次期辺境伯令嬢、愛馬に負けてはいられません
「お父様、お母様、行ってまいりますわ!
必ずや婚約者様を連れ帰ります。
ごきげんよう! ほーっほっほっほっ」
「ホーッホッホッッホッ」
森の奥からフクロウが唱和しました。ほんとに田舎ですこと。
わたくし、ヴィヴィエ辺境伯家の一人娘でロクサーヌと申します。幼少時より武道を嗜んでおりまして、夜会より祝勝宴会を好んでおります。同じお酒なら、気持ちよく飲みたいですものね。
もっとも、社交のための夜会など、特に必要ありません。将来辺境伯家を継ぐのですから、騎士の統率の方がよほど重要。そんなわけで、わたくしは生来の気質と環境がぴたりと合っている、幸せ者でございます。
そして、素晴らしい婚約者もおります。彼は王都在住の伯爵家子息オクタヴィアン・グラニエ様。学業に優秀な方で、今は王立学園で学んでいらっしゃいます。
住む地が離れておりますから、これまでは手紙や贈り物での交流を続けて来ました。卒業されたら婿入りの予定です。学園でのパーティーにはわたくしも駆けつけて、彼をそのまま拉致、いえ、連れ帰る予定ですわ。淑女の振る舞いは少々苦手ですけれど、頑張らねば。
両親の見送りのもと、夜明け前に出発して馬を駆ります。お供は愛馬、黒龍号。護衛? そんなもの必要ございません。腕に覚えがあり過ぎて、両親からも一人で大丈夫だろう、と太鼓判。
そもそも、黒龍のスピードについて来られる馬がいないのです。まったく、この子ったら鼻歌をうたうようにご機嫌で爆走するのですから。お陰で普通は一週間かかる王都まで、四日で着きました。
事前に連絡してありましたので、グラニエ伯爵家の王都屋敷にお邪魔させていただきます。
「ロクサーヌさん、ようこそ。
お疲れでしょう? すぐにお部屋でくつろいでくださいね」
伯爵夫人が労ってくださいます。
「オクタヴィアンは勉強が忙しくて、卒業式の後でやっと顔を出すみたいなの。気の利かない子でごめんなさいね」
「いえ、お気遣いありがとうございます」
わたくしは少しも気にしておりません。心置きがないよう、勉学にけりを付けていただいて、辺境伯領へ気持ちよく来て欲しいですから。
わたくしは部屋に荷物を置いてから、黒龍の様子を見に厩へ向かいました。何しろ人一倍、いえ馬一倍食べるのです。伯爵家の他の馬の餌が不足してはいけませんので、その手当をしなくては。
「よしよし、たくさんお食べ」
厩へ行ってみると、馬丁が黒龍に話しかけていました。
「こんにちは、わたくしの馬をお世話してくださってありがとうございます」
「これは、恐れ入ります。何か、御用でしょうか?」
黒龍は気難しい方ではないのですが、それでも好き嫌いはあります。この方のことは、気に入ったようです。
「この子はたくさん食べますから、餌の手配を余分にお願いしなければ、と思いまして」
彼はわたくしを安心させるように微笑みました。
「大丈夫です。ここにはもう一頭、大喰らいがいますから」
指す方を見ますと淡い茶色の、黒龍に負けない大柄な馬がいました。陽が当たっている部分は金色にも見えます。
「まあ、綺麗な子」
「十分食べさせられますので、ご心配なく」
「よかったわ。では、よろしくお願いします」
母屋に戻りがてら、ふと心配になりました。黒龍はふだん、ド田舎の辺境伯領にいますから十分運動できていますけれど、あの子は王都で大丈夫なのかしら、と。
翌日も気になって、厩を訪ねました。
「お邪魔します」
「いらっしゃいませ」
黒龍はお腹いっぱいでご機嫌に見えます。
「まあ、随分、この子を手懐けましたね」
「素直ないい子ですよ」
「こっちの子に触ってもいいかしら」
「ああ、そいつは黄麒といいます」
