え? 書いたこともないのに、エッセイに手をつけてみたんですか?
エッセイ。それは随筆。語り手が体験したことや感じたことなどを自由に書き連ねたもの。
突然だが、私は以前からこのエッセイというシロモノにちょっとした憧れを抱いていた。
自らの心の内側や持てる知識を自由に生き生きと論じる。その様子に、小説にはない魅力を感じていたのだ。
けれど、自分で書こうとしたことはない。理由は二つ。
①自己開示が苦手である。
②そもそもネタがない。
まず①について。「自己開示」というのは、自分の個人的な情報を相手に伝えることだ。円滑なコミュニケーションを取るにあたって必要不可欠な行為である。
エッセイは、体験したことや感じたことなどを書くもの。つまり、自分の心の内をさらけ出す必要がある。
コミュ障である私にそんなことができるわけがない。やっぱりエッセイを書くなんて無理だ。書かない理由その②でも言ったように、ネタもないし……。
けれど、諦めの境地にいた私の背中を押してくれるような出来事が起こった。
ありがたくもコミカライズの打診が来た際に、こう言ってくださったユーザー様がいたのだ。
「打診後に起こったことについての体験記とか読みたいです」
え? え? 体験記? そんなの書いちゃっていいの?
「裏話を聞きたいです♪」
聞きたいです!? 聞きたいんですか!? 音符までつけちゃって!
需要があるのなら筆を執ってしまいたくなるのが物書きの性。
しかし、まだ問題が。エッセイを書かない理由①でも述べた、「自己開示は大の苦手」問題が解決していない。私の心の壁はエベレストよりも高いのだ。
「書きたいけど、書ける気がしない……」
そんなこんなで、その時は「ちょっと難しいかもですね……」とお茶を濁しておいた。
その件はそれで終わりになるはずだった。
しかし、心のどこかに引っかかるものがある。
「書ける気がしないというだけで、書きたいものを……憧れていたものを諦めるの?」
そんなの、すごく悔しくない? 他人に負けるのはまだしも、自分に負けるのだけは許せない。
それに、だ。私は「読みたい」などと言われたら、木にも登ってしまうタイプなのだ。だったらエベレストだって登攀できるはず。
いや、登るのが無理なら、空を飛ぶか穴を掘ってでも越えてやる!
そんな決意を元に、私は人生初のエッセイにチャレンジすることに決めたのだった。
とは言え、予備知識もないままに事に当たるのは無謀すぎる。そこで手始めに、エッセイの書き方を調べることにした。
小説とは違うというのは何となく分かる。しかし、具体的にどんな風に書いていけばいいのかと言われると、さっぱりだったのだ。
電子の海で資料をガサガサ。図書館で紙の本をペラペラ。
その結果を以下にまとめる。
「起承転結を無理に作ってはいけない」
「自分の心の動きを掘り下げよう」
「独自の視点や考え方で面白みを出せ」
「テーマに気を配ること」
「心に残るエピソードやお役立ち情報を盛り込もう」
「失敗ネタや笑える話があるとヨシ!」
「会話文を取り入れろ」
「書き出しが重要」
「オチのある話で読後感をすっきりと」
「軽みが大切」
「作品は自分の想いを伝えるラブレターだ」
「エッセイはフリーダム!」
……だああぁっ! 皆好き勝手なこと言ってくれちゃってぇ! 自由奔放かぁ!
エッセイってこんなに制約が多いの? 私には無理なのでは? こうなったら体験記、小説の体で出しちゃおっかな……。
……いいや。ダメだ。逃げずに立ち向かうと誓ったはず。食わず嫌い……ならぬ、「書かず苦手」なんてあっていいわけがない。
まずは落ち着いて深呼吸。まとめた内容をもう一度見直してみる。
すると、先ほどは受け流してしまった「エッセイはフリーダム!」の文言が目に留まる。
フリーダム? 自由? そう言えばさっきも私、「自由奔放かぁ!」と毒づいたっけ……。
不意に光明が差した気がした。
そう、自由でいいのだ。
エッセイは好きに書いてもいい。そもそも、文学とは自由なものなのだから。
三人称と一人称が混在しようが、文頭を一字下げようが下げまいが、(少なくとも私にとっては)どうでもいい。正統ではないことが美に繋がることもある。芸術は爆発なのだ。
肩の荷を降ろすと、エッセイのお約束についても考えを改めことができた。先ほどまとめた内容だって、守れる範囲で守ればいいのだろう。
「小説風にインパクトのある場面から始めてみよう。引きつける書き出しってこういうこと?」
「ですます調で書こうかな。でも、この出だしならだ・である体の方がしっくりくる……。……いいや。どっちも混ぜちゃえ」
「会話文を取り入れるのは難しいけど、所々に「」を入れて文章にメリハリをつけよう」
「起承転結はなくていい? でも、ストーリー性はあった方がいいかな。よし、死に場所を求めていた落ち武者作家が貴重な体験を経て、生きることを選ぶハッピーエンドにしよう」
「お役立ち情報かぁ……。コミカライズの流れを分かりやすく示しておけば、これからマンガ化される人の心の準備に繋がるかも」
「失敗ネタ? 笑い話? ドジでうっかり屋な私にはおあつらえ向き! コミュ障なことも書いちゃおう」
「軽み? サクッと軽快なタッチの文体でOK?」
「自分の想いを伝える! どうせだから、マンガの感想もちょっと言っちゃえ」
肩の力を抜いたお陰か、そんな風に色々なことがスラスラと決まっていく。
「馴れないジャンルだし、全部書けるまで一ヶ月以上はかかるかな」
