第八十話 未来都市
王都の貴族街は、一つ一つの建物が大きいせいかやたらと広く、人口はそれほどでもないにも拘わらず、下手をすれば平民街よりも広大だ。強化魔法もなしに歩いていると、それだけで疲れ果ててしまうほどだった。
そうして、少しばかりヘロヘロになりながらようやく到着した王立学園を見て、リリィはもはや呆れ返る他なかった。
「いくらなんでも、大きすぎません?」
前世の学校と比べても遜色ないほどの大きな校舎。それが二棟並んでいるのに加え、他にも大小様々な建物が所狭しと並び立つ光景は、もはやちょっとした街だ。
何度も言うが、この国はさほど人口が多いわけではなく、その中でも一握りの貴族、その子供達が集まって学ぶ場所など、前世の世界基準で言えば過疎化が進む街の小学校ほどの生徒数しかいないはず。にも拘わらずこの大きさは、リリィの目には無駄にしか思えなかった。
しかし、それにも一応は理由がある。
「魔法の実験とか演習とか、場合によっては本当に実戦を想定した戦術指揮の模擬試合なんかもあるらしいから、どうしても敷地面積が大きくなるみたいだね。その上、全寮制だから貴族が暮らすことを想定した部屋をたくさん用意しなきゃならないし、そうした設備の保守点検の人員を専属で雇って、その宿舎まで用意して……となると、こんな広さになったらしい」
「な、なるほど……」
いちいちスケールが大きいのは気になるが、確かに設備や人員そのものに関しては必要なものだ。
そう考えれば、まあ仕方ないのだろうと、リリィは自分を納得させる。
「それじゃあ、学生寮に向かおうか」
ルルーシュに促され、リリィ達は学園の敷地に足を踏み入れる。
流石に学園の出入り口に立つ門番はアースランドの名を知っていたようで、ようやく家紋が役に立ったことにリリィがはしゃぎ、門番に怪訝な表情を向けられるという一幕を経つつ、学生寮へ向かう。
「あ、ちなみに、子爵以下の下級貴族と、伯爵以上の上級貴族で寮が違うから、マリアベルはあっちね」
「えっ」
その途中、ルルーシュから告げられた残酷な一言に、マリアベルは一瞬にして瞳に涙を滲ませる。
それを見て、流石のルルーシュもたじろいだ。
「る、ルルーシュさん……私だけ仲間外れなんですか……?」
「いや……これは学園の決まりだから、僕にはどうしようも……」
下級貴族には、街のやや高級な宿屋のような寮が与えられている一方で、上級貴族に割り当てられているのは立派なお屋敷だ。
もちろん、一人に付き一軒というわけではなく、上級貴族全員で一つの屋敷を共有して使うのだが、一部屋に付き一人専属のメイドが付いたり、風呂場が共用ではなく個室にあったりと、かなり待遇がいい。
なので、普通はそれを知った下級貴族が上級貴族を羨むのがこの学園の定番なのだが、マリアベルの場合はむしろ、友達から離れて一人というのが寂しいらしい。
「じゃあ、荷解きが終わったら、みんなでマリアベルさんの部屋に集合しましょう! さっき言ってたトビウオ料理をご用意します!」
「お、それ本当に作るのか。オレも参加していいか?」
「もちろんです! ヒルダさんも一緒に食べましょう!」
あっさりと全員で食べる流れになり、ルルーシュは若干微妙な表情を浮かべるが、いつものことかと溜息一つで受け流す。
そしてマリアベルと別れ、寮にやって来たリリィは、自室となる部屋に案内されて、その広さに愕然としていた。
「なんですかこれ、アースランド家の領主館よりよっぽどいい部屋なんですけど」
「アースランド家が質素過ぎるんだよ。それじゃあ、僕は隣の部屋みたいだから、また後でね」
リリィの嘆きの声を一言で切り捨て、ルルーシュは自室に入っていく。
ヒルダも二つ隣の部屋なようで、見知った人達が近くにいるというのは嬉しいのだが……。
「学生寮って、一部屋を何人かで共有するものかと思ってましたよ」
下級貴族でさえ、一人一部屋。専属メイドは確かにいないが、掃除洗濯食事の用意は寮付きの使用人達が行ってくれるそうなので、待遇は既に高級ホテル並だ。
これで待遇が雑な方というのだから、都会はやっぱり違うなぁ、などと現実逃避気味に考えながら部屋に入り……そんな自分の認識がまだ甘かったのだと思い知らされた。
「……なんですかこれ」
部屋はそれなりの広さで、見たこともないほどふかふかのベッドがあり、クローゼットや姿見なども既に完備。
そこまでは、いいとしよう。予想の範囲内だ。
問題は、部屋の壁に取り付けられた一つの魔道具。
スイッチ一つと、魔力を溜め込むための魔水晶があったので、試しに注ぎ込んでみると、まさかの冷風が吹き出してきた。スイッチを切り替えれば温風になる。
