第九話 手に入れた役割
リリィによって最悪の事態が回避されたことで、幾分か落ち着いて話し合う余地が生まれ、黒狼の子供はリリィの主張通り領主館に連れて帰ることとなった。
黒狼がアースランド領にとって守護獣だから……というのもあるが、何よりも、リリィの「飼い慣らして毎日村の中を散歩させれば、それだけで獣害対策になるんじゃないですか?」という提案が決め手となったのだ。
魔物はその存在だけで通常の獣を怯えさせることが出来るため、村の中で飼うことが出来れば、確かに一定の効果は見込めるだろう。黒狼がやけにリリィに従順な態度を示したため、カロッゾもまたこれを了承した。
もちろん、それはそれとして、リリィとユリウスの二人は、勝手に森の中に入ったことを思い切り叱られることになったのだが。
そうして連れ帰った黒狼はカタリナの手によって治療されることとなったが、幸いそれほど重篤な状態にはなく、カタリナ自身が調合した傷薬と治癒魔法によって概ね怪我は治り、後はしっかりと餌を食べ、しばらく休めば回復するだろうとの診察を受けた。
当初は怪我の影響でまた暴れ出すことが懸念されたのだが、黒狼の子供は驚くほど従順にリリィの言葉を聞き、治療中も全くと言っていいほど抵抗しなかったため、何の問題もなかった。いいことなのは間違いないが、これにはカタリナもかなり驚くこととなった。
そもそも、魔物は基本的に人に懐かない。黒狼とて守護獣などと言われてはいるが、あくまで一般的な魔物よりも好戦的でないというだけで、人が使役した例など歴史を遡ってもほんの数件しかない。
子供だったからなのか、はたまたリリィの持つ“力”に惹かれたのか……。
結論は出なかったが、ひとまず村の近くに現れた魔物の正体も判明して一件落着、とは、残念ながら行かなかった。
「大将、こいつは……」
黒狼の一件が終わった数日後、カロッゾ、クルトアイズ、そしてスコッティの三人で森の中を調査していたところ、リリィによって保護された黒狼の母親と思しき死体が見つかった。
それも、胴体が四つに切断された状態でだ。
「ああ、間違いなく他の魔物の仕業だろう。しかも、黒狼の成獣を仕留められるほどだ、生半可な魔物ではない。それがここまで来ているとなると、問題だな」
「しかし、村の近辺は粗方捜索し終えましたが……捜索範囲を広げますか?」
捜索すると一口に言っても、魔の森は広大だ。動かせる人間が三人程度ではとても回り切れず、普段は村の近辺を見回るのみに留めていた。
魔物は基本的に好戦的で、ある程度目立つように魔力なり魔法なりを放ちながら移動していれば、向こうからその発生源を見つけて襲い掛かって来るため、そのようなやり方でも村の防衛という面で問題はなかった。
しかし、あまりにも強力な魔物の個体が出現した場合、その存在によって通常の動物だけでなく、下位の魔物さえも恐れをなして村の方へ逃げ込んで来てしまうため、出来れば早急に討伐する必要があった。
だからこそ、通常の捜索で見つけられないのであれば、まずはその範囲を広げるべきかと問うスコッティに、カロッゾは険しい表情のまま首を横に振った。
「それはやめておこう。今回の捜索にしても、少々村から離れすぎなくらいだ。いくらカタリナやバテルがいるとはいえ、俺達全員が出払っていてはいざという時対処できん」
「では、これまで通りに?」
「ああ。いつもの見回りを続けながら、木こり達の護衛を二人体制にして様子を見よう。黒狼を仕留めるほどの魔物だ、棲み処を追われたとは考えにくいし、あるいはもう森の奥地へ戻って行った可能性もある」
「それは流石に楽観がすぎやせんかね? 奥地から出て来る理由がねえってんなら、そもそもこんなところに出没せんでしょうよ。最近は見回り中に魔物を見かける頻度も上がってやすし、間違いなくそいつの仕業です。せめて見回りの回数だけでも増やした方がいいんじゃねえですかい?」
「楽観論が危険なのは重々承知だ。もちろん警戒を怠るつもりはないが、人手不足はどうしようもない。スケジュールの見直しはするが……我々の方が先に潰れては本末転倒だ、それほど変えられないだろうな」
「世知辛いですねえ……了解しやした」
クルトアイズと意見をすり合わせながら、カロッゾは今後の方針を決める。
