第九十三話 雷天の騎士
「くっそ、こんなのどうやって倒せばいいんだよ……」
ダークマンバの強靭な鱗を前にして、ヒルダは完全に攻めあぐねていた。
炎の魔法剣は、遠距離攻撃可能な魔法を苦手とする彼女にとって、まさに切り札とも言うべき魔法だ。
それが通じなかった以上、打てる手段などないに等しい。
「あー、ヒルダちゃんだったよね。少し下がってて貰える? こいつは俺が片付けるから」
一方で、同じように攻撃が通じなかったはずのユリウスは、軽い口調でそう告げる。
思わぬ言葉に、ヒルダはぎょっと目を剥いた。
「いや、何言ってるんだ!? あんたの魔法剣だって、ほとんど通じてなかったじゃんか! こうなったらもう、リリアナの魔法しかないって! 一度下がって手伝って貰おうぜ!!」
魔法の威力で最後に物を言うのは、結局のところ魔力量だ。
もちろん、技量に応じて効率は変わるのだが、威力のみを追求するならば、このメンバーの中では間違いなくリリィがダントツだろう。
しかし、ユリウスは首を横に振る。
「それだと、せっかく保護した商人や傭兵の人達が危ないだろ? ルルーシュがいれば大丈夫だとは思うけど、リリィも薬学を勉強してるし、助手が付いてた方が安心できる。まあ、心配するなって、ようは戦い方だよ。それにさ……」
理由を説明しても、不安げなヒルダに向けて、ユリウスはにっと不敵に笑う。
「妹が見てるんだ、兄貴としては、少しくらいカッコつけないと」
あまりにも大胆な発言に、ヒルダはポカンと口を開ける。
そんな彼女をそのままに、ユリウスは剣を構え再度ダークマンバへ挑みかかっていく。
それに対し、ダークマンバはその長い胴体を振るって叩き落とそうとするのだが……。
『《幻影》』
アースランドが誇る魔木の幹よりも尚太い胴体は、ユリウスの残した残像を素通りし、大地に叩きつけられる。
土煙を上げ、動きを止めたその胴体へと、ユリウスが素早く追撃を加えた。
鱗が引き裂かれ、小さな切り傷が一つ増える。
「キシャアアア!!」
「おー、怖い怖い、こっちだこっち」
二度に渡って僅かなりとも傷をつけられた怒りからか、ダークマンバは完全にユリウスを標的と見定めたらしい。小刻みにステップを踏み、巧みに動き回るユリウスに釣られ、その巨体は徐々にリリィ達から遠ざかっていく。
そして、ちょこまかと逃げるユリウスに痺れを切らしたのか、またも毒液を飛ばそうと首元を開いた。
「おっと、それはさせないぞ」
その隙を見計らっていたかのように、ユリウスは一転してダークマンバの懐に飛び込み、今まさに毒液を放とうとするその噴出口へ掌を向ける。
『大地の精よ、絡み纏わる拘具となりて、彼の者を捉えよ。《粘土》!!』
詠唱と共に放たれたのは、粘性の高い泥のようなそれ。
そのままでは何の攻撃力も持たない魔法だが、ダークマンバに張り付くと同時に硬化し、噴出口を完全に塞いでみせた。
これで、もう毒液を放つことは出来ない。
「シィィィィ!!」
自らの特技を封じられたことに、益々怒りで頭に血が上ったのか、それとも首元のそれを割り砕こうとでもしているのか。ダークマンバが滅茶苦茶に暴れ出し、ユリウスを巻き込もうと体をくねらせ、周囲を鞭のように薙ぎ払う。
「あらよっと」
そんなダークマンバの攻撃の全てを、ユリウスは強化魔法のみで躱し続ける。
傍から見れば、とても人が生存できるとは思えないほど苛烈な暴威の中にあって、極僅かに存在する空白地帯を即座に見抜き、体を滑り込ませ、時折幻影魔法を放って魔物の動きを誘導する。
