第八十一話 兄の恋愛事情
「ふいー、さっぱりしました! やっぱりお風呂は気持ちいいですね!」
「やっぱりって、お前入るの初めてだろ?」
リリィが満足気に呟いた言葉に、ユリウスは思わずツッコミを入れる。
そんな兄の言葉を適当に聞き流しながら、リリィは何だかんだ言いつつ風呂を貸してくれたモニカに向き直った。
「ありがとうござます、モニカさん。服やタオルまで貸して貰っちゃってすみません」
タオルを首の後ろに掛けながら、リリィは軽く頭を下げる。
まさかリリィにぴったりの服があるとは思わなかったが、どうやらお古ということらしい。彼女が入学した当時の物が残っていたのだろうか?
「いいわよ、穴埋めはこのバカにして貰うから」
「おい、絵のモデルとかはもう嫌だぞ、あれずっと動かないのすっげえキツイんだからな?」
「仕方ないでしょ、提出課題だったんだから。大体、男なんだからそれくらい我慢しなさいよ」
「へいへい、全く、人使い荒いな」
渋面を浮かべるユリウスだが、モニカは容赦なく顎で使うつもりのようだ。
仲睦まじいやり取りを、ニコニコと笑みを浮かべながら見ていると、それに気付いたユリウスがリリィのタオルを奪い取り、その頭をぐしぐしと拭き始めた。
「まだ濡れてるじゃないか、ちゃんと拭かないと風邪引くぞ、リリィ」
「あう、すみません、ありがとうござます」
身長は伸びないリリィだが、髪は随分と長く伸び、今や背中にまでかかっている。
本人としてはいっそ切りたいという思いもないではないのだが、それをしようとするとカミラが勿体ないと零すのでそのままにしているという経緯があった。
風呂は好きな方だが、元男としてはそんな長い髪をしっかりと乾かすというのは、中々に面倒なのだ。
もっとも、それはユリウスとて同じことなのだが。
「そういうセリフは、自分のことをしっかりしてから言いなさいよ、あなたも濡れてるじゃない。全く、世話が焼けるわね」
「お、おう、悪い」
リリィの世話を焼く割に、自分のことはおざなりなユリウスを見て何を思ったのか。モニカがその髪をタオルで拭き直す。
なんとなく、その態度にルルーシュとよく似た優しさを感じ、リリィは一人なるほどと頷く。
「家族がまた増えましたかね……」
「ん? リリィ、なんか言ったか?」
「なんでもないですー」
ニコニコと嬉しそうなリリィに、ユリウスは首を傾げる。
些細な呟きをどう受け取ったのか、顔を赤くしながらそっぽを向いたモニカの顔は、幸か不幸か、立ち位置からしてユリウスには見えなかった。
「……もういいわね。それじゃあ、私はそろそろマリアの荷解きを手伝わないといけないから、あなた達はもう行きなさい」
「あ、もうそんなに時間経ってましたか。カミラさんを待たせたらダメですし、私達も行きましょう!」
「そうだな。じゃあなモニカ、今日は助かったよ、ありがとな」
「リリアナさんにはマリアが良くして貰ってるから、そのお礼よ、別にあなたにお礼を言われる筋合いはないわ」
「そうか、だったらリリィに優しくしてくれてありがとな」
「……いいから、さっさと行きなさいって」
しっしっと追い払われるようにして、リリィとユリウスは部屋を後にする。
パタンと閉じられた扉を見て、ユリウスが「嫌われてんなぁ、俺」などと零すのを聞き……リリィは、これ見よがしに溜息を零すのだった。
「……なんてことがさっきあったんですよ。どう思います?」
「どうというか……お姉様、最近家に帰るとユリウスさんのお話ばかりだとは思っていましたが、どうりで……」
ユリウス、カミラと共に荷解きを終えたリリィは、約束通りマリアベルの部屋に向かい、トビウオ料理を振る舞っていた。
それほど作る時間はなかったのだが、さりとてあまりシンプル過ぎるのもつまらないということで、ここに来てようやく材料が揃ったマヨネーズを作り、マヨ乗せ焼き魚にしてある。
要するに、マヨネーズをかけた魚を焼くだけの料理だが、初めての調味料ということもあってか中々好評だった。
「アースランド家とスクエア家は仲がいいですし、もしかしたら婚約とかするかもしれないですね。いやー、楽しみです!」
「へえ、マリアベルのお姉さんが……それにしても、意外だね」
「へ? 何がですか?」
「いや、リリィなら、『お兄様に婚約者なんて絶対に認めません!! 私を倒してからにしてください!!』とか言いそうだと思ってたからさ」
リリィの作ったマヨ焼き魚をつまみながら、ルルーシュは本心からそう呟く。
リリィはとにかく身内に甘く、家族にべったりだが、特に兄であるユリウスに対しては、いっそ過剰と言えるまでに懐いていことをルルーシュはよく知っている。
何なら、ユリウスが学園に通っている間、リリィからルルーシュに宛てられた手紙には必ず末尾に兄の様子を尋ねる文言が付いていたと言えば、その依存っぷりが分かるだろう。
そんなリリィが、普通の妹のように兄の恋愛話に興味を向け、喜々として語る?
