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神様のボートの上で  作者: shiori


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第十一話「襲撃者」2

 赤月さんの誘いで、今回の事件の弁護をする織原九条(おりはらくじょう)弁護士が経営する織原法律事務所へ向かうこととなった。話ではかなりクセのある人物だが知識だけは豊富だという話だ。


「あら、蓮くんいらっしゃ~い、ずっと待ってたわよ~」


 厳格なイメージのある法律事務所なのに開口一番甘ったるい声を聞いてしまって拍子抜けしてしまった。

 この白い肌ともち肌の丸みのあるほっぺが特徴的な風貌の女性が織原弁護士みたいだ。


 おっとりとしていて赤月さんの登場に笑顔いっぱいなところを見ると弁護士とは思えない印象だ。そして胸は大きかった。自転車で胸を揺らしながら走る姿を想像して、なんて和やかな光景だろうと妄想をしてしまった。


「あいにく忙しいもので、今日になってしまいました」


 手厚い歓迎に赤月さんは遠慮気味だった。


「まぁまぁ、うちは平和そのものだから、いつでも歓迎よ~。さぁコーヒー出すからソファーに座って」


 そういう営業トークなのか、ホントに暇してるのか、この余裕は性格的なものなのだろうか。

 よくわからないが、織原弁護士は他のスタッフもいるのに自分でコーヒーを入れに行った。


「”進藤さん”もコーヒーでよかった?」


「あ、はい」


 その時、初めて私の方を織原さんは見た。変わらない笑顔のその視線の奥は透き通っていて、それですべてを見透かしたようだった。


「そんなに警戒しなくてもいいわよ、私はあなたの味方なんだから」


 織原さんは微笑みながらこちらを見て言った。


「そうですよね、初対面なのに私のことをよく知っているようで、ちょっと驚きました」


 私は素直な気持ちを織原さんに告げた。


「それはお客さんのことは事前によく調べてるから。クライアント第一だからね、ここは」


 最後の”ここは”という部分をリズミカルに言った。


 事前に赤月さんから私を連れてくることは連絡済みということだろう、そして私という存在の利用価値も彼女なりに考え、吟味しているということだろう。


「織原弁護士は記憶力が凄いから。言い合いになると強いんだよ」


「そうなんですか・・・」


 なんだか少し恐ろしい一面を見た気がした、一体過去にどんなことがあったかは謎だらけだが、優秀なことであることに変わりはなさそうだ。


「もう、あんまり他人行儀な話し方はダメよ、せっかく一緒に仕事をできる機会なんだから」


「仕事の話をしに来たから真面目にしているんだが」


「そんなこといって、仕事の時くらいしか会ってくれないじゃない」


 相当に長い付き合いなのかもしれないが、一体二人はどんな関係なんだと疑いを持ってしまうような会話だった。

 私と赤月さんの分のコーヒーを持った来た後で、自分の分のカップを手にもってテーブルに着いた。細く長い綺麗な手足が印象的だった。まるでモデルのようなその造形は甘美なまでに美しいほどだ。


 織原さんはカップに上品な手つきで一口、口の付けた後で口を開いた。


「あなたのお母さんの方から事件のことは任されてるから、事件が事件なだけに身内とはいえあまり関わりたくないのはよくわかるけど、まぁ進藤さんが来てくれるのなら安心だわ」


 母親もそんなことを言っていたっけ。ただでさえ働き手の夫が帰ってこなくて、さらに警察やマスコミに振り回されてもう関わりたくないって感じだった。

 それは事情を考えれば仕方のないことだし、自分から積極的に弁護に参加しても精神的に疲弊するばかりで参ってしまうだろう。


 私がこうして積極的に関わることが助けになればいいとは思うけど、目立ちたいわけではない。むしろ目立って弁護すればするほど記憶の点で不自然な部分が出てしまうだろうから程々にしておかなければならない。


 しかし、今回赤月さんと協力し合うことを約束した以上、今出来ることはしておきたい。


「だって健気じゃない、実の父親の無実を証明するために活動するなんて、誰に恨まれるかわからない、そういう場に身を置くというのは勇気のいることなんだから。それはもう、進藤さんは実感としてあることだと思うけど」


 私としては、これぐらいしか自分に出来ることはないって考えだけど、立派な覚悟だと言ってくれるのは素直にうれしい。

 もちろん、美談となるかどうかは無実を証明できればという話だ。そうでないと麻生さん一家、特に雫さんのことをちゃんと弔ってあげることができないだろう。


「刑事裁判において加害者側の味方をするということは、単純な見方をすれば被害者側の敵側に立つということだ、気持ちは違えどそういう見方をする人が出てきてしまうことは仕方のないことだ。


