夕陽に浮かぶ夢
長い長い夢を見てた。
薫と出会ったあの図書室、俺は夢の中でもう一度薫に会ったんだ。
可愛い女の子がそこにいた。
可愛い顔した、小柄で華奢な、薫と同じ顔の女の子だった。
女の子って言っても幼い子ってことじゃない。
俺と同い年で、ちょっと冗談を言うと鈴を転がすように笑う声と顔が、死ぬ程可愛くて、俺はすぐに恋に落ちた。
「名前聞いていい?」
「・・・柊 薫。」
何度かデートを重ねて、必死に仲良くなるために色んなことを話して
時々薫が悲しそうに落とす笑顔が気になって・・・けどそれでも夢中だった。
或る日、3度目のデートの時、招かれた薫の部屋で告白した。ありふれたセリフで。
薫は顔を綻ばせて、「嬉しい」と気持ちを返してくれた。
それと同時に、話さなきゃならないことがあると、自分のことを明かしてくれた。
子供の頃になった癌が再発して、余命を宣告されていること。
あちこちに転移した癌は、もう手術をもってしても完治は見込めないこと。
抗がん剤治療はわずかな延命にしかならず、副作用も酷い上にお金もかかるので、治療と入院は拒否して自宅で生活することを選んだこと。
父親が学費のためにと貯金してくれていたお金で、生活を成り立たせていること。
入学したかった大学は諦めたので、あの日は知人である大学の先輩に学生証を借りて、図書室を利用していたこと。
誰かと付き合ったことなど無く、恋愛することを諦めていたこと。
粗方身の上話をした後、薫は泣いて俺に謝った。
けどいくら謝られて、やっぱり私のことは忘れてほしいと言われても、俺の心は決まっていた。
「薫・・・俺と結婚して。」
涙でボロボロになった顔を上げて、薫は呆然と俺を見つめた。
その年の6月、ちょうど俺が19になる頃、薫と婚姻届けを書いて役所に提出した。
薫は2月生まれだからまだ18歳。証人の欄は父さんと母さんに書いてもらった。
薫の事情を説明した上でも、両親は俺たちのことを認めてくれた。
俺は大学を休学して、薫と残りの日々を生きていくことにした。
ひたすらに毎日が幸せだった。
薫が一人暮らししていた部屋に転がり込んで始まった二人暮らし。
一人じゃないというだけで、こんなにも毎日が変わるんだねと、薫は嬉しそうに笑ってくれた。
愛おしくて愛おしくて、毎晩薫を抱いた。
そうして幸せな日々を過ごした2ヶ月後、薫の妊娠が発覚した。
宣告されていた余命まで後4か月だった。
「夕陽・・・・私必ず産むから。」
決心した目で、薫はそう言った。
これから先がどうなるかわからない不安を抱えながらも、薫のお腹に自分との命が宿っていると思うと、幸せでならなかった。
実家に報告に行って祝ってもらったり、友人たちに祝福されたり、二人だけの時間を噛みしめるように、色んなところへ出かけて、色んな景色を見た。
温泉旅行で可愛い薫の浴衣姿に悶えたり、水族館のイルカショーで子供のように騒いだり、夏祭りに出かけて、色んな屋台の食べ物を食べて、ヨーヨー釣りをしたり・・・
秋には紅葉を眺めて散歩して、たくさんのイチョウの絨毯の上で写真を撮った。
その頃はもう、薫は車いすでの外出を余儀なくされていた。
日に日に起き上がれる日が少なくなって、苦しそうに咳き込む度に心配になった。
宣告されていた余命から2か月が経って、年末に産婦人科へ検診に行った頃だった。
「今・・・妊娠30週目ですね。赤ちゃん十分に大きくなっていますし、いつ産まれても大丈夫ですよ。」
「そうですか・・・。薫、体調悪いとかないか?何か気になることあったら・・・」
「先生・・・私もう産みます。」
「・・・・え?」
思わず聞き返してしまったけど、薫の病状を聞いていた先生は、じっと見つめ返した。
きっと薫は、この時を待っていたんだろうと分かった。
