第八十九話 踏みにじられた想い
リリィの魔法披露で、若干腰が引け気味になった貴族令嬢達だが、そこは一応、女性であっても文武両道が貴ばれるストランド王国の貴族達。いざ自分が実践する番となれば、実に堂々とした姿で魔法を放っていた。
『炎の精よ、燃え盛る業火となりて敵を焼き尽くせ! 《火球》!!』
ナルミアの朗々たる声が訓練場に響き、炎の塊が放たれる。
リリィと違い、特に暴発の危険もなく安定した形状を保って宙を駆けるそれは、的の中心へと見事着弾し、綺麗に打ち砕いた。
「おお、ナルミアさん凄いです! 流石主戦派貴族ですね、私にはちょっと真似出来ないです」
「ふふふ、これくらい、ウーフェン子爵家の一員として出来て当然のことですわ」
自分ではどうあっても出せない精度と安定感にリリィが素直な賞賛を口にすると、ナルミアは得意気に胸を張る。
もはや彼女の中に、派閥云々の確執はないのだろう、褒められて上機嫌になった彼女は、リリィにアドバイスを始めた。
「リリアナさんも、私のようにもっと魔力を抑えることを覚えると良いですわ。そうすれば、自然と精度は上がります」
「うーん、頭では分かってるんですけど、中々上手くいかないんですよね」
「それは、やり方が間違っているのですわ。いいですかリリアナさん? 魔法を放つ時、多くの魔導士は魔力を活性化させます。このように」
ナルミアが土の魔法でちょっとしたコップを作り、その中に水を生成する。
それを揺らし、ちゃぷちゃぷと波打つ様を見ながら、リリィはふんふんと何度も頷いた。
「コップを体、水を魔力とした時、こうして活性化させることでコップから水を溢れさせ、零れた分で魔法を使います。ですが、このやり方では魔力を体内で暴れさせる分、全体に余計な負荷がかかってしまうのですわ」
「あ、それはなんとなく分かります。それが我慢出来なくて、私の場合は思いっきり放出するんですが……」
「ええ、でしょうね。ですが、それでは本末転倒ですから、こうして活性化させることなく、安定した魔力を直接汲み出して魔法を使うのですわ」
再び安定した水面から、直接魔力で水を操り、一部を宙に浮かせるナルミア。
それを見て、リリィは首を傾げる。
「活性化させずに、魔力を取り出せるものなんですか?」
「簒奪術式など、その典型ではありませんこと?」
「ああ、そういえば!」
最近、マリアベルが作り上げた魔導具によって有名になりつつある術式の名が出たことで、リリィの表情にもようやく理解の色が浮かぶ。
「それを、自力で出来るようにするのですわ。私達ウーフェン家では、これを“静の魔力”と呼んでいますの。活性化した“動の魔力”に比べて威力は上がりませんが、慣れればより持久力と精度に優れた魔法が放てるようになるのですわ!」
「なるほど……! ナルミアさん、アドバイスありがとうございます! とっても参考になりました!」
「ふふふ、お礼は美味しい料理の一つで構いませんことよ」
数日前の高慢な態度は鳴りを潜め、すっかり親しげな様子で提案するナルミア。
それを受けて、リリィもまた笑顔で了承した。
「では、せっかく教えて貰ったことですし、早速実践してみます!」
そして、習うより慣れろとばかりに、リリィが再び的へ向かう。
その瞬間、令嬢達が一斉にズザザザ! と距離を取っていくのだが、リリィはさして気にした様子もなく魔力を練り上げる。
「活性化させずに……汲み取るように……」
簒奪術式自体は、マリアベルお手製の魔道具で何度も経験している。
その感覚を思い出しながら、ナルミアのアドバイス通りに自らの体内から溢れんばかりの魔力を引き抜き、そして……。
『《風槍》!!』
詠唱と共に、魔法を発動。先ほどまでより一回り小さくなった風の槍が、一直線に的へ向かう。
破裂しそうな不安定さは鳴りを潜め、良いコースに乗って飛んでいく魔法を見て、「おお!?」と歓声が上がり――僅かに的から外れ、遥か後方へと消えていった。
「ああ、惜しいです!!」
「ふふ、中々筋が良いですわね。この調子なら、練習すればリリアナさんもマスター出来るでしょう」
「むむ、そうですね、良い感じではありましたから、後は練習あるのみです! というわけで、みんなで後百発くらいいっときましょう!」
