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37.東尋坊の秘密

 福井県「東尋坊」は、日本海に面し、二十五メートルにも及ぶ切り立った崖と絶壁が垂直に並んでいることで知られている。ここには、稀有な輝石である安山岩の柱状構造があり、割れ目が多い石の中に規則的な多角柱が並んでおり、その美しさは見惚れるほどだ。


 かつて、大黒災前には遊歩道や遊覧船、展望用タワーなど、観光施設が整備されていたが、光が侵食された今では、その場所は放棄された自然の廃墟となっている。


  仄暗い雲が、まるで恐れをなして絶壁に近づけないかのように群生している。荒波が打ち寄せる日本海は、酸性の液体のような灰色の塩泡を噴き上げ、崖の輪郭を蝕んでいる。その絶壁の柱状構造は、一見、何の変哲もないように見えるが、よく目を凝らすと、波が弾ける箇所の岩肌が侵食されておらず、紺碧の結界が成形されていることに気づく。渦巻く濁水の下には、岩石ではなく黒曜石が続いている。


 潮騒の支配下に、繊維獣のアジト「ウバロッド」が存在することを、今はまだ誰も知らない。 


 ウバロッドーーーその名の通り、ウバという宇宙人の命で作られたこの黒曜石の砦は、地上に建てられたわけではない。海抜マイナスの世界、水平線五百メートルの水中の完全な静寂の中に佇んでいる。もっとも周囲には迷彩術が施されており、暗闇に溶け込んでいるのだ。


 この虚数の城は、「人工的」という表現には語弊がある。「宇宙人工的な建造物」と言った方が正確だ。

 現代の人類には到底創作できない偉業であり、三角形の石は永遠に同様のパターンを繰り返し、竜の鱗に似た外観を作り出している。その対称性は、遠い文明の卓越した技術によるものだ。


 もっとも城とは言え、内装は極めて殺風景で、日常に必要な物はほとんどない。黒壁の書斎には、黒トルマリンの机と合金の本棚めいた機械以外、何も置かれていない。さらに、宇宙人は絶対無音静止を好み、塩の結晶の窓から水の反射と水上から届くわずかな光線以外、あらゆる光が遮断されている。研ぎ澄まされたミニマリズムの美しさのみが広がっている。


 その黒より黒い部屋の中で、この城の主は、僅かな憩いの時間を堪能していた。


 彼は決定された性別はもたないが、ヒト属でいえば雄よりの外見をしている。

 肌はブラックライトのような濃い紫色。毛先を鋭く梳かれた、艶のある長い黒髪。蛍光青に光る睫毛に縁取られた、砂漠色の瞳が幻想的で、いかにも他世界然としていた。ブラックライトの光を放つオーブの耳飾りが、顔つきを仄かな柔らかさで照らす。

 杖のように持つのは、ケルト人が使用していた管楽器、二mの長さの古代カルニクスホルン。ホルンの頭は猪の顔を模し、ブラックライトのオーブがその開かれた口蓋に嵌め込まれている。


 彼が動くたびに、シブラー色のローマ風チュニックが優雅に翻った。隔離部屋に続くドアをくぐる。洋風の色濃い木材で設えられた心地良い部屋。一流の学術施設の図書館のような、ここが彼の秘密基地だ。


 一四〇〇年代のフランス王室風ヨーロッパのアンティークソファ、一九四〇年代の錆びついた銀のカトラリーセット、あらゆる時代の珍品に囲まれ、古今東西の書籍が床に散らばっていた。


 大きな窓からは紫色めいた暗闇しか見えない。

 バロック風の机の端に座り、足をぶらぶらさせるウバは、人間らしい仕草を模倣しているようだった。彼は好奇心に輝く目で、アルキメデスの投石機発明についてラテン語で書かれた書籍を読んでいる。


 ウバは宇宙人だが、人類についての学習意欲を抑えることができない。勿論、この秘めた趣味は他の繊維獣に絶対に漏らしてはいけない自覚もあったが。

 寛ぎの時間を、ホログラム電話が遮った。上腕に埋め込まれたチップから緊急報告らしい映像が結ばれる。


 ウバは舌打ちをすると、黄ばんだ本を机に置いた。重い腰を上げると、ふと寄木細工の床を這う黒い鎖に目を留めた。その鎖は、まるで生き物のように床を這い、角に蹲る影に繋がっていた。赤いワンピースから覗く足元には破かれた歴史書の頁が散らばっている。ウバはその光景を見下ろし、ふと楽しげに微笑んだ。