「もしかして、この子は、貴方の馬?」
「ええ。こいつを養うために馬丁をやってるようなものです」
「王都では少し運動不足にならないのかしら?」
「なるべく気を付けていますが、なかなか満足させてはやれないですね」
それでも、伯爵家は餌代をケチらないので助かっています、と彼は笑いました。
「なんと仰いまして?」
「……婚約を解消したい、と」
数日後のこと。予定より早く、オクタヴィアン様が実家にお戻りになりました。二人でお茶をいただこう、という時に彼が突然言いだしたのです。
「わたくしに、至らないところがございましたか?」
「いや、君では無くて、僕が至らないんだ。
辺境伯家に行っても、僕では役に立ちそうもない」
「やってみなくて、言い切れますの?」
「済まない。……実は、もっと王都で勉強したいんだ。
今止めると、どうにも中途半端で。
そうなると、予定通りに婚姻をするわけにもいかないし」
「その勉強は、いつまでかかりそうですか?」
「最低五年。もしかしたら、もっと」
「そうですか。わかりました」
オクタヴィアン様の走りたい道は、辺境伯領には繋がっていないようです。わたくしは彼が領地に来てさえくれれば、婚姻を結んで子孫を残し万々歳、と考えていました。でも、彼の望むことにまでは思い至りませんでした。
「婚約解消、承りました。
伯爵ご夫妻も交えて、契約解除の手続きを進めましょう」
急遽、ご夫妻にお出でいただき、事情を説明しました。
「本当に申し訳ない。こちらの有責なのに、解消でいいのだろうか?」
「時の流れの中で、進む道が違ってしまったのですから、どなたの責任でもございません」
「なんと、次期辺境伯殿は出来たお方だ。
微力ながら、伯爵家に助力できることがあれば、何なりと」
「ありがとうございます。
でしたら……馬丁の方を、辺境伯家にいただけませんか?」
「馬丁?」
「彼の黄麒号は、ここにいては十分に走り回れませんもの。
本人が嫌でなければ、辺境伯領の方がよろしいかと思います」
「彼は、なかなか得難い馬丁だが、確かに黄麒のような大型馬に王都は狭いかもしれないな」
「走りたい場所で走れるなら、それに越したことはありません」
馬の話をしていたのですが、その言葉に、オクタヴィアン様は何かを感じられたようです。
「済まなかった……いや、ありがとう、ロクサーヌ嬢」
「ご多幸をお祈りいたしますわ」
お話が一段落しましたので、馬丁の意志を確かめるため、わたくしは厩に向かいました。
「え? 俺と黄麒を辺境伯領へ?」
「ええ、もしも、お嫌でなければですけど」
「俺は身元も不確かですが、いいんですか?」
伯爵から伺いました。彼は、郊外で行き倒れていたところを拾われたそうです。馬が立派過ぎて怪しくはあったものの、本当に一文無しで空きっ腹を抱えていて、思わず助けてしまった、と。
「婚約破棄ではないのですけれど、慰謝料がわりに貴方がたをくださいと申しましたの」
「じゃあ、伯爵様に拾われた恩は返したと考えていいのでしょうか?」
「許可があったので、それでよろしいかと」
「では、お供しましょうお嬢様」
「そういえば、お名前を伺ってなかったわ」
「ニコロと申します」
道中は何の不安もありませんでした。彼は、野獣が出ても余裕綽々。剣だけなら辺境騎士にもなれそうな腕前です。馬牧場を営むには、野獣を倒す腕も必要だったのです。
「どうして、その腕を持ちながら行き倒れに?」
だんだん気安くなってきたので、思わず訊いていました。
「自分だけなら、なんとでもなるのですが、放浪しながら黄麒の面倒を見るのは難しかったので……」
「貴方にとって、大切な馬なのですね」
「はい」
