表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
52/71

52.似非の楽園はいらない

「皆、危ない! 手裏剣、Lupus、反射心累光!」


 ラックーサの叫びとともに、宙を舞う手裏剣が繊維獣の放った黒い光線を弾き返す。反射した光が夜の空へと霧散し、爆発の衝撃が空気を震わせた。


「きゃあああ! 痛い、何これ!? 引き寄せられる!」

「ラックーサちゃん、離れて! 危ない!」

 スフェアリーが手を伸ばすが、二人の身体は鉄と磁石のように吸い寄せられ、激しくぶつかり合った。


「な、なにこれ!? 自力で離れられない……!」

 強烈な引力が働き、互いの体の重みで押し潰されそうになる。息が詰まるほどの圧力が二人を襲い、もがけばもがくほど絡みつく不可視の力が増していく。


「おい、どうなってんだ!」

 ソーラルが駆け寄りながら剣を構えた。「紫外線の型、陽子風爆破!」 彼が放った光線が繊維獣を直撃する。だが――


「……っ!? 何だ、こいつ……」


 異変が起こっていた。

 道頓堀川の水面に緑の苔が広がり、半壊した料理店やモールの残骸からは樹々が芽吹き、枝を伸ばしている。湿った地面には鮮やかな花々が次々と咲き誇り、割れたアスファルトは芝生に覆われていく。小鳥がさえずり、リスやネズミが駆け回る。街が、生命に呑み込まれていく――まるで、都市が一瞬にして原始の森へと還るかのように。


「この茂み……防御策として説明できるの? もしかして、森を作ってる? 何これ……」

 ラックーサ達は複雑に絡み合ったまま、蠢く虫たちに怖じ気づき、後ずさる。


「ライターズ、魅了されないように気をつけて! 少し離れた方が安全かもしれません。概念侵食フィールドが指数関数的に成長していま――」

 そこで、ぷつりとクォーツリナの声が途切れた。 通信が遮断されたのだ。


 確かに、楽園の形成スピードは急激に加速している。気づけば、道頓堀全体が鬱蒼とした森林に変わりつつあった。青々と茂る草木の間に差し込む光は優しく、どこか心を落ち着かせる。それどころか――四人は、抗うことすら忘れていた。

「満足」という静的な感情に包まれ、特に行動を起こさなくても「大丈夫」という思考が心に浸透している。助け合い、抗う意欲も、協力して任務を遂行する意欲も感じられない。

 いまこの瞬間、ここにある自然の美しさだけを感じて、花の香りをかいだり、川で水浴びをしたり、そんな刹那的な喜びに満たされはじめていた。

 戦わなくてもいい。ただ、ここにいればいい。何もせず、ただ、この穏やかな時間に身を委ねていれば――


「……これで、いいんじゃない?」

 思考が、緩やかに溶けていく。


(なぜ戦わなければいけないの? なぜ、足りないものを無理に埋めようとしなければならないの?)

(なぜ、届かない未来を追い求めるの? 疲れるだけなのに……必要なんてない。今、この瞬間を、太陽の温もりとともに楽しめばいい)

(ただ、横になって眠ればいい……芝生は柔らかく、小鳥のさえずりは心地いい……ずっと、ずっと眠っていたい……)


「だけど……苦しみや憎しみがなければ、発見も成長もないんじゃないか?」

 どこかで、声が聞こえた。


(違う……そんなものは、いらない……)

(ううん。でも、拒絶や欠如があるからこそ、達成感がある……)

(……それでも、疲れる。だったら、眠ればいい……)


 クセソーティアソは夢うつつで、しかし自分自身と戦っていた。

(いや、違う!)

 胸の奥で、何かが弾ける。 目を覚ませ――これは、偽りの楽園だ。

 仲間を守らなければならない。この「偽楽園」から逃れる手段を見つけなければ。


「包まれし闇、漆の霧、心の惑いを包み込み、仲間を守る壁を築け。我が光を以て命じる、紐繕玲光!」


 クセソーティアソの詠唱とともに、三人の仲間を包む光の玉が生まれた。眩い輝きが急速に広がり、スフェアに覆われた範囲では、楽園が死滅していく。

 鮮やかな植物は枯れ、鳥は羽ばたく間もなく朽ち果て、地面を駆けていた小動物たちも白骨と化す。


「あ……私……どうしていたの?」

「皆、見て! 楽園が縮んでる! 繊維獣も、弱ってるみたい!」


 先ほどまであんなにも魅力的だったはずの世界が、まるで幻だったかのように消えていくのを見て、スフェアリーは息を呑んだ。

 ――やはり、これは"偽り"だったのだ。

 それなのに、なぜだろう。喉の奥がひりつくように苦しい。


「私は……」

 自分でも気づかぬうちに、口をついて出た言葉。

「私は……自己中心的だった。他人を思い通りに操ることしか考えてなかった」


 戎橋に生まれた未開拓の森が、激しく撹乱される。枝がボキリと折れ、川の魚が次々と浮かび上がる。生命の楽園が崩壊し、新たに生まれた生態系が消え去っていく。

 楽園の残滓が、風に流されて消えていく。

 それはまるで、彼女が今まで築いてきた"偽りの世界"のようだった。


「間違った方法で、心の虚しさを満たそうとしていたわ」


 楽園は、まるで過去の自分そのものだ。

 綺麗で、完璧で、理想的なはずなのに、どこか空っぽで、脆くて、長くは続かない。――でも。


「でも――みんなは、そんな私に『本当の受け入れ方』を教えてくれた」


 初めは、戸惑いだった。仲間と共に戦うことが、なぜこんなにも不確かで、不安で、苦しいのか分からなかった。どうして彼らは、自分の思い通りにならないのに、こんなにも温かいのか――。

 でも、今は分かる。

 人は一人では生きられない。誰かを思いやり、支え合うことで、本当の意味で"自分"を受け入れられる。

 それを、彼らが教えてくれた。

「だから、もう偽りの楽園には戻らない」

 スフェアリーの瞳には、今までにない強い光が宿っていた。寄り添うラックーサも、ふっと息をついた。

 過去の自分を振り返るように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「コントロールしたい気持ちにコントロールされてしまった私も、よくわかるわ」

 自分の手の届く範囲で、すべてを支配しなければ気が済まなかった。計画通りでないと不安になり、思い通りに動かないものを恐れた。でも――

「完璧でしか動けない、私も心の囚人だったのよ」

 支配するつもりが、支配されていた。理想に縛られ、自由を失い、不安の中で生きてきた。


「……でもやはり、完璧って綺麗な幻にすぎない……」

 淡く笑う。理想を求めること自体は悪くない。けれど、そこに執着していては、何も掴めない。

 仲間たちを見れば、それがよくわかる。 不完全だからこそ、彼らと過ごす時間は輝いていた。


「うん、そうだよな」

 ソーラルが剣を握りしめながら、繊維獣を見据える。

「それに憎しみだって、人間に必要な感情だ。愛や友情と同じように、俺たちを前に進ませる原動力なんだよ!」

 彼は大きく息を吸い込むと、ニヤリと笑った。

「楽園? 目障りだな。そんなもんで俺たちは満足しねぇよ」


 繊維獣の体が震えた。ジャングルのように生い茂っていた道頓堀の森までも、ついに崩壊を始める。


「さあ、終わらせようぜ。俺たちの――この偽りの楽園との決着を!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