本音を言えば、カロッゾとて後顧の憂いは先に絶っておきたいのだが、人手不足はどうしようもない。弱小貴族は、少ない持ち札をやりくりしながらやっていくしかないのだ。
「そういえば……リリアナ様の力、“精霊の耳”でしたっけ? あれで見つけることは出来ないんですか?」
ふと思いついたように、スコッティがリリィの名を上げると、カロッゾは何を思い出したのか、突然頭を抱えて溜息を吐く。
黒狼の子供を保護した後、リリィが聞いたという不思議な声についてカタリナと相談したところ、どうやらリリィには、“精霊の耳”と呼ばれる能力が備わっているらしいことが分かった。
大層な名前だが、それ自体は特別変わったものではない。この世界の生物は、誰しも多かれ少なかれ周囲にある魔力を感じ取ることが出来る能力があるのだが、精霊の耳を持つ者の場合、単にその感度が高いだけでなく、魔力が持つ波長の違いや、そこに宿る生物の意思まで正確に感じ取ることが出来ると言われている。
大量の魔力を保有し、常にそれを垂れ流している魔物や、魔力そのものが形となった魔法に対して特に顕著な反応を示すため、リリィが黒狼の存在を感じ取れたのも、カタリナの魔道具に近づいて耳鳴りがしたのも、恐らくはこの能力が原因だと判断された。
生まれつき体内の魔力保有量が多かったり、幼少の頃から周囲を高魔力で囲まれた環境で育つと開花しやすいとされている能力のため、恐らくは国内きっての魔力量を誇るカタリナの下に生まれ、かつ魔の森の傍という生活環境がリリィにその能力を与えたのだろう。
それに、黒狼の動きを一声で制止して見せたあの時、ほんの一瞬だけ感じ取れた魔力からして、その保有量も相当な物の筈だとカロッゾは予想している。
何はともあれ、魔物の脅威に常にさらされているアースランド領にとっては、領主家の一員であるリリィがその能力を得たことはまさに福音と言えるのだが……カロッゾとしては、とある事情から手放しに喜ぶのは難しかった。
「いくら精霊の耳があるとはいえ、村からここまではかなり遠い。よほど強力な魔物相手でなければ、いたとしても感じ取ることは出来ないだろう。それと……今はいいが、出来ればあの子の前では、そのことは言わないでくれるか?」
「え? 別に構いませんが、どうしてです?」
「知らねえのかスコッティ? リリ嬢、精霊の耳があるって分かってから、『これからは魔物の捜索は私がやります!』って気合入れまくって、終いにゃまーた一人で森の中に行こうとしたってぇ話だぞ?」
「えぇ!? いや、確かに俺もその能力があれば便利だと思いましたけど、流石にあんな小さな子が一人で森に入るのは危険でしょう……」
「ああ、そうなんだよ……ずっと閉じこもっていたリリィが、黒狼の件を切っ掛けに元気になってくれたのは嬉しいんだが、少しユリウスに似て来たのが心配でな。もしこのことについて知れば、みんなのためにと本当に森の中に足を踏み入れかねん。悪いが、このことがリリィの耳に入らないように気を払ってやってくれ」
「了解しました。気を付けます」
痛し痒しとでも言うべきか、複雑な表情で頼み込むカロッゾに、スコッティは生真面目な表情でそう返す。
確かに精霊の耳の力は有用だが、緊急時でもない限り、自衛手段も持たない四歳の娘を、森の中に頻繁に連れていくわけにはいかない。しっかりと成長するまでは、自分達の力で解決しなければならないのだ。
「そういや確か、ユリ坊もあれ以来、随分熱心に訓練するようになったって話じゃねえですか。妹に負けてられねえって気持ちが強いんでしょうが、兄妹揃って先が楽しみですねえ」
「まあな、二人とも、自慢の子供だよ。だからこそ悩ましいのだが……ともあれ、俺達のやることは変わらない。領民を、そして家族を守るために、全力を尽くすだけだ。二人とも、しばらく苦労をかけるが、頼んだぞ」
「もちろんです。従騎士として、務めを果たします」
「俺には家族はいないんですがね。でもまぁ、ここには世話になってる連中がたくさんいやすから、任せてくだせぇ」
カロッゾの言葉に、スコッティは力強く頷き、クルトアイズも口調こそ軽いが、真剣な表情で請け負って見せる。
「む?」
「カロッゾ様、どうされました?」
ともあれ、この場所での調査は一旦終了だと、黒狼の死体を埋葬しようとしたところで、カロッゾは不意に視線のようなものを感じ、後ろへ振り向く。
しかし、彼が振り向いた頃には既に、感じた気配は綺麗さっぱり無くなっていた。