そうして作り上げた隙を利用して剣を振るい、鱗を砕き、雷光を奔らせ、徐々に徐々に、ダークマンバの体を蝕んでいく。
「す、すげえ……」
そんなユリウスの戦いを間近で見ながら、ヒルダは介入する隙さえ見いだせずに呆然と呟く。
強いとは、聞いていた。
三年前、成人したばかりの兄がアースランド家へ向かい、真っ先に送って寄越した手紙に、当時まだ十歳のユリウスに負けたと書いてあった時は、いつかそれほどの剣士に会える日を楽しみに思ったのを覚えている。
だが、それでも。まさかこれほどとは思わなかったのだ。
「でも、負けてられるか、オレだって……!」
ユリウスは強い。自分などよりも遥かに剣の実力は上だ。それは認めよう。
それでも、ダークマンバには未だに有効打を与えられないでいる。
徐々にダメージを蓄積させていると言っても、それは所詮掠り傷を積み重ねているに過ぎず、このままでは命に届くよりも早くユリウスの方が力尽きるだろう。
たとえ、あの鱗を砕く威力の魔法が使えないとしても、気を引いてユリウスの負担を軽減するくらいは出来るはず。そう考え、双剣を構え直す。
「よし、そろそろか」
しかし、ユリウスは一度ダークマンバから距離を置くと、あっさりと剣を仕舞ってしまう。
それを見て、ヒルダは思わず声を上げる。
「ユリウスさん、何してんの!?」
まだまだ弱った様子も見せないダークマンバを前に、無防備な姿を晒すという突然の暴挙。
一体何を考えているのかと叫ぶヒルダに対し、ユリウスは至極簡潔に言った。
「何してんのって、これからトドメを刺そうかと」
「え……」
「キシャアアア!!」
思わぬ言葉にヒルダが硬直している間に、ダークマンバが動きを止めたユリウスへと襲い掛かる。
大口を開け、矮小な人間を丸呑みにしようと迫るダークマンバ。しかしその巨体は、ユリウスへと届く直前で突然その動きを停止した。
「キ……シャア……!?」
『《雷縛》』
ダークマンバを取り囲むように、無数に展開された魔法陣。
地面などに直接描くのではなく、魔力を使い空中に描くことで他者の目を欺くように設置されたそれらから、気付けば一斉に雷の縄が伸び、ダークマンバに付けられた小さな傷へと絡みついていた。
抜け出そうと暴れ出すダークマンバだったが、その度に全身の鱗が裂け、悲鳴のような声が上がる。
「やめとけ、切り口の奥に楔を打って、体の中にまで雷が通ってるんだ。どんな怪力があったって動けないし、仮に動けたとしても全身が引き千切れてバラバラになるぞ」
恐ろしい未来予想図を語るユリウスだが、ダークマンバに人の言葉が分かるはずもなく、いつまでも暴れ続ける。
そんな姿を見つつ、ふと未だに動けないでいるヒルダに気付いたユリウスは、いいことを思いついたとばかりに手を叩く。
「ああ、そうだ、せっかく課外授業って形で来てるんだし、一つ魔物討伐のコツを教えてやるよ。まずな、魔物って案外臆病なんだ」
「は……?」
突然始まった講義に加え、思わぬ情報を聞かされて、ヒルダは益々困惑する。
しかし、そうしている間にもユリウスの話は続く。
「魔物が好戦的なのは、自分よりも魔力が低い“格下”と対峙した時だけ。だから、さっき言ったみたいにリリィの魔法で倒そうとすると、すぐに逃げ出して仕留め損なう危険があるんだ。やるなら、最初のうちは弱い魔法で牽制して、こうやってしっかり拘束するなりして、隙を作ってから必殺の一撃を叩き込むようにするのがいい」
暴れるダークマンバの足元に、もう一つ、巨大な魔法陣が浮かび上がる。
全長数十メートルにも及ぼうかというダークマンバの巨体をすっぽりと覆い尽くすほどの魔法陣に、ユリウスの体から魔力が流し込まれ、そこに刻まれた術式を通過する度、その出力が少しずつ増幅されていく。