 話せば分かるとよく言うが、そんなに簡単に主張を受け入れてくれるほど人間というのは単純ではない。感情で動く生き物である以上、理知的に考えるためにはそれだけの材料が必要だ。


 結論を言えば、俺達には真犯人を見つけ出し、責任をそちらに向けて、結果的に君の父親の無実を証明するしかない」



 人が安心して眠るためには責任の所在を明らかにして、罰しなければならない。そうして一つの解決を見せなければ誰も納得できない。

 悲しみが消えることはなくても、社会の秩序を守ることが一番の慰めなのだ。こんな悲劇をまた繰り返さないために。


「真犯人を早く見つけないと。時間は有限なのに・・・」


「そうね、焦っても仕方ないけど、裁判が始まっちゃったらもっと不利になってしまうでしょうから」


 私の言葉に織原さんは理解を示した。本題に入ると真面目さが出てくる辺り、信頼できそうだ。


「地道に調べはしてきたが、なかなか目撃証言が少ないだけに難しいのが現状だな」


 赤月さんも今の状況に不安を抱えているようだ。


「そこで、今日は聞いてほしいことがあるのよ~」


 これまでの事を振り返ったところで織原さんが話を切り出した。


「何か名案でもあるんですか?」


 私は自信ありげな織原さんに聞いてみた。

 織原さんが私の方を見て微笑む、それは私のことを信用してほしいという主張に感じられた。


「これは提案なんだけど、こちらから精神鑑定を依頼して刑事責任能力があるのかどうか、再度鑑定してもらうというやり方はどうかなぁって思って」


「時間稼ぎということですか?」


 赤月さんは織原さんの提案に突っ込みを入れた。


「それももちろんあるけど、事件当時の状況にしても、今の状態にしても、精神的に不安定であったのではないかという主張は効果がないとは言えないわ。そうしたことも含めて、こちらから精神科医の診断を提案していくことは大事なことよ」


「事情聴取も回を重ねれば重ねるほど容疑者にかかるストレスは大きい。そうした圧迫された環境から抜け出したくて自分の主張を曲げて自供することだってある。現状のままでは不利なだけに少ない可能性であっても懸けてみるのはいいかもしれない」


「進藤さんはどうかしら?、もちろん精神科への通院歴がない以上、今から刑事責任能力を鑑定したとしても、好意的な結果は得られないかもしれないけど、それでもやってみる?」


 織原さんの提案、これは名案と言えるのか?何もしないよりもずっといいという考え方はあるけど、私は別のことを考えていた。



 今、容疑者である進藤礼二の中にいるのは柚季さんなのだ、そのことを考えると複雑な気持ちになる。

 精神鑑定をされるなんて誰だっていい気分ではない、精神異常者か疑われるという時点でひどく周りの人間を信じられなくなることだってある。

 苦肉の策にしても柚季さんに負担を強いるようなことをしたいとは思わない。


 実際、精神鑑定がどんなものなのかはわからないけど、別人格のような扱いとして処理されれば、それは刑の減軽対象となるのかどうか。しかし無罪になるような心神喪失という判断が出ることはないように思う。それだけにこれが意味のあることなのかは難しい。


 私は迷いに迷ったが、それでも何か自分なりに意見を示さねばならなかった。


「警察の捜査の不十分さを訴えるためにも何か行動を起こすことは必要だと思います。それとは少しズレているとは言えますが、でもこのまま流れていては終わってしまうように思うんです。だから、牽制する意味でもやるべきだと思います」


「それは真犯人を探しながらということだな?」


「はい、最終的には真犯人を見つけなければ誰も納得してくれないでしょう」


 私の意見に二人とも異論はなかった。


「それじゃあ、裁判前に診断が出せるよう手配してみるけど、気を付けることよ、本当に真犯人がいるというなら、それは只者ではないはずだから」


 織原さんの言葉は胸に深く刺さった。関われば関わるほどリスクは大きくなる。刑事裁判に持ち込まれればこちら側の勝算はほとんどない、それが日本の刑事裁判の現実だ。


 それは”本当の敵”も承知の上のはずだ、ここからは時間との戦いになる。なんとか犯人を見つけ出したいが、相手もこちら側の動向を見て、妨害をしてくるかもしれない、


 一段と警戒がここからは必要なことを覚悟しておかなければいけないだろう。

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