「……いや、すまない、気のせいだったようだ」
「大将に限って気のせいってこたぁねえでしょうよ。もう少し、調べていきやすか?」
「そんなことは……いや、そうだな、最後に少しだけ見回ってみよう」
そう言って、少しばかり周囲を探索したものの、結局新たな何かが見つかるようなことは何もなく、彼らはそのまま家路につくこととなる。
帰り際、土の魔法で掘り起こした地面に黒狼の死体を埋葬する最中、その虚ろな瞳に見つめられたカロッゾは、ずっと奥歯に物が詰まったような、もどかしい違和感を抱き続けるのだった。
「オウガ、おすわり!」
領主館の裏庭にて、リリィの元気な声が響き渡る。
それに合わせ、漆黒の狼……リリィによって保護され、“オウガ”と名付けられた黒狼の子供は、指示に従いその場にぺたりと座り込む。
カロッゾ達が、森の中で黒狼の死体を発見して一ヶ月。彼らの奮闘の結果もあり、アースランド領の村には平和な時が流れていた。
オウガについても、最初は本当に安全かどうか半信半疑だった者も多かったのだが、完全にリリィを主と認めているとしか思えないその従順ぶりを見るに当たって、今では正式にアースランド家の一員として認められている。
「お~、よしよし、いい子ですね~」
「ガウッ」
オウガの首元を撫で回し、指示に従ったご褒美に干し肉を差し出す。
尻尾をパタパタと忙しなく振っていたオウガは、リリィの手から渡された干し肉を見て嬉しそうに鳴き声を上げ、ガツガツと食べ始めた。
「楽しそうだな、リリィ」
そんなリリィとオウガの姿を眺めながら、ユリウスが呟く。
元々、リリィは小さい頃から発作的に泣き出した時でなければよく笑う子だったが、最近はそれに輪をかけて明るくなったような気がする。
少し前の、笑いながらもどこか危うさを感じさせていた妹の姿を思い出しながら話すユリウスに、リリィは輝くような笑顔を向ける。
「もちろん。だって、私もやっと自分に出来る事を見つけましたから!」
オウガもいい子で可愛いですしね、と言いながら、リリィはもう一度その体をわしわしと撫で回す。
リリィにはよく懐いているオウガだが、今のところ、他の誰かの言うことは聞いてくれない。
人に襲いかかったり、咆えたりするようなことはないのでそれほど問題があるわけではないのだが、そうなるとオウガをしつけられるのは必然的にリリィだけということになる。
しっかりと人の言うことを聞くように調教し、村人達を悩ませる害獣被害を抑えるための猟犬とする。それがオウガを飼う条件であり、成し遂げられれば領地運営の大きな助けとなることは疑いようもない。
政務を手伝うという当初の目標とはやや違う形となったが、リリィにとっては役に立てるのであれば何でもいい。動物と触れ合うのは元より好きな方だったし、それがみんなのためにもなると思えば、舞い上がらない理由はなかった。
「良かったわね、リリィ。でも、はしゃぎすぎて怪我をしないようにね?」
「分かってますよ、お母様。それじゃあオウガ、次はお手を覚えましょう!」
「ガウ?」
おすわり、お手、伏せ、ハウスといった芸を教え込もうとあれこれ指示を出しているリリィの姿を、カタリナは微笑ましそうに見つめる。
ハウス以外、どれも猟犬のしつけにはあまり関係がない気はするのだが、リリィとしてはこれが全ての基本ということらしい。待てが一番大事だが、そちらは既に完璧に出来ているので問題はないだろう。
時折よく分からないことを口にする娘だが、元気でいてくれるならそれに越したことはない。リリィが不安定だった頃を誰よりも知るだけに、尚更そう思う。
「ところで私のことよりも、お兄様の訓練は進んでるんですか?」
そうして、二人仲良くリリィとオウガのやり取りにほっこりしていると、不意にリリィからそう尋ねられた。
あと二ヶ月程で八歳になるユリウスは、既に本格的に魔法の訓練を受け始めている。
魔法の基礎となる体内魔力の知覚や活性化、操作の訓練は五歳の頃からやっていたのだが、ついにちゃんとした魔法を覚えられると、ユリウスは随分と気合が入っていたはずだ。特に、今日はカタリナが空いた時間を利用して見に来てくれたとあって、日頃の成果を見せてやると息巻いていた。
そんなリリィの疑問に対し、ユリウスはふふんと得意気に鼻を鳴らす。
「それならバッチリだぞ! 見てろよリリィ」