「そんなに撃ったら魔力欠乏で死んでしまいます!!」
「すみません、百は冗談です。五十くらいにしておきましょうか」
「だからそれでも死にますわ!? あなたのような魔力バカと一緒にしないでくださいまし!!」
キーッ! と叫ぶナルミアに、リリィがあたふたと釈明を続け、そんな二人を見て周りから笑い声が上がる。
とても敵対派閥同士が一緒に訓練しているとは思えない、和気あいあいとした雰囲気。
しかし、そんな空気も長くは続かなかった。
「ふん、そんな不安定極まりない魔法で喜ぶなど、程度が知れるな」
突如聞こえて来た蔑むような言葉に、その場にいた誰もが不快げにそちらへ振り向く。
次いで、そこにいた三人の男子生徒――特に、中央に立つ少年を見るや、目を見開いた。
「カレル様……なぜここに? 今は私達がここを使っているのですが」
「つれない事を言うじゃないか、同じ派閥の仲間だと思っていたんだが。それとも……」
代表して声をかけたナルミアに構わず、少年の目がちらりとリリィの方へ向く。
侮蔑と、それ以上の怒りや苛立ちのような感情が籠ったその視線に、リリィは少しばかり肩を震わす。
「揃ってそこのコウモリ女と仲良くなって、シルヴィア様と縁を切るつもりか?」
「全く、これだから下級貴族は」
「貴族としての立場というものが分かってないんじゃないか?」
「なっ!? そんなはずがないでしょう! リリアナさんは、シルヴィア様が直々にお認めになった方です、それを敵であるかのように嘲るに留まらず、私達まで疑うとは……いくらカレル様といえど、そのような侮辱、許せませんわ!」
今にも爆発しそうなほど顔を真っ赤にするナルミアを見て、カレルと呼ばれた少年は嘲笑を浮かべる。
いまいち状況が掴めていないリリィは、まず第一に傍にいたルルーシュへと説明を求めた。
「ルル君、あれ、誰なんですか?」
「カレル・サイファス。東の国境を守護するサイファス侯爵家の次男坊だよ。魔法のスクエア家、学問のコーネリアス家に対して、剣術のサイファス家って言われるくらい剣に秀でた家柄で、四大侯爵の中でも一番の武闘派って言われてるね。他の二人も、それぞれサイファス家の分家筋だったはずだよ。ちなみに、バリバリの主戦派貴族」
「へ~、彼がサイファス家の……」
顔は知らなかったが、リリィでも名前くらいは知っているほどに有名な家だ。
西部以外の国境は比較的安定していることから目立たないが、王家の近衛騎士団にもっとも多くの人員を輩出していると聞いたことがある。
剣術、というと一見魔法とは関係ないようにも聞こえるが、ストランド王国の騎士剣術は魔法の使用を前提に考えられているので、魔法の腕前も相当な物のはずだ。それは、リリィの制御など稚拙に見えて仕方ないだろうと苦笑する。
ただ、向こうの言い分通りだからと、唯々諾々とその言葉を受け入れて黙っているわけにもいかない。シルヴィアは口を挟むつもりもなく完全な傍観者の立場を貫いているので、ここは元凶たる自分が声をかけるべきかと、リリィは火中の栗を拾いに向かう。
「まあまあ、ナルミアさん、落ち着いてください。カレル様も本気で言っているわけではないでしょうから」
「リリアナさん、ですが……」
「カレル様、確かに私の家は穏健派と呼ばれながら、ランターン家を通じて主戦派とも繋がりを持っていますし、その行いが不誠実に見えるというのであれば仕方ありません。ですが、その心は皆さんと同じ、王家と王国に忠誠を誓い、平和を守らんとする騎士なのです。考え方の違いがあるのは理解しておりますが、どうか過剰に毛嫌いせず、学園にいる間だけでも仲良くしてくださりませんか?」
出来るだけ穏当な口調で、リリィはカレルの元に歩み寄る。
友好の証にと、笑顔で手を差し伸べるリリィだったが……カレルは、躊躇なくその手を払いのけ、あろうことか体を押し退けることまでしてしまった。
流石にそこまでされるとは思っておらず、リリィはあっさりと尻餅を突く。「リリィ!」と、ルルーシュがすぐさま傍に駆け寄った。
「友好だと? くだらん、貴様らのような成り上がり貴族が、俺達と対等だと思うな、反吐が出る!」
「カレル様、何もそこまで……!」
取り付く島もなく吐き捨てるカレルに、ナルミアが声を上げる。