――魔力増幅術式。
魔法の発動に直接関係はなく、魔力を流し込むことで空気中の魔力を僅かに取り込み、威力を増幅する力を持った魔法術式だ。
それだけ聞くと便利そうな代物だが、魔法陣に魔法発動と関係のない術式が増えるということは、それだけ余計な抵抗が増え、発動に余計な時間がかかることを意味する。ただでさえ、一つの術式では効果が薄く、多数の増幅術式を同時に組み込むのが基本となるので尚更だ。
単純に、組み込んだ術式の分だけ魔法陣が巨大なものになるというのも致命的で、魔道具にするにも嵩張り過ぎ、現地で描くには手間と時間がかかり過ぎるため、基本的には複数の魔導士が騎士による手厚い援護を受けながら使用する、軍隊用の戦略魔法に用いられる術式である。
それを、ユリウスはこの場で、たった一人で準備してみせたのだ。
「こんな魔法陣、いつの間に……!?」
「ダークマンバと戦ってる間、ずっと描いてた。あれと交戦してたのは、俺が幻影魔法で作った分身だよ」
「えっ!? でも、確かに剣で傷を……」
「剣だけは本物だったからな。案外人間相手に使っても騙せるから、オススメのテクニックだぞ」
ユリウスの姿がブレ、剣だけが空中に取り残される。
そこから数歩離れたところに音もなく現れたユリウスは、宙に浮かぶ剣を、電撃の糸で引っ張るようにして手元に手繰り寄せてみせる。
彼は簡単に言っているが、分身をそうと分からないように緻密に操作し、その合間にこれだけの魔法陣を描ききるなど、誰にでも出来ることではない。
「俺ってさ、魔力量は生まれつきそれほど多くないんだ。だから、父様やリリィみたいに正面から敵をねじ伏せるような戦い方は、どうしても出来なかった」
少しばかり遠い目をしたユリウスは、チラリと、やや距離がある場所で、兄の勝利を信じてルルーシュと共に治療を続けるリリィを見やる。
小さい頃から、何度も己の無力を味わって来た。
その度に、自分に才能はないのかと、妹一人守る力すらないのかと嘆き続けて来た。
多すぎる魔力のせいで苦しんでいたリリィの前では、決して口にしなかったが……本当は、彼女の持つその力が、ずっと羨ましかったのだ。
「でも、そんな俺だって……これだけのことをすれば、リリィにも負けない魔法が撃てる」
手にした剣を軽く振るい、地面に突き刺す。
同時に、ようやく全体に魔力が行き渡った魔法陣が激しく発光し、魔法発動の準備が整う。
今にも爆発しそうなほどに高まった魔力を感じ、何とか抜け出そうと一心不乱に暴れ続けるダークマンバを見据え、ユリウスは手を掲げる。
「だから、しっかり見とけよ……これが、今の俺の全力だ」
その場にいるヒルダに対してか、それとも後ろで見守るリリィに対してか。
万感の思いを込めてそう呟いたユリウスは、最後の引き金となる一言を紡ぎ出す。
『《雷天葬送》』
瞬間、大地と天空との間を、閃光が奔る。
魔法陣から溢れ出した魔力が雷となり、ダークマンバの巨体全てを呑み込む柱と化す。
眩い雷光が辺りを満たし、大気を震わす轟音が耳朶を打ち、その余波だけで木々が暴れ回る。
地を割り、天を裂く強大な魔法の発動に、誰もが瞠目し言葉を失い――やがて、元の静寂を取り戻した大地へと、巨大な魔蛇は黒煙を上げながら倒れ伏した。
「……どうよ、俺も、少しはやるだろ?」
タイラントベアをも超える、強大な魔物を見事討伐せしめたユリウスは、最後にそう言って、ニヤリと笑みを浮かべるのだった。
何気にお兄様、実戦初勝利。