戸惑う俺に、いつ自分の病気が悪化して死ぬかわからないなら、今すぐに産む、と。
その固い意志を、退ける言い分はなかった。
命を懸けて産むことを決めた薫に従うしかなかった。
その翌週、帝王切開で薫は出産した。
通常より小さいけど、元気な男の子が産まれてくれた。
薫に似て可愛らしい大きな黒目と、ちょっと俺に似たのか癖っ毛だった。
「薫・・・・ありがとな・・・。」
赤ちゃんを抱っこして薫に見せた。
疲弊してわずかにニコリと笑みを見せた薫は、その後点滴を受けながら眠った。
薫はそのまま入院することになった。
治療を受けてはいないので、癌は進行し、あちこちに転移してもう手を付けられない状態だった。
出産出来たことが奇跡だと言われた。
みるみるうちに衰弱していった薫は、人工呼吸器をつけられて、やせ細って、会話をするのも難しい程になった。
それでも毎日お見舞いに行った。我が子を連れて。
「ほら 、お母さんの指ぎゅっとしてあげて。」
薫も息子の前では安心したような笑みを見せて、わずかな声で名前を呼んでいた。
そして会うたびに何度も、話を聞いている時も何度も俺に「愛してる、ありがとう」と言ってくれた。
一月後、薫は息を引き取った。
「薫・・・・・」
誕生日を迎えられず、まだ18歳の妻は、やつれた姿のまま死んでいった。
その時初めて気づいた。
俺のために、子供がほしいと言ったのだと。
俺が後を追って死なないために、子供を残してくれたのだと。
そんなことに今更気付いて、スヤスヤ眠る我が子を抱きしめながら泣き崩れた。
時間の流れが分からなくなるほど、途方に暮れては、またこぼれてくる涙に溺れた。
二人だけの世界だった。
幸せで幸せで、きっと前世で夫婦だったのだと、そんな話をして盛り上がりながら、また生まれ変わっても一緒になろうと、誓い合った。
人生経験もない若さでの譫言だと思われるかもしれない。
それでも愛していた。
愛していたから、この子を産んでくれた。
二人から、三人の世界になったのに・・・
可愛い息子は、薫にそっくりで、愛おしくて愛おしくてたまらなかった。
「 ・・・愛してるよ。」
そう呟くと、天使の笑顔で俺の指を握ってくれた。
また一つ涙をこぼすと、目の前は薄暗くなって、ベッドの上だった。
「・・・夕陽」
目の前に心配そうに俺を覗き込む薫がいた。
「・・・あ・・・薫?・・・・あれ・・・ここどこ・・・・」
朝日が昇りかけていた窓から、青白い光が漏れていた。
「寝室だよ?大丈夫?うなされてたし・・・泣いてたし・・・変な夢でも見た?」
「・・・夢・・・・?」
長い長い夢を見てた。
はずなのに・・・
「あっれ・・・えっと・・・思い出せないな・・・・・あれ・・・さっきまで覚えてたんだよ・・・。」
頬に張り付くような感覚で残っていた涙の痕を拭いながら、必死に弁明するかのように考えた。
「そうなの・・・?良かった目ぇ覚まして・・・夕陽が泣いてて不安だった・・・」
長いまつげを伏せてそう呟く薫を、力いっぱい抱きしめた。
「薫ぅ・・・愛してるよ。」
「ふふ・・・俺も。」
「薫・・・元気だよな?何ともないよな?大丈夫だよな?」
「・・・え?うん・・・別にどこも体調悪いことはないよ。」
「そうだよな・・・うん・・・だよな・・・。あ~~・・・幸せだなぁ・・・。でもさ・・・・夢の中でもすっげぇ幸せだったと思うんだよ。」
「そうなの?泣いてたのに?」
「うん・・・。」
長く続く幸せな夢と、短くても幸せだったと思える夢と、いったいどっちが・・・
いや、辞めよう。
今目の前にいる薫を、毎日大事にして生きていくんだ。
ふと可愛い笑顔の女の子が、頭の中にチラついた。
薫と同じ・・・愛おしくて可愛い笑顔。
あの子、誰だったっけ・・・