第九十四話 大蛇料理
「お兄様ーー!!」
「おっと、どうしたよリリィ、そっちは離れて大丈夫なのか?」
ダークマンバが倒れ、今後の話し合いのために戻ってきたユリウスに、リリィが思い切り抱き着いた。
心配そうに残された怪我人を見やるユリウスに、リリィは問題ないと頷きを返す。
「もう処置は済みました、命に別状はありませんから、後は街まで運ぶだけです。それにしても、お兄様凄いです! さっきの魔法なんですか!? ビカー! バリバリー! って、もう凄かったです! やっぱりお兄様は最強です!」
「ははは、ありがとなリリィ」
見ている方が眩しくなる程に目をキラキラと輝かせ、子犬のようにじゃれついて来る妹の姿に、さしものユリウスも押され気味だ。どうやら、あれほどの魔物は討伐出来ても、兄は妹に勝てない生き物らしい。
とても、本来なら騎士の一部隊を派遣しなければ倒せないような化け物と交戦した直後とは思えない、ほのぼのとした雰囲気に、ルルーシュ以外の……特に、ナルミア達三人娘や傭兵達は唖然としたまま固まっていた。
「二人とも、お楽しみのところ悪いんだけど、これからどうするか決めないと。商隊の馬車が魔物にやられたり馬が逃げ出したりで使えないから、この人数を一度に運ぶのは難しいよ」
とはいえ、そのまま放置しているわけにもいかないと、ルルーシュが協議に入る。
ひとまず、ルルーシュとリリィの治療の甲斐もあり、命に関わるような重体の人はいなくなったのだが、だからと言ってすぐに動けるわけでもない。
リリィ達が乗って来た馬車もあるのだが、あちらはあまり大きくないので、どちらにせよこの人数を一度には運べないのだ。
「だったら、王都に救援要請を出した方がいいでしょうか? 確か、緊急時のために学園へ直通で繋がる《念話》の魔道具を貸し出されてましたよね?」
課外授業ともなれば、本来は教師が随伴するのが筋。
しかし今回は相手が魔物だっただけにほとんどの教師が行きたがらず、魔物と戦えるような腕前の教師は大抵既に予定が埋まっていたため、代わりとして渡されたのがその魔道具だ。
こう言ってはなんだが、現状では教師が一人ついているよりもよほど有難い。早速、魔道具一式を預かっていたマリアベルが、それを使って学園と連絡を取り始めた。
「さて、それじゃあ救援が来るまで時間もありますし……お兄様が仕留めてくれたダークマンバ、解体しますか」
「ちょーーーっと待ってくださいまし」
そして、何気なく放ったリリィの言葉に、それまで硬直していたナルミアから全力で待ったがかかる。
一体どうしたのかと首を傾げるリリィに、ナルミアは恐る恐る問いかけた。
「あの、あんなもの解体してどうするんですの? まさか持って帰るおつもりでは……」
「はい、持って帰りますよ? それがどうかしましたか?」
「どうかしましたか? ではありませんわ! あんなもの持ち帰ってどうするんですの!?」
「それはもちろん、食べます」
「た……食べるんですの!? あれを!?」
あっさりと言ってのけるリリィに、ナルミアは今日何度目かも分からない驚愕の表情を浮かべた。
一応彼女も、魔物が食べられることは知っている。何なら、高級食材として一部の貴族は特に偏愛しているくらいだ。
しかし、彼女達が目にするのは、あくまで調理済みの、食べやすいサイズにまでカットされた物だ。
生きて、しかも好き放題毒を撒き散らし暴れ回る化け物を目にした後、それをさあ解体して食べようという気になるかと言えば……温室育ちのお嬢様には厳しいだろう。
いや、何なれば、傭兵達ですらその発言にはドン引きしている。
「待てよリリィ、解体って言っても、こんなに大きい魔物じゃ全部は食べきれないだろ? 出来るだけ美味いところだけ先に小分けにして、それ以外は狩猟ギルドに売りに行こう」
「狩猟ギルドなんてあるんですか?」
「ああ。王都周辺では、ギルドが狩場を管理しててな、事前に許可を得ずに猟に来ると罰金とか、最悪不審者と間違われて撃ち殺されちまう。今回は、学園の方から連絡が行ってるはずだから、取った獲物を持ってけば換金してくれるよ。仲介料を取られる分、少し値段は安くなるけど、自分で取引先を探すよりは楽だし、何よりこっちの足元見て買い叩かれる心配もないから、よっぽど交渉に自信がなきゃ、狩猟ギルドに持ってくのが無難だよ」
「へえ、そうなんですか! 勉強になります!」
