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10話

流石に東大の過去問というだけはあって、

どうにもかたい問題内容だ。

少なくとも知り得る限りの

ベクトルの定石には当てはまらない。


(わからない…。)


アイデアが出ない。こいつをこのベクトルで置いて…

最終的には…これ軌跡と領域を求める問題に帰着する?

ということはこんな感じのグラフが……ああダメだ、頭の中で追えない。


(苦しい。)


いつもそうだ。知らない難問、良問に出会うと頭が止まってしまう。思いつく力。結びつける力。

ただただその不足を実感する。

何度も言うが、僕には才能はないのだ。

知らないことは、できない。

思考の海に潜り続けるには、あまりにも息が短い。


(苦しい。苦しい。)


「ダメだ、何言ってるかわからん!おーい夏草できた?ちょっとヒントくれよー、って聞いてんのか?」

「うっさいわねぇ。集中してんのよ。」

「はは……私も全くわからないや。」

「涙川〜夏草が無視するう〜。」

「ん?あれ、凄い顔して考えてる。」


(結局この範囲で表されたグラフが通過する領域になるのか…?でもこれだと、ベクトルを使う利点がない。

何かないのか。何か…。)


「…ん。……君。………籠君。おーい、こーもーりくーん。」

「気づいてないって。耳塞いでるし。」

「たまにいるわよねぇ、考え事するときに耳塞ぐ人。

あたしもやってみようかしら。鬱陶しい声聞かなくていいし。」

「え?それ俺?俺なの?」








「ねぇ。なつくさくん。」








「!?っ、。」


息が止まったかと思った。

いつのまにか自分で耳を塞いでいたらしい。

そこへ突然涙川が僕の手を取って耳元で名前を呼んできたのだから、仰天この上ない。

こんなことされたら大概の人類が声を挙げてしまうだろう。

まじで。

おかげで何を考えていたか忘れてしまった。


「ど、どうしたの…。」

「どうしたって、何回呼んでも気づかないんだもん。」

「そうだぞ夏草。無視されて傷ついて破傷風になるかと思ったわ。」

「破傷風にはならないかもだけどごめん、僕も難しくて考え込んでた。」

「籠でもむずいかー。」

「ごめんね…。……?…あれ?」

「どした。」


僕はいまだに早い脈動を落ち着かせながら、

徐に涙川の方を向く。


「今、名前で……。」


名前で、呼ばなかった?


「うん。呼んだよ?……嫌、だった?」

「いや、別に。」

「よかったなあ夏草よ。人生で初めて女の子に名前で呼んでもらえて……。」

「いや初めてではないが…。」

「あんたは一生呼ばれないわね。」

「何でそんなこと言うの?」

「あはは、じゃあ私が呼んであげよう。ね、雅歌君。」


涙川が優しく笑いかける。


「あぁ。天使や。ガブリエルが降臨しとる……。」

「きもい。」

「まあまあ。それだけでも嬉しいものなんだから。」

「お優しいのねぇ。」

「それは皮肉?」

「いーえ。」


ホントは自分も雅歌を名前呼びしたいんじゃないのか、

という野暮極まりない疑問も浮かんだが、

僕まで雅歌のような扱いになるのは御免なので

そこで口を噤んでおいた。

それに、僕は僕で、少しばかり感傷的になってしまった。



あの鮮烈な囁きが、もしかしたら

「僕」に向けられたものだったんじゃないか。

そういう稚拙な期待を抱いたことに少し、後悔していた。


きっと、この「新しい」涙川となりは、

こういう、誰にでもフランクな感じで行くんだろう。

もしかしたら、そうやって自分を変えるために

見た目から一新しようとしたのかもしれない。

いずれにせよ、それは「僕」に向けられたものでは

ないのだろう。


(こうやって自分に言い聞かせるのも、女々しくて嫌だな。)


「―じゃあ、となりは最近どこでお昼食べてるの?」

「そーだなぁ、最近は学食多めかも。あとは自販機のパンとか購買とか……。」

「お二人さーん、そろそろ問題に戻らない?」

「あんたが最初に脱線したんでしょうが。」

「そんなことはいいじゃない。あ、先生帰ってきた。」

「はい〜じゃー解説しますよぉ。」


また、僕の知らない間に、知らない話題が進んでる。

それでついていけなくなって、僕もまた気づかれないうちに

輪の中からこぼれ落ちる。この繰り返しだ。

ああ、今日は置いていかれなくていいと思ったのに。

まただ。まだ、誰も、何も、言ってないのに。

心が勝手に内を向いてゆく。

独りでに周りのことが見えなくなる。




チャイムが鳴って、四限が終わった。

教室の反応はまちまちで、

わかった人も、わからなかった人も、弁当を広げたり学食へ歩いて行ったりしながら話し始めた。


あと5分もすれば、その殆どはいつもの

他愛無い世間話へと戻るだろう。



解説の内容は、僕にとって新しい知見ではあったが、

感動を伴うようなものではなかった。

言われればわかる。頭のいい人なら、考えればわかる。

そういう感想を抱いた。


「ん〜最後言ってたのどういうこと?」

「あたしに聞かれても困るわよ。」

「なつくさ君なら……。」

「あ、あっちで朝凛が教えてくれてるっぽい。」

「…蓼久保って人に教えるときちょっと早口よね。」

「それバカにしてる?」

「さあ。となり、行こ。」

「いや、私は。」

「となりちゃん……お昼食べ…行こ。」

そこへそそくさとやってきた百山につつかれる。

「うん。じゃそういうことだから。」

「わかった。」


僕も僕で弁当を取り出して食べる準備をする。

今日は仙龍は昼に剣道部のミーティングがあるとかで、

ここにはいない。仙龍は解けたんだろうか。あの問題。


(あ、箸持って来るの忘れた。)


ああ、ダメだ。気分が沈みがちな時は、

どうにも腹の立つことばかり起きる。

果てには、傲慢なのを承知で、世界が僕を苛立たせるために動いているように感じることさえある。


コケにしてんじゃねぇぞ、世界。

一通り腹が立ったら、

こんな愚痴を吐く相手もいないのだと思い直し、

今度はひどく冷たい気持ちになる。


(感情を飲み込め。飲み込んでしまえば暫くは楽だ。)


こんなことならいっそ何も感じなければいいのに。


ぶつぶつと内心でこぼしながら、割り箸を貰うために

少し離れた購買へ向かうため、席を立とうとした時、

肩に何かが触れた。



「じゃあ、また後でね? なつくさくん。」



…本当に心臓に悪い。この子は。

今までのもやもやとした感情が、後ろからの一陣の風で

飛んでいってしまった。


(何で耳元で言うんだ……。)


囁かれた方の耳を押さえながら、呆気に取られて涙川を見つめる。彼女はすでに歩き始めていた。

でもふと気がついて、こちらを向く。


そしてくすりと、いたずらっぽく笑うのだ。



(僕は、本当に独りなんだろうか。)


無意識のうちに、少しずつ、少しずつ僕の思考領域に広まりつつあるそれを眺めながら。

生まれて初めて、そんな矛盾した危機感を覚えた、

9月20日の昼時だった。







気がついたら3000字弱も書いてしまいました。

時間があると書きやすいですね、、、。

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