だが、リリィの方はそれどころではなく、カレルの足元に転がる木の板を見つけ、目を見開いた。
「あ、それは……!」
緑色の精霊花が押し花として彩られたそれは、リリィがアースランド領を出立する際、幼いメアから貰ったお守りだ。
慌てて懐を探るも、肌身離さず持っていたはずのそれが無くなっているのを見て、転んだ拍子に落ちてしまったのだろうと確信を持つ。
拾い上げようと、急いで手を伸ばすリリィだったが――無情にも、それに手が届くよりも先に、カレルの足が偶然にも押し花を踏みつけてしまった。
「ぁ……」
リリィの体が、びきりと強張る。中途半端に手を伸ばすその姿を見て、ようやく彼も自分が何か踏んだと気付いたのか、カレルは自らの足元に視線を落とす。
「足を……退けて、貰えますか……カレル様。その下にあるのは、私の、大切な物なんです」
溢れる感情を抑えながら、震える声でリリィはそう懇願する。
彼のせいでこうなったのは確かだが、まだ、まだわざとではないと擁護は可能だ。
子爵以下であればともかく、王国で四家しかない侯爵家の人間を相手にいきなり声を荒げるのはアースランド家の立場を考えても非常に拙い。
そう、必死に堪えるリリィの心情を、知ってか知らずか。
ぐり、と。わざとらしく体重をかけ、カレルは目の前でそれを踏み躙ってみせた。
「はっ、大事な物ならちゃんと仕舞っておけ。それか、騎士らしく自分の力で守ったらどうだ? 出来るものなら――」
――ブチン。
その瞬間、誰もが何かが引き千切れるような音を聞いた気がした。
「退けって……言ってるんです、私はッ!!」
リリィの体から、爆発的な魔力が吹き荒れる。
物理的な力を一切持たないはずのそれは、リリィの怒りの声に乗って正面にいる少年達へと叩きつけられ、彼らは本能的な恐怖から無様に尻餅を突く。
「な、なん……!?」
「この花は、アースランド領の子供が、私のために、心を込めて手作りしてくれた、大切なお守りなんです……それを、あなたは……ッ!!」
圧力から解放された押し花を拾い上げ、土で汚れたそれを悲しげな瞳で見つめる。
そして、今にも泣きそうな瞳のまま、座り込んだカレルを睨みつけた。
「謝ってください。このお守りに込められた、私の大切な人の想いを踏みつけにしたこと、謝ってくださいッ!!」
立場の違いも忘れ、今すぐにでも殴り飛ばしたいほどの怒りの衝動を抑えながら、せめてそれくらいはと要求する。
だが、そんなリリィの言葉が、カレルの中に残っていた大貴族としてのプライドを刺激した。
「誰が謝罪などするか! この俺を馬鹿にしたこと、後悔させてやる……!!」
リリィから叩きつけられる魔力に負けじと起き上がったカレルが、腰の剣を抜き放つ。
冗談では済まされない事態に、流石に黙っていられないとルルーシュが一歩前に出る。
「待ってください!! いくらあなたでも、この学園で勝手な私刑は許されませんよ!!」
貴族の通うフォンタニエ王立学園だが、出来る限り立場の違いを越えて知識を広め、国力を向上させるという理念のため、上級貴族が強権を振るって誰かを処罰するようなことは、王の名の下に禁じられている。
決して万全とは言い難く、貴族の位階による不当な差別などもないわけではないのだが、それでも突然抜剣して斬りかかるようなことをすれば、いくら侯爵家とはいえただでは済まない。
「ふん、知っているさ。だが、双方合意の上での決闘であれば、その限りではないだろう? ちょうど、教師が一人いることだしな」
だが、いくら頭に血が上っていても、それすら失念してしまうほどではなかったらしい。規則の抜け穴とも言うべきそれを持ち出した。
「俺に謝罪をさせたいと言うのなら、実力でねじ伏せろ。出来るものならな!!」
「……いいですよ、やってやります」
カレルの言葉に乗せられ、リリィもまた腰の木剣を引き抜く。
一切の躊躇がないその行動に、ルルーシュは慌てた。
「リリィ、さっき言った通り、相手はサイファス家の御曹司だ、入学試験でも剣技の成績は学年二位、下手にやりあったらどうなるか……!」
「大丈夫、必ず勝ちますから、信じてください」
不安そうなルルーシュと、リリィは真っ直ぐに見つめ合う。
怒りの炎を揺らめかせながらも、いくらか落ち着きを取り戻しつつあるその瞳を見て、ルルーシュは溜息を溢す。