ユリウスと二人、そんなことを喋りながら、リリィはダークマンバの亡骸に近づき、解体用のナイフを用いてその体を捌いていく。
魔物の強靭な肉体は、その膨大な魔力によって支えられた独自の強化魔法のようなものの働きによるところが大きいため、仕留めてしまえば後はただただ巨大な蛇とさほど変わらず、サイズを別にすればそれほど苦労はない。
もっとも、そのサイズこそが最大の敵とも言えるわけだが。
「んしょっ、んしょっ……」
「リリィ、ダークマンバは毒腺もあるんだからあまり雑にやるなよ?」
「ああ、そうでした。すみません、お兄様」
僅か十歳の少女が、ナイフを手に肉を解体していく、ある種猟奇的な光景。
ユリウスも十三歳なので似たようなものなのだが、リリィの場合は同年代と比べてもまだ背が小さいため、余計にそんな心情が浮かぶ。
とはいえ、二人の手際そのものは惚れ惚れするほどに素早く、流石は田舎の辺境領主、それも森に囲まれたアースランド領出身というだけある。
初めのうちは、ナルミア達と同じように動物の解体などとてもできなかったリリィとしては、今度は自分がそんな類の視線を向けられているという事実に、ちょっとばかり自らの成長を実感する思いだ。
「リリィ、向こうは落ち着いたし、僕も手伝うよ。ダークマンバの毒腺は薬の材料にもなるから、少し欲しい」
「あ、ルル君、ありがとうございます」
ルルーシュも合流し、子供三人、巨大な蛇の魔物を解体していく。
やがて、王都からの救援部隊が到着するまで、ずっとその光景を目にしていた商人や傭兵達の間ではその後、こんな話が語り継がれるようになったという。
――王都の森に住まう、魔物の主。大きな大きな毒蛇に悩まされる商人達と、そこに気紛れのように現れてはあっさりと毒蛇を倒し、あまつさえそれを美味しそうだと語る、仲睦まじくも恐ろしい、兄妹の話が。
「つ、疲れましたわ……」
ダークマンバの討伐が終わって、王都に帰ったリリィ達は、無事に生きて戻れた商人達にそれはもう何度もお礼を言われ、実際に寮へと帰りついたのは王都の門を潜ってからしばらく経った後だった。
仕留めた獲物の肉を狩猟ギルドに卸す手間があったことも理由の一つだが、やはり日がな一日王都の外で活動し、ダークマンバと命掛けの戦闘を――そのほとんどはユリウスが行ったとはいえ――したのだから、たとえナルミア達が帰還と同時に貴族令嬢としての節度も忘れてテーブルに突っ伏してしまったとしても、仕方のないことだろう。
「全くです、ナルミア様……」
「もう、しばらく……いえ、一生魔物は見たくない気分です……」
ナルミアの取り巻き、ソフィアとタメラもまた、同じような体勢で突っ伏していく。
そんな彼女達に、同行していた他のメンバーは苦笑を漏らす。
「まあまあ、これもいい経験ですよ。はいこれ、みなさんに慰労がてらのお料理です」
「ああ、ありがとうございます、リリアナさん……って、これは……」
テーブルの上にコトコトと並べられていく皿を見て、ナルミアは少々顔を引きつらせる。
それは、肉を細かく潰し、ひき肉にしてから再度形を整えて焼いた、所謂ハンバーグと呼ばれる料理。
リリィが教えるまでもなく、海洋貿易を通じて他所の国から流れて来た料理の一つなのだが、今のナルミアにとっては、肉というだけで警戒に値する。
「……リリアナさん、もしやこれは……」
「ああ、心配しなくても大丈夫ですよ、ナルミアさん」
「そうですか、良かった、てっきりダークマンバの肉なのかと思ってしまいましたわ」
「いえ、ダークマンバの肉ですよ? ただ、毒抜きも魔抜きもしっかりとやったので、何も問題はありません」
魔物の肉というのは、そのままでは食べられない。
魔物というのは、頭の先から尻尾まで、全ての部位に高密度の魔力が宿っているので、それをそのまま食べてしまうと、ちょうどリリィが魔力剣でやっているのと同じように、人の体内に過剰な魔力が供給され、魔力暴走を引き起こしてしまう。
そのため、魔物の肉は調理する前に必ず“魔抜き”という、宿った魔力を抜きとる工程が必要となるのだが、肝心の流通量が少ないため、普段食べている貴族であっても意外と知られていない事実だ。
当然、魔物が住む魔の森と共に生きるリリィはその程度のこと先刻承知なので、心配せずともユリウスと共にキッチリ執り行っている。
だから、てっきりそのことを心配しているものと考えたリリィはそう太鼓判を押したのだが。
「問題大ありですわぁぁぁぁぁ!!」