「エアコン完備……! どこの近代社会ですかここは!!」
エアコンどころか扇風機すら存在しない実家を思って頭を抱えながら、もしやと思いリリィは部屋と併設された洗面所に飛び込む。
大理石の真っ白なそこには蛇口があり、これまた魔水晶に魔力を注げば水が出てくる仕組み。隣には温水が出てくる蛇口まである。
風呂は共用と聞いていたが、シャワールームはノーカンだとばかりに用意され、トイレはなんと水洗式だ。下水道もしっかりと敷設されているらしい。
「なんですかこれ……王都怖いです……」
部屋の中心でがっくりと膝を突き、リリィは打ちひしがれる。
中世というには便利な道具が多いな、と思っていたリリィだが、まさか産業革命をすっ飛ばして近代に足を突っ込んでいたとは思わなかった。
機械工学はそれほど進んでいないので、一概に近代文明レベルの社会とは言い難いが、この王都がアースランド領よりも軽く二百年ほど未来を行っているのは間違いない。
「お兄様が帰ってくる度、王都が凄いとは言ってましたけど、これほどとは思いませんでした……お父様、アースランド領が王都を越えるのは、私達が生きている間には無理じゃないですかね……?」
諦めの悪いリリィをしてそう思ってしまうほど、そこに横たわっている格差は大きい。
だが、しかし。格差が大きいということは、それだけ発展の余地が残っているということでもあるはずだ。
越えるのは無理でも、ここにある技術を少しでも盗んで持ち帰ることが出来れば、村のために大いに貢献出来ることだろう。
「よーし、落ち込む時間は終わりです! こうなったら、都会暮らしを思いっきりエンジョイして、みんなも同じ思いが出来るように精一杯勉強します!!」
ふんすふんすと、リリィは鼻息も荒く決意を新たにする。
……実のところ、こうした最新の魔道具は王都でもまだほとんどが流通しておらず、この学園内で試用試験を行っている段階だったりする。
学園という施設の特性上、そうした魔道具や魔法の専門家が多く、何かあってもすぐに対処し問題点を洗い出すことが出来る。
何より、そうした新発明の多くがこの学園にある研究室から産み出されているという事情があればこその近未来であり、決して王都全体が数百年先を行っているわけではないのだ。
リリィのアースランド領に求める文化水準の目標設定が、カロッゾも預かり知らぬところで天井知らずに鰻登りしているということに彼が気付くのは、まだまだ先の話である。
「おーい、リリィ、いるかー?」
「あ、お兄様!!」
するとそこへ最愛の兄の声が響き、リリィが入室許可を出すのももどかしいとばかりに扉を開けると、そこにはよく知る兄の姿があった。
それを見るなり、我慢出来ないとばかりにリリィはその胸に飛びかかる。
「うおっと、はは、久しぶりだな、リリィ。元気だったか?」
「はい! 私はいつでも元気です!」
抱き付いたままぐりぐりと顔を押し付け、最後ににぱっと笑顔を浮かべてリリィは言う。
リリィよりも三年早くこの学園に入学していたユリウスは、基本的に長期休暇の度にアースランド領に帰っていたのだが、今年の春は用事があると言って帰って来なかったので、二人が会うのは冬季休暇から実に四ヶ月ぶりだ。久しぶりと言っても問題はないだろう。
「そりゃよかった。けどさ、ちゃんと飯は食ってるのか? なんか背が縮んでるように見えるんだけど」
「お兄様が大きくなりすぎなんです! 私だってちょっとは大きくなってますよ!」
しかし、どうも成長しているのはユリウスばかりであるらしい。非情な一言に、リリィは抱き着いたままぷんすかと抗議の声を上げる。
やはり育ち盛りということなのか、入学した当時と比べてにょきにょきと背が伸びたユリウスとは、今や頭二つ分ほど身長差が出来てしまっていた。
それでも、父親によく似た黄金の髪と優しげな金色の瞳は相変わらずで、精悍さを増した顔付きが男前に拍車を掛けている。
風の噂では、学園で随分とモテているとの話だが……真偽のほどが気になるところだ。
「カミラも来るって話だったけど、まだ来てないのか?」
「はい、カミラさんはスクエア家の方と一緒に、私達の荷物を纏めて一緒に運んでくれています」
「そうか、荷解き手伝おうかと思ってたけど、ちょっと来るの早かったか」
一応、予定では今日到着することになっていたので、それに合わせて待っていてくれたらしい。
遅れる可能性もあったので、待ったところで無駄になっていたかもしれないのだが……それでも待ってくれていたと聞いて、リリィは嬉しさが顔に出るのを抑えられなかった。
