6. 守るための戦い
しかし、去来したのは痛みではなかった。自分の内側から抗えない大きなうねりが生じ、過去の記憶の中に落ちていく。奥底に封じていた、あの身を引き裂かれるような辛い思い出が、脳内から引きずり出される感覚。
「お前、やめろ! 俺の心を覗くんじゃねえ!」
自分の叫び声で、意識が覚醒した。
全身の緊張がほどけ、再び照りつける灼熱の温度に、止まっていた汗がどっと吹き出す。しかし目前に広がる現実は、先程まで以上の悪夢だった。
繊維獣――巨大な漆黒の威容が、紅く染まった空を斜めに切り裂くように浮遊している。
その体表をびっしりと覆い尽くす、鋭く研ぎ澄まされた数多のオニキスの細刃は、鞭のようなしなりを帯びながら、煌めく電光を跳ね散らす。
人類の世界との共通点が一つもない異様な生命体は、いっそ凄惨な美しささえ感じられた。ただただ圧倒される少年の前で、宇宙人はこの世の終わりのような咆哮をあげ、暴虐の限りを尽くしている。更に悪いことに、怪物を台風の目にして砂漠が拡大しているようだ。
空を見上げれば水分が奪われた雲が徐々に蒸発している。このままでは砂漠の侵食が近隣の街まで進行してしまうだろう。
「くそ……!どうしたらいいんだ!」
途端、漆黒の光束がぎゅいんっと伸びた。危ういところで少年の頬を掠り、背後の岩を砕いた。傷口から再び変な感覚が広がった。
その時、握りこみ手汗にまみれていたオンソロージーが微かに振動し始めた。心の痛みと比例するかのように。
(もしかすると勝算を上げるためにこの痛みを利用しなければならないのか? )
役立たずだと思っていたこの石が、何かを伝えようとしているのかもしれない。
そう閃いた瞬間、頭上を再び光の帯が迸り、クセソーティアソは身を捩って空中に飛び退いた。思考に耽る暇はない、とにかく今は攻撃を交わし生き延びるしかないのだ。
巨大な蛇のように体線を婉麗に動かす。逃げ惑うクセソーティアソの動きは悶える小動物にすぎず、格好の獲物だった。
(石の振動と感覚にできるだけ集中しよう)
走りながら意識を整えようとする。怪獣に発射されている光線による汚染を避けられない。その時だった。
(待て、なにか聞こえないか? )
オンソロージーSの振動、振動の電気信号、それが自分の脳神経を直接震わせる微かな囁きになった。聞こえているのか、感じているのか。それはクセソーティアソ自身の声音となって脳に響いた。
「他人が思っていることをいちいちコントロールすることはできないよね、でもやっぱり嫌われたくない」
「それは立派な願い、多分僕だけではなく周りの誰でも同じこと願っているんだ」
「仮に嫌われても自分がしていることが好き、自分が納得していれば別に良いんじゃない、少なくとも平気な自分になりたいな」
「愛なる人達と再会したい? それとも離れて冒険してみたかったのかもしれない」
「誰だって、目立ちたい、だけど仲間と足並みを揃えて一員としてみられたい。自然だよね」
「そう、でもそういうことあっても自分はこれいい出会いをしたいな、同時に過去の仲間を大切にしたい、―――やっぱり貪欲で良い」
【これはあなたの Aspiration】
澱みのない声が励ますように告げる。石の表面にパキパキと亀裂が走る。
(あれ、胸のつかえが少し軽くなっている)
石の重たさによる負担も少し緩和されている。
怪獣は戦士の能力の変化に気づいているのか、威嚇しながらわずかに後退った。そのまま大きく仰け反ると数多の光線を空に放出し、雷鎚の雨のように叩きつける。自分の身体が一変したと、その時気付いた。
クセソーティアソは一瞬にして空間を駆け抜け、身を躱す。避けきれなかった光線が、数滴の液体に化し酸のように皮膚を焼く。しかし皮膚の焦げる匂いや熱の痛みに気づかないほど、戦士は集中していた。
「ルチアとスラムの人達を守る、上層民には絶対ならないと約束したのに。変えられないことを考えたくないのに、できない」
「過去ではなく、無限大の可能性、無限大の未来を開きたい」
「上層と下層、差別なく、地球の民を同じ光の下に照らしたい」