手を翳し、意識を集中し始めると同時、ユリウスの体から魔力が立ち上る。
目には見えないものの、音として何となくそれを感じ取ったリリィは、おお、と思わず声を上げながら、その様子をじっと見つめる。
『光の精よ、その輝きで万物を惑わし、虚ろなる影で敵を欺け! 《幻影》!』
詠唱と共に魔力が形を成し、それが魔法となって光を発する。
カロッゾの時とは違う、眩い輝きに一瞬だけ目を閉じたリリィは、再び目を開けたのだが……そこには、先ほどまでと何一つ変わらないユリウスの姿があった。
ひょっとして、今の閃光が魔法なのだろうかと首を傾げるリリィに、ユリウスはニヤリと笑みを浮かべる。
「ふふふ、リリィ、ちょっとこっちまで来いよ」
「……? はい、分かりました」
言われるがまま、リリィはユリウスの傍に近づいていく。すると……。
「ばあっ!」
「ひゃわぁ!?」
突然、ユリウスの胸のあたりから彼自身の頭がもう一つ飛び出し、あまりの光景に悲鳴を上げながら尻餅をつく。
目を白黒させるリリィを見て、ユリウスはけらけらと笑い始めた。
「あははは! 驚いた? これが俺の覚えた魔法の一つで、《幻影》って言うんだ。幻を作る魔法で、自分の分身だって作れるんだぜ。触ったりは出来ないし、動かせるのも今のところ表情くらいだけどな」
「そ、そうだったんですか……びっくりしました」
頭を引っ込め、ユリウスが自身の分身に向けて手を振るうと、確かに何の抵抗もなく素通りしている。どうやら、光によって生み出された立体映像のような物で、実体はないらしい。
あまりにも予想外の魔法を前に、驚きのあまり早鐘を打ち続ける心臓を抑えながら立ち上がったリリィは、心配そうに傍に寄り添ってきたオウガを見て、大丈夫だと示すようにその頭を撫でる。
そんなことをしていると、カタリナが不意ににっこりと笑みを浮かべ、ユリウスの両頬に手を伸ばすと、そのままむにゅうっと引っ張り始めた。
「ユーリーウースー? 魔法はとーっても危ないから、悪戯に使っちゃダメって言ったでしょー?」
「はぐぐっ、かーさま、ごめん、ごめんって!」
お仕置きだと言わんばかりに両頬をぐにぐにと弄り回され、ユリウスはヘンテコな顔になりながら涙目で謝罪の言葉を連ねる。
今はまだ、人を傷つける恐れのある魔法を教えるつもりはないためさほど事故の心配はないが、だからと言って悪用してもいいわけではない。
魔法はストランド王国を周辺諸国から守り通してきた加護の力であると同時に、使い道を誤れば大きな災厄となって本人や周囲の人間に降りかかる悪魔の力でもある。
教えると決めた以上は、“魔法”という呼び名が持つ意味を、まずはきちんとユリウスに覚えさせなければならない。もちろん、それは“魔物”を教え導く立場となったリリィも同様だ。
「リリィも、オウガが人に迷惑をかけないように、やっていいことと悪い事、しっかり教えないとダメよ? 魔法と魔物は違うけれど、気を付けないといけないのは同じなんだから。二人とも、分かった?」
「いてて、分かったよ、母様」
「はい、もちろんです! オウガが本当の意味でこの領地のみんなに受け入れて貰えるように、頑張って教えます!」
一度言った程度で理解されるとは思っていないが、いずれは二人ともわかってくれるはずだ。
仕事のせいで、付きっきりで教えるというわけにも行かないのが歯がゆいが……代わりに、カミラがきちんと言い聞かせてくれるだろう。
カタリナはそう考えながら、ひとまず反省した様子のユリウスと、しっかりと頷きを返すリリィ、二人の頭を優しく撫でる。
「さて、それじゃあ二人とも、訓練もいいけれど、そろそろお昼の準備をしなくちゃいけないから、今日はここまでね。食べたら私も出かけなきゃいけないから」
「お、飯か! 俺もう腹減って死にそうだったんだよねー」
「あ、それなら私、お手伝いします。この前お料理しようとした時は失敗しましたけど、今度こそちゃんとやってみせます!」
「ふふ、分かった、今日は一緒に作りましょうか。ユリウス、少しの間だけ待っててね」
「分かった」
「オウガも、お兄様といい子で待っていてくださいね」
「ガウッ」
ユリウスとオウガを残し、カタリナに手を引かれたリリィは家の中に入っていく。
楽しげに談笑しながら厨房に向かうその表情は、幸せそうな笑顔で彩られていた。




