36. 前途有望なライターズ
三人のライターズは、興奮のあまり金属の翼を上下に羽ばたかせながら、互いに大きな抱擁を交わす。
「頑張ったね、クセソー君ソーラル君! 私世界から除外されながら、ずっと二人の踏ん張りを見ていたの! 本当にお疲れ様!」
ラックーサの瞳に涙の膜が張られる。
眼下の森は、どうやら正常な状態に戻ったようだ。
動物たちがそれぞれの住処に戻り、我に返った様子が伺える。獣の番が身体を擦り合わせたり、子供と思しき小さな動物たちの姿も見られる。母性を認めなかったグラウンド・メタが溶けたことで、女性の存在も再び許容されるようになったのだ。
繊維獣の墜落による砂嵐が沈静化した後、三人は長野市の森にふわりと舞い降りた。そこで待ち構えていたのはーー、
「みなさーん! 無事でしたねーーー!怪我人はいませんか、挙手をお願いしまーーす! 応急手当キットと着替えを持ってきましたよーー!」
どこから駆けつけたのか、いつものように飛び跳ねる水森だった。
「あら、君は新人ね、男性メンバーが二人になりましたよー! クォーツリナ幕僚長殿!」
「……」
クォーツリナの瞳が無言の怒りのオーラを漂わせている。
「えーっと、あの……すみません、ごほん、ライターズの新しいメンバーにお目にかかれて光栄です」
オンソロージーにエスコートされたクォーツリナは苦笑しながら溜息をつく。少し居心地の悪そうなソーラルに改めて向き直った。
「さて、あなたが新しいライターズの卵ね、いえ失礼……もう卵ではなく十分に孵化していたわね」
クォーツリナは美しい挙措でソーラルに敬意の一礼をする。後ろからLDC隊長アダマンティヌースが現れた。
「は……はい、初めまして、俺はソーラルです」
少年は初対面のクォーツリナとアダマンティヌースに、鼻先を不器用に触りながら畏まる。
「ソーラルくん、君が今回のヒーローだ。初めての戦闘にも関わらず、存分に発揮してくれた君の優れた洞察と行動力を賞賛するよ」
アダマンティヌースも厳しい顔をふっと綻ばせた。
「ファノースの形状から言うと……そうだな、君の電球はハロゲンランプに間違いない、見事な輝きだ」
「どれどれ? お姉さんにも見せてえ!」
水森補佐の距離感の無さは相変わらずだ。ソーラルの顔にぬっと近づくと、首に下がっているコンパクトを手に取る。
「とにかく……ソーラル君、あなたは学者でしたよね、教養深い人ではなければ今回の概念の謎は絶対に解けなかったはずです」
「そうです。俺は九州エリアの汎光源形成特集班の研究チームに所属しています」
「ええ、すご……! 頭が良いと思ったらやっぱり……」
一斉に驚嘆の声が上がり、ソーラルの頬は紅潮する。
「そういえば、なぜ君はラックーサの名前を知っていたんだい」
ふと思いついたようにクセソーティアソが割り込んだ。
「森についたお前が自分で言っていたじゃないか」
確かに彼女は消えてしまった時に、戸惑った彼は何度も彼女の名前を連呼していた。母性の概念が攻撃されたとわかったソーラルは、彼女は女性だろうと推察していたのだ。
「うまく言語化できないのだけど……母性の概念が修復しかけた時、どこかで俯瞰している彼女が突破口になれると感じて……。まあ、その、彼女と強い絆を感じた……まるで……」
少年はますます紅潮し、その先の言葉を濁した。
「まるで自分の母であるようにね」
眼鏡を指先で持ち上げながら、クォーツリナが代わりに答える。ソーラルの頷きを確認し、泰然と続ける。
「今回の概念侵食はとても独特でした。そもそもソーラル君の過去のトラウマと親和性が高く、皆が言う通り、彼が今回の事件の軸でした。概念侵食が起きるエリアは、人類の世界と比較して歪曲された場所となります。全ての女性、つまり潜在的に母になれる、子供を産める人類の存在が形而上学レベルに拒否されていました。だからラックーサがいなくなったんです。人類の有性生殖がなくなり、クローンの複製で成立する増殖方法がこの世界の常識に成り代わった。この空間において、繊維獣はほぼ無敵に等しかったでしょう」
そこで言葉を切ると、クセソーティアソとソーラルを代わる代わる見て、微笑んだ。
「ただ、面白いことに、二人の絆は母性の概念を部分的に修繕させた。母性は女性に限定されている概念と考えがちですが、実は自然の世界には、男性も母性的な役割を担うこともあります。
繊維獣は地球外生命体であり、思いの外、地球の自然界の掟に明るくなかった。まあ簡潔に言うと、男性から生まれる母性心をみくびったと思われます。クセソーティアソ君の仲間を守りたいという純粋な気持ちがその歪んだ空間に母性を微力でも一時的に回復させられました。これは本当に素晴らしいことです。
その後、部分的に修繕された概念に呼び起こされたラックーサの母性はハロゲンの戦士の呼びかけに反応し、登場しました。三人の通じ合った心あったからこそ、母性が見事に回復されたことに違いありません」
アダマンティヌースが続ける。
「ほぼ無敵だったとしても、母性が修繕された空間にいる繊維獣は複製できないため、簡単に倒せる。ただ、修繕の漣は不安定だったみたいだな。これは前代未聞のケースとして、これから化学部門が解析を急ぐだろう。あの化け物は異なる二つの世界の狭間に封じ込められ、その歪んだ存在を受け入れる空間がなくなり、ラックーサとソーラルの光線で致命傷を与えることができたんだ」
そこで、ソーラルが瞳をきらりと光らせた。
「理屈はわかります。ただ、一つ気になるのは、なぜこの繊維獣の死体は礫原収納場、つまり世界政府の施設に保管されていたのかです」
「……それに関しては俺達も報告を受けていなかった。世界政府が関わる極秘事項だろう。もしかすると繊維獣の死体の後始末かもしれないが」
ごくりと固唾を飲む二人のライターズの横で、アダマンティヌースは目線を落とし、歯切れ悪く答える。いくら後処理と言えど、あれほど物騒な怪物を、再起動な可能な状態で保存するなどあり得ない。しかも安全を管理するSUBもLDCにも確認を取らぬままだ。
世界政府側には、何かきっと考えがあるだろうとクセソーティアソは思いたい。
納得がいかなさそうなソーラルの顔色を窺いながらも、クォーツリナは「ここまでにしましょう」と柔らかく告げた。
「その疑問点については、今回の被害状況を含め私達から政府に報告します。ライターズの皆さんお疲れ様です。ひとまず身体を休めましょう」
実際に、クセソーティアソは心身と共にしていた。概念構造の異なる世界に突入したことで、旅行気分筋肉痛と頭痛が体を支配している。ただソーラルという篤実な仲間ができたことで、この消耗戦を耐え抜いた価値は余りある。
低空を巡遊していたオンソロージーは皆をステーションに運ぶべく、素早く変形を開始した。