7. 砂漠の一輪の花
叫びとともに出現したのは小さな溶岩の卵のようだった。そして、クセソーティアソは触っても良いものだとどこかで確信している。
紅く燃える石はゆっくりと熱を冷ましながら、掌に落ちてきた。そこに残ったのは――、
(あれ? 電球?)
間違いない、衰光エラ以前の歴史書で見たことがある。かつて人類が使っていた遺物のひとつ。立派なネオンランプの電球だ。
(これは確かに衰光エラ前の珍器の写真集で見たことがあるな。光がなくなる前に、人類は良く使われたらしい物だけど、武器でもない……)
熟考する暇はない、ここは戦場だ。
怪獣の口から迸る漆黒の炎が、まるで生きた蛇のようにうねりながら、若き戦士へと容赦なく襲いかかる。
「反心累光!」
意味を知らない言葉が、思わず口から飛び出した。不思議な光の模様が広がり、冠の形を象った電磁バリアが展開される。とはいえ、耐性は無限ではないだろう。
次は何をすればいい?脳裏が前よりクリアになり、思考速度もどんどん加速していく。もしかしてあのネオンライトの電球の本当の力はまだ発揮していないのかもしれない。
頭の中の声ではなく、自分の立っている感覚に耳を澄ます。
先ほどから不可解な動きをしている怪物だけではない、戦場に拡大する特異点があった。炎天下の熱波で雲が蒸発し、蒸気霧が立ち込めている。クセソーティアソは目を細める。
見ればそびえ立つ繊維獣の背で、通常より短めのフィラメントが鬣のように逆立ち蠢いている。蒸気霧はそこから拡大しているようだった。
(この機械が稼働力の原点? もう迷う時間がない、当たって砕けろ!)
大きく息を吸い込み、助走をつけて大きく跳躍する。
並走するオンソロージーSが、補助のステップとして足元に階段をつくった。今まであんなに邪魔に思っていたのが嘘のようだ。斜めに踏切り、くるりと一回転すると怪獣の胴体の上に飛び乗った。蠢く足場で必死に踏ん張りながら、繊維を手で触れてみる。とたんに獣は大きく咆哮し、仰け反った。
(神経に触れたみたいだ、よっしゃ)
暴れ出した背の上でバランスを崩さないよう、アブレイズクロックの光源を磁石に変換して足を吸着させる。そのまま、動きがもっとも大きいところに歩み寄った。(あれ、なんだこれ?ちょっと濡れている……?)
繊維の絡れが蠢く地獄の釜に、恐る恐る手を差しれてみる。繊維に触れると、手と腕に不可解な心地よさが纏わりついた。
よく見れば自分の体がカサカサに干からびている。角質の下層まで火傷を負い、焼け付く痛みを感じた。肌だけではなく口の粘膜も乾燥して苦みを覚える。(こいつは別の空間を作り出しているか、ここの砂漠には根本的な何かが欠けているんだ、絶対。その釜に空気のようなものが入り込んで、何か変換しているのか)
繊維獣がひときわ獰猛な叫びをあげ、背中に寄生している異物を振り落とそうとしている。
今度こそクセソーティアソはバランスを失い、干からびた地面に叩き落された。転がる体に鋭い痛みが走る。舞い上がる砂のカーテンが傷ついた身体を一瞬隠す。(くそっ……何か分かりかけているのに……)
歯を食いしばり見上げれば、羅列太陽系の容赦ない日差しは鋭く、そして美しかった。地球の残骸でも母なる抱擁。その光を奪った、残忍な生命体が目の前にいる。
「このまま諦めるわけにはいかない、ルチアに格好悪いって思われたくないからな」
不幸の中に実る恵みを信じて。懐かしい祖母の言葉も脳裏に蘇る。
身を起こし、再び倒れ伏せたクセソーティアソは、ふと砂の異常に気づいた。
ひび割れだらけの砂漠の彼方に、小さなオアシスがぽつりと浮遊している。サイズはわずか数センチと微々たるものだが、小さいながらも草が茂り、その葉には虫が這い、露がついた小さな蕾が発芽している。それは一輪の白い百合だった。
(砂漠に花、まるで背反の象徴だ)
下層民の頃は野心がなく、上層民になればなったで心が空虚だった。大望を抱くのは下層民としてはやっていけないことなのか。クセソーティアソは革命を起こし、民の隔たりを無くしたい。
「ばかなこと言わないでよ、クセソー!上層民は同じ人間じゃない、私達を光源としか思ってない。絶対接触しないで。あの瘴気を浴びたら、もうこっちに帰ってこられないよ。光って別にそんなに要らないじゃない、きっとあの光のせいで上層民は瘴気を浴びているんだわ」
「うるさい!ルチア、そんなの嘘だ! お母さんは違うと言ってた。どいてくれ!」
ただ今の彼は幼馴染に言葉を返したほど自信がない。だってルチアの言う通り隔たりが立っている。もう帰らない。
「あの裏切り者。きっとそう言われている」
一人ぼっちで虚ろな胸に辛辣な言葉が刺さる。かぶりを振って、それをかき消す。自分が聞きたいのは、こんな言葉ではない。お帰り、という温かいあの言葉。(不幸な土でも花が咲く……)
そんなことを思った。咲き誇る花は枯れた土に身を委ねたことを、後悔するだろうか。いや、しないはず。
小さくても心のオアシスに潤いの生命が宿る……。
そのとき、クセソーティアソの心に閃いたものがあった。
さっき怪獣の背部の繊維に触れた時、まるで水分が取り戻されたような感覚があったのだ。
顔を上げる戦士の前の荒地は水もない。ただ、大量の魚の屍が転がっている。しかもミイラ化ではなく、死後さほど時が経っていない。
電撃が走ったように、理解した。
(この地形に欠けているものがある……魚が住んでいたはずの水だ!あの怪物が水を奪っている。いや、正確に言うと概念そのものを侵食している? 光の概念を奪ったように水も奪おうとしているんだ!)
その瞬間、ライターズ候補の片手にあった電球が大きく揺れた。たちまち、典麗な装飾のついた不思議なからくりに変貌する。
遂にこの時がきた、
そう感じる戦士の顔は光と希望に満ち満ちている。電球を手に取り、右腕を天穹に持ち上げる。胸から再び浮き上がる言葉を、高ぶりのまま叫ぶ。
「BELIEVE MY LIGHT!!」