領地に帰り着き、婚約解消のことを告げても、両親はびくともしませんでした。お母様は「なんか、そんな気がしていたわ」と仰るし、お父様は「ロクサーヌが不幸になるような未来は想像できないから、そのうちどうにかなるだろう」ですって。たいして気落ちしていたつもりはなかったのに、そう言われると、少し元気が出たような気がしました。
連れ帰ったニコロは、我が家でも馬丁として働き始めました。騎士団ではなく、辺境伯家の馬丁です。どうしてかと言えば、領へ戻る旅の中で、黒龍と黄麒がすっかり仲良くなってしまいまして。離れ離れにするのは忍びなかったのです。
黒龍の様子を見に行きがてら、わたくしは時々、お酒を携えて彼を訪ねました。厩舎のすぐそばの空き地に丸太が転がしてあるので、それをベンチがわりに星など見ながら少しお話をするのです。最初はたわいない話から始まって少しずつ距離が縮まり、やがて彼の生い立ちを知りました。
彼はわたくしより少し年上で、その穏やかな物腰は側に居るだけで日々の様々な悩みを和らげてくれるようでした。
それからしばらく後、黒龍のお腹に子が宿った頃のことです。国境で小競り合いが頻発するようになりました。質の悪い盗賊団でした。彼らは幾つかのグループを作り、陽動と実動を繰り返すのです。臨機応変に立場を変えるので、なかなか捕まえにくいのでした。しかも、隣国に逃げ込まれてしまえば手出し出来ません。
国境は俄に慌ただしくなり、わたくしも前線には出なかったものの地図を睨みながら報告をまとめる日々を過ごしました。
そんな時です。
「お嬢様、しばらく休暇をいただけませんか?」
ニコロから申し出がありました。その顔は真剣で、許すほかありません。彼には直接、状況を伝えることはなかったのに、どこかから聞きつけてしまったようです。
「……黒龍の子が生まれるまでには、帰って来てくださいね」
彼は、返事をせずに微笑みました。
ニコロは隣国の出身です。国境のこちら側は全て辺境伯領ですが、隣国は二つの伯爵領と一つの子爵領で構成されています。そこを抜ければ、王家に通じるトリスターノ公爵家の領地があるのです。
おそらく公爵家に話を通せば、早急に対処してもらえるはず。しかし、そのためには盗賊団に感付かれないよう秘密裏に公爵領までたどり着き、交渉せねばなりません。その道案内をニコロが買って出てくれたのです。
『俺は国境に接する子爵領で馬を育てていたんですが、黄麒を奪うために子爵がならず者を使って牧場を潰しにきまして……』
親の形見の黄麒に跨り、命からがら逃げだしたという話を、以前に聞いていました。
「盗賊団の逃げた地点からすると、子爵家が加担しているかもしれません」
公爵様宛の親書を持って、彼と数名の騎士が出立しました。その後もしばらく小競り合いは続きましたが、やがて使いに出た騎士たちが戻り、公爵家の騎士団と示し合わせて盗賊団を挟み撃ちにすることが出来ました。
時を同じくして、例の子爵家も加担した証拠を掴まれ、捕まったそうです。
事件は解決しましたが、彼だけが帰ってきません。もともと隣国の出身ですし、腕のいい馬丁です。公爵様にスカウトされたら断れないかもしれません。それに、黄麒の血筋は騎士を抱える方からすれば逃したくはないでしょうし。
連れ戻したとして、婚姻を迫れる相手ではありません。それでも、彼にはわたくしの側に居て欲しい。もしも、彼が他の方と結ばれても、それはそれで仕方が……
「いえ、絶対に嫌ですわ! 決めました」
「ブルルル」
ずっと話を聞いてくれていた黒龍が、少し呆れたように鼻息を漏らします。確かに、わたくし、恋では愛馬に後れをとっていますから仕方ありません。けれど、ここから巻き返して見せますことよ!