「お嬢さん、宿題を忘れずにね。ふふ。貴重な書籍は破くものではなく読むものだって、いくら下層民とはいえ知っているでしょう?」

 影がびくりと揺れる。泣き疲れて荒れた声が、それでも強気に言い返す。

「……本を読ませたいなら、手錠を外しなさいよ!……今に見てなさい。クセソーティアソが貴方を止めるんだから!」

「おや、あの虫けらのことを言っているのですか?あんな微々たる光で我々に太刀打ちできるわけがないでしょう」

「虫けらなんかじゃない!」

「なら、恩知らずの不心得者とでも呼びましょうか?」

「……っ!」

 スラム街を何も言わずに出ていって、全く音沙汰のない幼馴染ーーー。ルチアは更に涙が溢れた。


「図星を突かれてようやく黙りましたね。 全く、ここに連れてこられてからは泣くか喚くかしかしない。人間の女性はもっと淑やかだと思っていましたが? 」

「あんたが、そうやって本を読んだくらいで、人間の何が分かるっていうのよ、この穢らわしい宇宙人!」

 金切声で叫び、悔し涙を瞬きで必死に散らすルチアには、ウバの不快に歪んだ顔がよく見えなかった。怒りと絶望、無力感を滲ませるその瞳は、お互いを映す鏡のようであったのに。

「……歴史書よりも先に、礼儀と自分の立場を学ぶべきですね」

 感情を隠すように冷静にウバは吐き捨てた。ルチアが鎖を引きちぎろうと、虚しく腕を空回りさせる。しかしどれだけ足掻いても、その金属音は重厚なドアに遮られ、次第に静寂に包まれていった。




 地球に派遣された繊維獣は、主に二種類存在する。戦闘型とヒューマノイド型の繊維獣で、彼らは「暗黒偵察獣」と呼ばれている。

ヒューマノイド型の調査員は、そのスキルや業績に差があり、より貴重な存在だった。故に戦闘型を指揮する立場になる。そのなかでもトップに位置するウバは、地球を征服するミッションの成否の全ての責任を担っていた。


 黒曜石で設えられたウバロッドは、色素的に繊維獣が好む環境だ。その漆黒の幅十メートル以上もある巨大な塩の結晶の窓から、戦闘型遷移獣「35fvb」がするりと現れる。

 「ーーーウバ様」

 繊維獣独特の、甲高い金属音が響くような言葉を紡ぎ始めた。


「僭越ながら申し上げます。このままライターズとの戦いを続ければ、計画に遅れが生じます。ご存知の通り、同胞はあと数体しか残っていません。光の概念さえ奪ってしまえば、奴らも衰退するものと思っていたのですが……この文明は意外と抵抗力があるようです」

 ウバは顔を顰めた。

「愚かにも略奪する概念の選択を間違っているからだ。だが案ずるな、人類は脆弱な種。たとえ時間がかかろうと、我らの計画は着実に進行している」


 彼らの言動について理解を深め、戦う動機を掴むようになれば、勝利の可能性は自ずと高まるだろう。何より、肝心な概念の同定を急がなくてはならない。思索を巡らせるウバの顔には、困惑しているような表情が浮かんだ。


「かしこまりました。……例えば、個体同士の協調性を標的にするのはいかがでしょうか」

「我が考えると言っておろう、立場を弁えろ!」

「はっ、おこがましい発言をお許しください。ウバ様。……待機いたします」


 35f vbは無機質な調子で建前の言葉を並べると、音もなく退室する。

 一人になったウバは、胸に手を添え倒れそうになるのを堪えた。

 ヒューマノイド型。人間に似た身体が優性種だと誰が定義したのだろうか、今は自分が恐ろしいほど脆弱に感じられる。軋む呼吸と共に、怨みの言葉が滑り出た。


「……君のせいだ」


 胸が痛い。これは何だろう。苦悩の嗚咽が溢れ、目には涙が滲む。確かに人間は悲しい時に目から水が出ると本で読んだ。この異質な身体の機能を全て理解できれば、こんな痛みはなくなるのだろうか。

 繊維獣は無を司る。宇宙を無にして増殖すること以外何も考えるべきではない。ウバはそれができる優れた個体だから、地球の責任者として選抜されたのだ。


「君のせいだ」


 ウバは繰り返す。地球についてから、知識を増やせば増やすほど、人間に対して奇妙な好奇心が生じるようになっている。

 この気持ちには出口がない。誰にも打ち明けることができないからだ。

 嘔吐が込み上げたが、休憩を少し取れば大丈夫に違いない、きっと。

 そう言い聞かせ、なんとか立ち上がると、よろよろと自分だけの秘密の部屋に再び向かう。

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