその目から何か僕を見透かすようなものを感じて、緊張と共に、少し不気味さも持ち合わせていた。
とは言えそれでも、普通の男子高校生なら、
いわゆるイチコロってやつだろう。
僕も自分が普通でないと言い切ることはしないわけで。
「いや、全然良いんですケド…。」
「なに?けどって。ついて来て欲しいのか、はっきり言ってくれなきゃ、わかんないなー?」
「え。」
「一緒に行ってあげよっか?」
……前言撤回だ。ずっとニヤニヤしてるよこの人。
やっぱ面白がってるだけだな。
「…はい。お願いします。」
「…くすっ…うふ、うふふふ。」
「やっぱり僕で遊んでるでしょ。」
「んー?…んふふ、ごめんね。」
「人の心をもて遊ぶんじゃありません。」
「ごめんって。じゃ行こっか。そんなにだらだらしてられないし。」
そう言って、足早に教室を出て行った彼女を、
僕はどう受け止めたらいいのかわからないまま、
その後を追ってエントランスへ走り出した。
次週
「お買い物デートってデートなん?」
「そもそもデートってなんじゃ」
「僕はそもそもデートしたことないからわからんわ」
の三本でお送りします。
来週もまた見てくださいねー!
じゃんけん、ぽん!(物理的なグー)
ウフフフフフフフー!