と思っていたのに、構成の決定から下書きの完了まで一日で終わってしまった。心の壁、意外と低かった。某未来の世界からやって来た青タヌキさんの、どこにでも行ける扉的な道具を使ったとしか思えない。
けれど、本文の清書も終わってほっとしていた私に、意外な場所から刺客が現われた。
「あらすじ」だ。
気のせいかもしれないが、このジャンル、余所と比べて独特のあらすじが添えられた作品がとても多いのだ。「読者に語りかけるよう」と表現すれば分かりやすいだろうか。
それがエッセイの流儀というやつ? だったら私も従うべき? でも、コミュ障は知らない人にも知っている人にも話しかけられない。これは困ったことになった。
悩んだ末、エッセイのあらすじについて調べてみることに。
すると出てきたのは、「エッセイにあらすじはありません」という無慈悲な回答。そんな殺生な。見捨てないでください……。
素気ない答えにめげそうになったけど、ちょっとアプローチの方法を変えて、密林な通販サイトでエッセイを検索。そこの作品内容の紹介欄に書かれていることを参考にしようと決めた。
その後、何とかエッセイのあらすじの書き方に言及してくれている人も見つけることができた。
どうやら作品内容に加え、「作者がどういう人物なのか」「どんな視点、文体で書かれているのか」辺りを書くといいようだ。
試行錯誤しながら、私もその通りにしてみる。結果、普通の小説と比べたら少しもの足りないが、そこそこ鑑賞に堪えるあらすじが出来た。
この時役に立ったのは、レビュアーとしての経験だ。
私はこれまでに、そこそこの数のレビューを書いてきた。レビューは作品を紹介するもの。つまり、その小説がどんな内容でどんな魅力を持っているのかを、限られた文字数で的確に表現しなくてはならないのだ。
作品内容の紹介と魅力の表現。これこそまさに、あらすじに求められているものである。
「もし私がこのエッセイにレビューを書くとしたら?」
そんな気持ちであらすじを書いた。まったく、どんな経験が生きるのか分からないものだ。
そうして様々な壁を踏み越えながら書き上げたエッセイがこちら。
『ぱっとしない作家がコミカライズを打診されたので、裏話風の体験談を書いてみた』
(https://ncode.syosetu.com/n4616id/)
ありがたいことに、思ったよりも多くの方に読んでいただけた。作品に反応してくださった方、感謝します!
予約投稿を完了した時点ではコミックスがまだ発売していなかったので、追記作業を結構ギリギリまで行うことになってしまった。それも自分的には冒険だったけど、何とか上手くいってくれたと思う。また一つ、壁を越えられたらしい。
興味深い感想もいくつかいただいた。
例えば
「先達として参考にさせていただきます」
とか。
エッセイを書くに当たって、「これからマンガ化される人の心の準備に繋げよう」という意気込みも盛り込んだわけだが、その目論見が見事に成功したわけだ。
また、「コミカライズ企画について半信半疑だった」と書いたくだりには、
「自分も打診メールを詐欺と疑いました」
「疑う気持ちは分かります」
とのコメントも寄せられた。
ひょっとして、企画が持ち込まれたことをすぐに信じられないのは、あるあるネタなんだろうか。
エッセイについて調べている時に、「共感されるテーマを選ぶこと」というアドバイスも見かけたけど、もしそうなら私の失礼な勘違いも万人が通る道だったのかも……。
この「詐欺かもしれない」という戸惑いについて、「嘘告」という表現もいただいた。なんと愉快な言い回し。そのセンスに脱帽だ。
それから、
「情報共有感謝します」
と言って下さった方もいた。
情報共有? そんな側面もあるのか……。
なんて思ったけど、よく考えたら私が執筆準備の段階で読んだ作品で、「エッセイは情報やノウハウを効率よく取得できる場である」と述べていたものもあったので、そんな風に感じるのは当然だったのかもしれない。
ちなみにこの感想をくれた人と、上記のエッセイの便利な面を教えてくれた作品の作家さんは同じ方だったりする。
執筆中に思ったのは、
「エッセイって楽しい」
ということだった。
お陰で筆が滑って、こんな「裏話の裏話」まで書いてしまった。でも、これが余計なことだったとは全く思っていない。
だって、「作品はラブレター」。実はこの「裏話の裏話」を執筆しようと思ったのは、私にエッセイを書くきっかけをくれたユーザー様お二人に愛……もとい感謝を捧げたかったからなのだ。
「体験記とか読みたいです」
「裏話を聞きたいです♪」
そう言って下さって本当にありがとうございました。あなた方がいなければ、私はずっとエベレストの向こう側でウジウジしていたままだったでしょう。
幸運は大なり小なり誰にでも巡ってくると思うけれど、それを正しく使えるかは当人次第だ。私はこのお二方のお陰で、貴重な体験を見事に自分の殻を破るチャンスとして利用できたと思う。
自分ではそのつもりがなくても、何気なく発した一言が迷っている人や停滞している人の背中を押すことに繋がるかもしれない。これもまた、大きな発見の一つだ。
もちろんその逆のことをしてしまう場合も充分にあるだろうから、言葉には気を付けないといけないなと思う。
エッセイについて、機会があればまた別の話題を選んで書いてみるのもいいかもしれない。
でも私が意見を言えそうなのは、せいぜいレビューの書き方とか、創作についてくらいだ。こういう話、興味がある人はいるんだろうか?
どうやら憧れのエッセイジャンルに振り回される日々は、まだまだ続きそうである。