前編
宗教画などにある聖女の物語からの連想で書いております。
R15は保険です。
「お姉さまより、わたしの方が聖女にふさわしいわ。お姉さまは、聖女にはなれないのよ」
勝ち誇ったように言う義妹、アガーテを、ウルスラは冷めた眸で見つめた。
「お父さまも仰っていたの。次の聖女は、わたしだと」
知っていた。
そのために、わざわざウルスラと同じ年頃の娘を持つ寡婦と再婚したのだということを。
サンオルリア侯爵は、そういうことのできる人間だった。自らの地位を万全なものとし、かつ、愛する者を手中にとどめ置くためには、手段を厭わない。
聖女は、伯爵以上の貴族の娘から選ばれる。御伽噺にあるような、病を癒す力や天候を左右する力などはない。いってしまえば、信仰上の象徴にすぎない。
選出基準としては、見目麗しく、男を知らぬ乙女であることが要求される。年齢は、十四から十八の間。嫡出かどうかは問われない。養女でも構わないが、流石に選定される一年前にいきなり養女をとるよりは、再婚相手に娘がいたという方が、外聞がいいのだろう。
義母になった女は、元は男爵家の出であったが、商人に嫁いで寡婦になった経緯を持つ。ウルスラは、彼女が嫁いで来てから、極力関わらないようにしていた。それでも、礼儀作法がなっていなく、使用人に対して傲慢にふるまっているということは知っている。
「聖女に選ばれてしまえば、後戻りはできませんのよ?」
やっとのことで、それだけを口にする。多くを語ることは、ウルスラにはできなかった。語りたいことは、砂漠の砂ほどもあったけれど。
アガーテは鼻で笑う。
「そんなに聖女の座にしがみつきたいの?無様ね、お姉さま」
「さあさあ、つまらない話はおしまいになさいませ。お嬢様は新しいドレスをあつらえにいかなければならないのですから」
アガーテの侍女が口をはさむ。元は、ウルスラの侍女を務めていた娘である。
「ええ、そうね。楽しみだわ。首飾りも耳飾りも新しいものを選んでいいのですって」
うきうきと部屋を出ていく義妹を見送り、ウルスラは窓の外へ眼をやった。
ウルスラは、十五の年までは、次代の聖女候補の中で最も有力視されていた。誰もが、ウルスラが聖女になるものとして接してきていた。
一年前、唐突に父である侯爵が、新たな妻としてガリーナを邸に連れてきた。そしてガリーナには、ウルスラより一つ下の娘、アガーテがいたのだ。もちろん、連れ子である。侯爵は、三年前に他界した夫人を、ことのほか愛しんでいた。
「これはわたしの娘、ウルスラだ。次代の聖女と目されている」
「まあ、聖女に」
ガリーナが目を瞠る。
「聖女の選出が行われるのですか?ここ数十年は、なかったと訊き及びましたが」
「王家が、必要な時期だと判断されたということだ」
「聖女は、王子様と結婚するって本当ですか?」
問いかけたのは、アガーテだ。
「結婚するわけではない。儀式上、その時代の王子が聖女に求婚するという手順はある」
「まあ!では、お姉さまは王子妃になられるの?」
「それは……」
ウルスラはなんと答えたものかと、口ごもる。言葉を続けたのは、侯爵だった。
「儀式の中で、聖女は初回の求婚は拒まねばならないと決まっているのだ」
「初回は、なの?」
「さよう。そうして、王子は次の儀式に移る」
アガーテのくちもとが、ちいさく弧を描いた。
ウルスラは、それを見なかったことにして踵を返した。
「お姉さまのドレス、素敵ね。わたしもそういうのが欲しいの」
最初の頃こそおとなしくしていたが、アガーテとガリーナがウルスラを押しのけようと画策し始めるのに、あまり時間はかからなかった。
「アガーテもこの家にふさわしい娘になろうとしているのですわ。同じものとまでは申しませんけれど、与えてやってはもらえませんかしら」
そう、上目遣いをするガリーナに、侯爵はふむ、と考えるそぶりをした。