「……多少の怪我なら僕が必ず治す。でも、絶対無理はしないで」
「はい、約束です」
いつものように笑いかける代わりに、大事なお守りをルルーシュに託す。
それが終わると、ビリビリとした緊張感の中で二人は向かい合った。
「おいコーネリアス! さっさと開始の合図をしろ!!」
そんな空気の中でも、何やら真剣に考え込んだまま動かないユンファに向け、カレルが苛立ち混じりに怒声を上げる。
ようやく顔を上げた彼女は、さりとて決闘などどうでもいいと言わんばかりの適当な態度で、軽く手を挙げた。
「ああ、じゃあ開始ー」
曲がりなりにも侯爵家に名を連ねる存在とは思えない姿に、こめかみをヒクつかせるカレル。
だが、今はそれどころではないと、素早く魔法を発動させた。
「《炎剣》、《強化》!!」
剣に炎を纏わせ、その切れ味と破壊力を増加させる魔法と、純粋に身体能力を引き上げる魔法。その二つを組み合わせた、シンプルが故に洗練されたお手本のような一撃。
伊達に、剣術において右に出る者はいないとされるサイファス家の男子を名乗ってはいない。
「一撃で終わらせてやる!!」
だからこそ、その自信に裏打ちされた剣技は、たかが十歳という年齢を思えば見事という他ない。同年代で、これを受けきれる者などほとんどいないだろう。
だが、しかし。
「凄く速い、ですけど……それは、聞こえてました」
既に、怒りのまま解き放った魔力が周囲を満たしていたリリィの耳には、カレルの動きは捉えられている。
木剣に流し込んだ魔力が黒い火花となってバチバチと発光し、叩き込まれる斬撃の軌道上にその切っ先を設置する。
炎の魔法を纏った剣と、漆黒の魔力を纏った木剣とが交錯した、刹那。
パキィィィン!!
甲高い音を立て、纏う炎ごと構成を破壊されたカレルの剣先が砕け、宙を舞う。
「な、に……?」
「隙ありです」
剣を失い、一瞬とはいえその場に呆然として立ち尽くしてしまったカレルの隙を見逃さず、リリィは木剣を彼の胸に突き立てる。
そこから溢れ出た魔力によって、カレルの体内魔力が一瞬でかき乱された。
「ぐあぁぁぁ!?」
「……っ! 普通の子供なら、とっくに気絶してるくらいの魔力は注ぎ込んだんですけど……よく耐えられましたね」
気絶することなく、その場に崩れ落ちて悶絶するカレルを見て、リリィは素直に驚きを露にする。
しかし、今はそれを考えている場合ではないと意識を切り替えると、再びカレルへと木剣を突きつけた。
「無駄に苦しませてしまってすみません。とはいえ、その状態じゃ多分、まともに魔法も使えないと思いますが……まだ、続けますか?」
「……くっ!!」
リリィの問いかけに、カレルは歯を食いしばる。
一瞬で昏倒しなかったとはいえ、体内に他者の、全く波長が異なる魔力が大量に注ぎ込まれた影響で魔力暴走に陥ったカレルは、今や魔力の制御はおろか普通に体を動かすことすら覚束ない。
もちろん、しばらく時間が経てば落ち着くのは確かだが……決闘の最中にそんな状態になっては、とても戦いは続けられなかった。紛れもない、リリィの勝利である。
「なんなんだ、お前の、その剣は……!!」
「私のオリジナル魔法です。まあ、タネ自体は簡単なので、人伝に聞けばそのうち分かると思いますけど……今は、それよりも」
木剣を仕舞い、リリィは地面に倒れるカレルの傍へ膝を突く。
そして、悔しげに見上げる彼に対し、勝者として容赦なく要求した。
「約束通り、謝ってください!」
じっと見つめるリリィに、カレルはギリリと歯を食いしばる。
敗北は、誰の目から見ても明らかだ。しかし……。
「……誰が謝るか!!」
それは、彼にとって到底受け入れられなかった。
地面の土を乱暴に掴んだカレルは、無理矢理動かした腕でそれをリリィへと投げつける。
リリィが慌ててそれを避けている間に、カレルの体を取り巻き二人が助け起こす。
「っ……いいか、俺はまだ負けてない!! 次は、必ず決着を付けてやる、覚えていろ!!」
そう捨て台詞を残し、カレル達は去っていく。
その憎々しげに歪んだ顔を見送って、リリィは一つ、溜息を溢す。
「……中々、ままならないですね」
ナルミア達のように、誰もが簡単に仲良くなれるわけではない。そのことを改めて痛感し、リリィは肩を落とすのだった。