「お父様、お母様、わたくしニコロに嫁ぎますわ。
辺境伯家の跡取りは、他から養子を……」
「却下」
「お父様!」
「彼を婿に取るなら許す」
お父様は片目をつぶりました。お母様はクスクス笑っています。
「グラニエ伯爵から、彼を養子にしてもいいと申し出があったわ」
「お母様……」
「間違いなく、今回の騒動の功労者ですからね。
それより、彼は同意してくれそう?」
「誠心誠意、口説いて参りますわ」
お腹に子供のいる黒龍を動かしたくないので、わたくしには珍しく馬車で隣国を訪ねました。両親からはたっぷりと、公爵様へのお土産も預かっています。
「よく来てくださった。
戦姫と名高い貴女だが、こんな美女であられたとは」
今回は馬車ですから、わたくしも精一杯ドレスアップしております。迎えて下さった公爵様は渋いイケオジでした。
「ありがとうぞんじます。
実は、公爵様にお願いがございまして」
「なんだろう?」
「ニコロ……我が家の馬丁を返していただけたらと」
「彼は、なかなか良い馬丁だが、元々こちらの出身だからな。
我が家で召し上げた」
「これは……内々のお話なのですが、」
わたくしは思わせぶりに、視線を落としました。はっきり言えば、自分のお腹のあたりに。ドレスも微妙に締め付け過ぎないラインの物を選んでおります。
「生まれてくる子供を、父無し子にはしたくないのです」
「なんと、そんな事情が……」
公爵様はすぐに彼を呼び出しました。ニコロはわたくしを見て驚いたようです。
「君は……ヴィヴィエ辺境伯家に戻りたいかね?」
「……はい、出来ましたら」
「そうか、いや、確かに私のような者から望まれたら、簡単には断れなかったな。もう少し、ちゃんと事情を聞くべきだった」
「では……」
「後は二人で話し合うほうがいいでしょう。
だが、ニコロ」
「はい」
「くれぐれも、子供の将来を大事にしてくれ」
ニコロがキョトン顔になりました。
「お嬢様、子供……とは?」
わたくしは少々被せ気味に、返事をしました。
「皆まで言わないで、公にするようなことでは……」
うんうん、分かってるから、若いっていいねえ、的に公爵様はお部屋を出ていかれました。
「あの、子供とは?」
「もちろん、仔馬のことですわ。黒龍の子は、黄麒が父親ですもの。
生まれる時に父親が近くにいた方が、あの子も安心だわ」
「……公爵様を騙しました?」
「もしかしたら勘違いされたかもしれないわね。
それはともかく、ニコロ、わたくしのところに、お婿に来てくださいな。
貴方のいない未来は、きっと、とても味気なくて寂しいわ」
今度はポカンとした彼でしたが、すぐに笑顔になりました。
「そうですね、これから辻褄を合わせてもいいでしょう。
こんな俺を望んでくださった貴女を後悔させないよう、頑張りますよ」
彼は両腕を広げ、わたくしを抱き締めてくれました。ちょっと余裕のある大人ぶりが癪ですが、今は気にしないことにしますわ。
公爵様からはたくさんのお土産を頂きました。少しばかり後ろめたい気持ちもあります。黒龍と黄麒の間に、次の仔馬が生まれたら、公爵家に差し上げられるといいのですが。
「公爵家も、その騎士団の厩舎も立派で、馬場も充実しています。
あそこなら、大型馬でも伸び伸び出来ますよ」
「走りたい場所で走れるなら、馬も幸せね」
帰る途中で、わたくしは着替え、黄麒に二人乗りしました。心なしか、黄麒も黒龍のもとへと急いでいるように見えます。
その後、わたくしたちは目出度く婚姻いたしました。妻は次期女辺境伯、夫は馬丁です。彼の活躍を知る辺境伯領では、皆でお祝いしてくれました。
いくら彼が伯爵家の養子になったとはいえ、王都だったら、ちょっとしたスキャンダルになるかもしれないとか。万一、そんなことがあったとしても構いません。騒ぎたい方は、お騒ぎあそばせ。わたくしは、彼と幸せになる自信がございますから。