明日は槍が降ると言われた方が、まだ信じられるだろうとルルーシュは思った。
「ルル君、人を頑固親父か何かと勘違いしてませんか? 私はお兄様に大切な人が出来るというのなら、心からお祝いします。家族が増えるのは大歓迎です!」
「いや、だから、家族と婚約者っていうのはまた違って……ええと、なんて言ったらいいんだ……」
家族は家族でも、婚約者や夫婦というのはそれとはまた少し違う。
そういったことを説明しようとするルルーシュだったが、悲しいかな、まだ十歳の彼ではそれを言葉にするのは難しい。
どうしたものかと頭を抱え始めた彼に、リリィは首を傾げる。
「要するに、キスするかしないかくらいの差ですよね? 婚約者の段階なら、一緒に住んでるかどうかの違いもありますけど。外国じゃあ家族とでも普通にキスするところだってありますし、何なら結婚前に同棲だってないわけじゃないんですから、誤差ですよ誤差!」
「そう言われてみると、あんま変わらない気もするな……うちの親父も、ガキの頃はしょっちゅうオレにキスしようとして来やがったし。鬱陶しいからぶっ飛ばしてたけど」
「ヒルダ、流されないで、リリィが余計に勘違いを加速させるから」
いまいち反論しづらいリリィの認識に流されかけるヒルダを見て、ルルーシュは益々溜息を零す。
とはいえ、これを覆す説明も思いつかないし、ひとまず時間が解決してくれるのを待つしかないか。
そんな消極的な結論を出すルルーシュに、リリィはにこりと微笑みかける。
「大丈夫ですよ、私はルル君のこと、お兄様と同じくらい大事に思ってます!」
「そ、そう……」
……婚約者としては、兄と比べられて同じくらいというのは何とも微妙な心境にさせられるが、リリィの兄に対する狂信的なまでの親愛を見ると、十分過ぎるほど愛されているという意味になる。
いまいちリアクションに困ってしまうルルーシュだが、リリィはそんな彼の複雑な心境など知る由もなく、トビウオの白身を解し、フォークに乗せて彼の口元へ運ぶ。
「はいルル君、あーん」
「いや、あのさ、前から気になってたけど、実はリリィって僕のこと、婚約者っていうより小さい弟か何かだと思ってない?」
「そうですよ? はい、あーん」
「そこは否定して欲しかったよ!? あと、自分で食べれるから!!」
あくまで世話を焼きたがるリリィに、ルルーシュは全力で否を返す。
婚約者同士というより、仲の良い姉弟のようなやり取りに、ヒルダとマリアベルは苦笑を漏らす。
「お姉様もそうですけど……ルルーシュさんも前途多難ですね」
「仲は良いんだし、いいんじゃねーの?」
ぐいぐいと押すリリィの根気に負け、ルルーシュがついにあーんを受け入れる。
顔を赤くしてそっぽを向きながらも、どこか嬉しそうなルルーシュを見ながら、マリアベルは「そうだ」と手を叩いた。
「皆さん、すっかり忘れていましたけど、明日は入学試験があるんですよね……? 対策とか、しなくても大丈夫なんですか……?」
マリアベルの何気ない言葉に、ようやく二人はじゃれ合いをやめて向き直る。
代わりに、ヒルダはそっぽを向き、吹けもしない口笛を吹き始めたが……触れないであげた方がいいのだろう。
「そういえば私、試験の具体的な内容って知らないんですよね。ルル君は知ってますか?」