「えへへ……あ、そうだ、この寮ってお風呂あるんですよね? 前聞いた時からずっと入ってみたかったんです! カミラさんが来るまで一緒に入りましょう! 私、お兄様の背中流したいです!」
いいことを思いついたとばかりに、リリィはそう提案する。
田舎も田舎なアースランド領には、お湯を大量に使う風呂など作る余裕はなかった。精々、湿ったタオルで体を拭くか、夏場なら川で水浴びをするのが関の山である。
荷物が届いていないということは、着替えがないということでもあるのだが、リリィからすれば十年ぶりのお風呂だ。
転生前はよくお風呂で父の背中を流していたこともあり、時間があるのならユリウスとも一緒に入りたかった。
「えっ、いや、この寮は共用浴場だから、いくら兄妹だからって一緒には入れないぞ」
「私なら大丈夫です! 心は男ですから!!」
「いや、体が女の子なのが問題なんだっての」
「そんなぁ……」
取り付く島もないユリウスに、リリィはがっくりと肩を落とす。
この世の終わりとばかりに落ち込む妹を前に、ユリウスは困り顔で頭を掻いた。
彼からすれば、風呂に入るなど面倒なだけだというのが本音だ。
実のところ、王都に来た今でも、アースランド領に居た時と同じように体を拭くだけで済ますことも多く、リリィがなぜそこまで風呂に拘るのか、よく分からない。
「分かった、それじゃあ個人風呂持ってる奴のとこ行って、風呂場借りるか」
それでも、可愛い妹のためだ。多少の面倒など飲み込むのが兄の務めである。
そんなユリウスの言葉に、リリィはガバッと顔を上げた。
「個人風呂って……伯爵以上の生徒が割り当てられてるっていう、上級寮のお風呂ですか? お兄様、伯爵のお友達なんているんですか?」
「いるよ。ていうか、お前もそうだろ? スクエア家の」
「スクエア家……ってことは、もしかしてモニカさんですか?」
「ああ、あいつなら貸してくれるだろ」
頷くユリウスを見て、リリィはようやく得心がいった。
モニカ・スクエア。マリアベルの姉で、ユリウスとは同い年だ。
ユリウスは、基本的に誰に対しても分け隔てなく接する……悪い言い方をすれば、目上の人間に対し遜るということが苦手な性質なので、実のところ身分が上の貴族達からは受けが悪いのではないかと思っていたのだが、スクエア家とはお互いの当主が親しくしている都合上、接する機会は多いだろうし、仲良くなれてもそう不自然ではないだろう。
リリィ個人としても面識があるので、それならばと安心して、ユリウスと共に彼女の部屋を訪れたのだが……。
「はぁ? お風呂? なんであなたなんかに貸さないといけないの?」
絶対零度の視線と共に、そんな返答が返って来た。
いや、普段から彼女はどちらかと言えば冷たい目をしているのだが、リリィに対しては冷たさの中にも僅かながら優しさのようなものを感じ取れるのに対し、ユリウスに対してはそんなものは一切ない。文字通り、地獄の業火すら凍てつきそうなレベルである。
「そんな釣れないこと言うなって、リリィの頼みなんだ、ちょっとくらいいいだろ?」
「なんでよ、下級寮にだってお風呂くらいあるでしょう?」
「いや、どうしても俺と一緒に入りたいって言うからさ、個室に風呂があるこっちがいいなって」
「は……? あなた、実の妹に手を出す気……?」
「んなわけないだろ!? いや、本当に違うからその杖降ろせって!!」
杖を突きつけるモニカと、慌てるユリウス。
まさに一触即発と言った状況なのだが、一人会話に取り残されたリリィが感じていたのは、緊迫感とは無縁のそれ。
そう、どこか気の置けない友人同士の、他愛ない口喧嘩を見ているかのような。
「大体、なんで私なのよ、サイファスのところ行けばいいでしょ」
「ほら、ゴトフリーの奴お堅いからさ、いくら兄妹だって言っても男と女が一緒に風呂に入るなんてけしからん! とか言いそうだし」
「ならなんで私には言うのよ」
「いや、お前優しいからさ、何だかんだ言って貸してくれるかなって」
「…………」
「待て待て、なんでそこで杖の先に魔力溜めてんの!?」
魔力を込めて魔法発動準備の整った杖を、ぐいぐいとユリウスに突き付けるモニカ。
その魔力から漏れ聞こえる“音”からは、怒りとは全く異なる感情が読み取れた。
(お兄様、学園で上手くやってるみたいですね)
これまで、本人の口から語られるばかりだった学園生活の一端を垣間見て、その楽しげな様子にちょっぴりの寂しさと微笑ましさを覚えながら、リリィは笑みを零すのだった。