うがーー!! っと、先ほどまでの精魂尽き果てた姿はどこへやら、元気いっぱいに叫ぶナルミアに、リリィは目を白黒させる。
一体何が問題なのかと首を傾げるリリィに、ナルミアは猛然と食ってかかる。
「あのですね、私達、つい先ほどこいつが動いてうねうねしながら人を襲っているところを見ているんですのよ!? しかも目の前で解体されていく現場まで見て! 食欲湧きませんわ!!」
「まあまあ、だからこうして原形が残らないようにハンバーグにしたんじゃないですか。それに、魔物肉って美味しいんですよ? 一度食べてみましょうよ」
「原形とか言わないでくださいましぃぃぃ!!」
頭を抱えていやいやと首を振るナルミアに、リリィがまあまあとハンバーグを勧める。
そんな光景を眺めながら、ユリウスは苦笑を漏らした。
「ははは、正直、リリィが学園に来て、ちゃんと馴染めるか不安だったけど……上手く行ってるみたいで良かったよ」
リリィはあれで、かなりの頑固者だ。自分がこうと決めたら決して譲らず、他人と衝突することもしばしばある。
リリィはかつて、ユリウスが他の上位貴族と衝突しないかと気に病んでいたが……実のところ、ユリウスはユリウスで、リリィが上位貴族と衝突する事態を恐れていたのだ。
何だかんだと、よく似た兄妹である。
「……ルルーシュ?」
話を振った相手から返答がないことに、ユリウスが首を傾げる。
そこで、ようやく自分が話しかけられていることに気付いたルルーシュは、ようやくユリウスに顔を向けた。
「ああ、ごめん、なんだっけ?」
「いや、別に大したことじゃないけど、どうしたんだ? お前も疲れたか?」
「いや、まあそれもあるけど……今回の課外授業を言い出した本人は、せっかく仕留めて来たのに今頃どこで何をしてるのかと思ってさ」
「あー、シルヴィア様な、そういえばいないな」
今回の課外授業の結果は、既に学園へと通達済み。大物を仕留め、更には商隊をも救ったということが高く評価され、しばらく授業をサボっても問題なく進級出来るほどの単位が全員に与えられている。
しかし、元々今回の授業は魔物による通商破壊で食料が届かず、リリィの料理が食べられないと駄々を捏ねた公爵令嬢の一声が原因で生じたものだ。せっかく問題が解決したというのに、言い出した当人が顔を出さないというのは、確かに気にはなる。
「ただでさえ、今回の一件はこんな王都の近くにあんな魔物が出たことも含めて変な部分が多いし、またランドール家が何か企んでるんじゃないかって心配なんだ」
基本的に、魔物というのは魔力が多く溜まりやすい土地に出没する。
アースランド領の魔の森などその典型だが、王都周辺はあまりそのような場所もなく、比較的溜まりやすいとされる西部の沼地や森とて、本来ならば小型のホーンラビット程度しか出現しないはずなのだ。
それが、魔の森ですら滅多に現れないような大型の魔物が出現し、暴れまわっていた。被害がやけに商隊に偏っていたことといい、何か作為的なものを感じざるを得ない。
そんなルルーシュの懸念を、ユリウスは軽く笑い飛ばした。
「気にしすぎだろ。あの子も公爵令嬢なんだし、単に忙しいだけだって」
「だといいけど……」
「それにさ」
不安そうなルルーシュの肩を、ユリウスはバシンと叩く。
「何か企んでたとしても、分からないうちから悩んだって仕方ない。俺達は俺達で、守るべきものをちゃんと見ておけば大丈夫だ。そうだろ?」
「……そうだね」
賑やかな騒ぎの中心で、楽しげに笑うリリィの姿を目で追いながら、ルルーシュは頷く。
ランドール家が何を企んでいたとしても、守るべきものは変わらない。
何が起きても守れるように、ちゃんと傍にいなければ。
「あ、お兄様、ルル君! ちゃんと食べてますか? おかわりもありますよ!」
「おう、美味しくいただいてるよ。おかわりあるならもうひとつくれ」
「僕としてはむしろ多すぎるくらいなんだけど……」
「ダメですよルル君、男の子なんですから、ちゃんと食べないと大きくなれませんよ!」
「少食で小さいリリィが言うと説得力あるね」
「あああ!! 言いましたねルル君、言っちゃいけないこと言いましたね!? お仕置きです!」
「うわっ、ちょっ、リリィ、くすぐらないでって、ちょっ、まっ……!?」
ガチャガチャ、ワイワイと、更に賑やかになっていく食堂の中に、子供達の明るい笑い声が響く。
その中心で、リリィはいつまでも元気に駆け回るのだった。