「座学、剣術、それから魔法のテストだよ。座学はこの国の歴史、算術、語学の三分野、剣術は試験官との一騎打ちで実力を測って貰って、魔法は確か、的の遠当てだったかな? 防護魔法で守られた木の板を三枚的に使って、それぞれにちゃんと当てられるかどうかと、破壊出来るかどうか、それから、威力に無駄がないかも見るらしいよ」
「無駄、ですか?」
「要するに、ちゃんと魔法が安定してるかどうかってこと。込めた魔力に対して威力が低すぎたり、あるいは的が小さいのに攻撃範囲がやたら広かったり、そういう無駄の多い魔法は減点対象らしいから、リリィは気を付けなよ。まあ、言ってる僕も魔力量の都合で必要な威力が出せないから、大して評価は貰えないと思うけどね」
「うえぇ、魔法の試験ってそういう感じなんですか、私の苦手な分野です」
ルルーシュの説明に、リリィはげんなりとした表情を浮かべる。
座学に関しては、小さい頃からやれるだけのことはやって来たという自負があるので、後は全力を尽くすだけ。剣術に関しては……試験には魔道具の持ち込みが不可なので、正直なところ基本的に魔力以外は貧弱極まりないリリィには厳しいものがあるだろう。気合で頑張るしかない。
そして魔法については、魔道具の使用も、魔力嵐などで無駄に魔力を撒き散らすのも厳禁とあっては、リリィの制御能力は壊滅的だ。暴発はしないと思いたいが、まともに当てられるかどうか、威力を抑えきれるかどうか、不安ばかり募ってしまう。
「私はもう、座学一本で他はどうしようもないので……逆に楽ですね」
「オレは剣術一本だな! 座学なんてやってらんないし、魔法も遠当てって苦手なんだよ。強化とか、そういうのは好きなんだけど」
一方、マリアベルは魔力不感症のせいで自力で魔法が使えないため、魔法の試験は事情を話して不参加ということになっている。剣術に関しても、生粋の魔導士である彼女には厳しいだろう。
そしてヒルダは、見た目通りというべきか、座学が苦手らしい。
魔法についても、剣術の補助程度にしか使っていないため、やはりこちらも諦めるのだという。思い切りの良いことだ。
とはいえ、学園側も最初から全てが高水準の人間がいるとは思っていない。もしそうであるならば、わざわざ学園に通う意味がなくなってしまう。
この入学試験の目的は、改めて個々人の資質を見つめ直し、入学後にどの分野に力を入れるのか、それを考える場を与えることである。
そういった意味では、対策を練るというよりも、明日に備えてしっかりと休み、万全のポテンシャルを発揮できるよう努めるのが何よりも正解だろう。
「まあ、失敗したからってそれで入学できなくなるわけじゃないんです、精一杯頑張って、ついでに凄い人がいないかどうか周りを見て、隙あらばお友達を増やすチャンスにしちゃいましょう! せっかく学園に来たんですから、貴族らしく、友好関係を広げるチャンスです!」
「貴族の友好関係って、リリィが思ってるのとは違う気がするけど……まあ、いいか」
この前向きな少女が普通の貴族と違うというのは、ルルーシュにとって既知のこと。今更指摘しても仕方ないだろう。
むしろ、この常識外れの令嬢が何を見せてくれるのか……それを楽しみにしている自分に気付き、ルルーシュは笑みを零すのだった。