「ウルスラに、次代聖女に相応しい装いをまたあつらえようと思っていたところだ。そのついでに頼むがよい。仕立て屋に来るよう、申し付けておこう」
それを聞いたアガーテの表情が、醜く歪む。ウルスラのついで、という語句が、彼女の怒りを引き起こしたと、想像に難くない。
ほどなくして、アガーテは自分の部屋が荒らされたと侯爵に訴えた。寝具は引き裂かれ、カーテンや壁紙も刃物で切りつけたような形跡がある。
「わたくしたちが歓迎されていないのは、分かっておりましたけれど」
ガリーナは、目を伏せてくちもとを手巾で覆ってみせる。
「邸の者の仕業だというのか」
「あの侍女がアガーテの部屋から出てきたのを、見た者がおります」
指さされたのは、ウルスラ付の侍女の中で、最も年若い娘だった。
「そんな……わたしは、アガーテお嬢様がお呼びと聞いて伺っただけです。おいででないので、すぐお部屋は出ました」
「わたしが、あなたを呼ぶはずないじゃないの。あなたはウルスラお姉さまの侍女なんだから」
アガーテは、ふっと含み笑いをする。
「それとも、あなた、誰かに指示されたのかしら?それなら、あなたは命令に従っただけよね?」
ウルスラが命令してさせたことだと、アガーテは彼女に言わせようとしている。侍女がウルスラの関与を否定し続けても、ウルスラに対する不信感は侯爵や他の使用人に与えられると踏んでいるのだ。
「ナンナ」
侯爵が、侍女の名を呼んだ。
「はい、旦那さま」
「お前と私との契約を切る。後は、マイリー夫人に任せる」
名を呼ばれた侍女頭は、深く礼をした。
「ナンナ、すぐに荷物をまとめなさい」
「はい……」
うつむいて、侍女は部屋を出て行く。侍女頭も、すぐにその後を追った。
「お父さま、これだけで済ませるのですか?」
不満を露わにするアガーテに、侯爵はウルスラの方を見やった。
「ウルスラは、南翼の棟に移るがよい。アガーテには、今までウルスラが使っていた部屋を与える」
ウルスラは、はっと息をのんだ。侯爵の言葉は、ウルスラの立場が今までとは全く違うものになることを示している。
「承りました。お父さま。いえ、サンオルリア侯爵閣下」
カーテシーをして、再び顔を上げた時、ウルスラはもう覚悟を決めていた。
その日は、定期的に開かれるお茶会の日だった。王宮で行われるそれは、聖女候補の令嬢たちが一堂に会するものであり、王族も顔を見せる。
いつものようにお茶会の開かれる庭へ足を踏み入れたウルスラは、そこにアガーテの姿を見出した。一足早く、ここへ来ていたようだ。
アガーテも今では侯爵家の息女、参加資格がないわけではないが、本来ならばウルスラに同行して、紹介をしてもらうのが筋だ。それを、わざわざ別に、しかも早く赴くとは、礼儀知らずとそしられても仕方のない行為である。
「あら、お姉さま。今頃おいでになったのね。わたし、皆様にご挨拶していたのよ」
アガーテの周囲にいるのは、侯爵家以上の家柄の令嬢たちだ。皆、笑みを浮かべており、アガーテを歓迎する雰囲気を出している。
アガーテを聖女にと推す意識を、ウルスラは感じ取っていた。この短い間に、令嬢方にそこまでさせるとは、アガーテはウルスラの想像以上の立ち回りをしたようだ。
「王太子殿下がお見えですわ。アガーテさま、ご紹介いたしましょう」
筆頭公爵令嬢、マルグリットが手を差し伸べ、アガーテは優越感たっぷりにそちらへ歩を進めた。
「ウルスラさま」
仲の良い侯爵令嬢がそっとウルスラの肩を抱く。
「聖女の座は、アガーテさまのものになりましょう。でも、ウルスラさまが悪いのではありませんわ。なるべくして、なるのですわ」
「そうですわね」
王太子にじきじきに声を掛けられ、すっかり舞い上がっているらしいアガーテをみやり、ウルスラはちいさく溜息をもらした。
その十日後、次期聖女がアガーテに決定したとの発表がなされたのだった。
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