「スラム生まれのライターズなんて、他に誰ができるんだ? 根気よく頑張れば、俺はヒーローになれるはず。皆を救いたい……光を絶対取り戻す!」
言葉と願いが湧き上がるたび、石に走った亀裂が大きくなり、内側から光がこぼれだす。錆びた殻が剥がれ落ち、石も透明感を取り戻しはじめていた。
【それはあなたの strength】
カラカラに乾いた喉に少し潤いが戻る。身の内に一段とエネルギーが増幅している。
(この調子だ、振動の声に耳を傾けて攻撃を交わすんだ)
筋肉が桁違いに靭やかになるのを実感した。石を抱えながらライターズ候補はひときわ力強く跳躍し、怪物の高さを超える。
「はは、お前ってこんなにデカブツだったのか」
初めて目にする怪獣の裏面は、雷光と半液体半ガス状態の繊維が生えた漆黒の釜のようだった。手袋状の繊維が胴体に折り畳まれており、まるで何かを処理しているかのようだ。
「あれがお前の秘密か……何を企んでいる? 」
軽くなった彼の身体は戦場を俯瞰できたが、まだ反撃できる力がない。そもそも武器たるものがない。
(石との同調がどう考えてもこの戦いの鍵だ、集中しよう)
クセソーティアソは深呼吸をした。
ふと、ホリ爺の言葉が脳裏に響く。
「光のインフレーションは、誰のせいだと思う? 上層民は自分が食うために大黒災前のテクノロジーさえ使えねえのに、贅沢しやがってさ。絶対に関わるなよ」
……今の僕は敵側なのか?
「違う、下層民も上層民も関係なく、皆に同じ太陽の光を浴びさせる! 絶対に!」
空に踊り出ながらクセソーティアソは叫ぶ。
【これはあなたのMotive】
内なる声が聞こえる。石は振動を繰り返す。
灼熱の太陽が照りつける中、更なる熱をもつ光線が直射される。満身創痍で攻撃を躱すクセソーティアソは、ふと手が自由に動いていることに気づいた。
石は一メートル弱の距離で空中に浮き、彼の動きに追従する。
異変を察知したのか、怪獣は高い鳴き声を上げ、千本以上の繊維で獰猛な攻撃を仕掛ける。
威嚇する動物のように逆立ったフィラメント繊維の先端は、千本、いや数えきれないほどの本数に分裂し、飛びかかる。
(これはまずい。全て回避できない! )
戦士は、とっさに腕で庇い顔を伏せた。その時、かざした右前腕を中心に空気の漣が爆ぜるように広がった。まるで水面に石を投げ入れたかのような波模様を描く電磁波のフィールドが、怪獣の放つ死の繊維を食い止めている。呆然とする眼の前で、電磁波のフィールドが一瞬で溶けるように消えると、怪獣の放つ漆黒の光線を防ぐべく、再び一回り小さな姿に生まれ変わる。
(そうか、エネルギーが足りないんだ! 頼む、教えてくれ、あとはどうすればいい? )
クセソーティアソは探るように石を見つめる。応えるように光が瞬き、約束された未来の言葉が脳裏に浮かび上がる。
「どれだけ全力を尽くしても結果が必ず後からついてくる訳ではない、でもルチアが言ってくれた。光が結ぶものって闇に覆われている下層民でも最後のラディアントオーアの一縷の希望に縋りついて毎日生きているんだ。落ち込む暇がない拒絶を怖がる暇もない。僕は統べるものになるんだ。ここにある迸る炎は本当になりたい自分、成し遂げたいことを語ってくれている」
【これはあなたのdevotion】
振動が内なる音色を体内に響かせる。
少年の周囲に貼られた電磁波のバリアがひときわ強く輝く。怪獣の怨嗟の炎は届かない。
――胸が熱い。
魂が生み出されている感覚。ついに石の亀裂が全面に走ると、石の被殻は粉微塵に飛び散った。中に隠れていた不透明な石の中、手のひら大の白熱体が現れる、その灼熱の輝きにライターズの体が包まれる。
脳裏を、ピラースの皺だらけの手、頭を撫でる温もりと優しい言葉が次々によぎる。何度も何度も聞かされていた言葉。
「あなたにはきっと溢れる光に満たされた幸せが来るよ、不幸の中に実る恵みを信じて」
微笑みが輝きに溶ける。
燃え盛る勇気が全身を駆け巡る。約束された契りが口元に込み上がる。クセソーティアソは抑えきれずに叫んだ。
「Bーeーlーiーeーvーe Mーy Hーeーaーrーt!!」