第七十八話 優雅(?)な船旅
「はあ、はあ、はあ……!」
「はあ……ふう」
荒い呼吸を繰り返し、甲板上で大の字になって寝転がるリリィと、そんなリリィに向けて剣を突きつけるヒルダ。
突如始まった模擬戦を制したのは、ヒルダの方だった。
魔力嵐による動きの先読みという裏技を使い、一度は技量の差をひっくり返したリリィだったのだが、最終的にはヒルダの猛攻によって体力勝負に持ち込まれ、押し切られた格好だ。
「ははっ……結構やるじゃん、リリアナ。最初は見た目通り弱っちいヤツかと思ったけど、見直したぜ」
「あはは……ありがとうございます。でも、次は負けませんからね!」
「はっ、次もオレがけちょんけちょんにしてやるよ」
そう言いながら、ヒルダはリリィに手を差し伸べる。
それを取ってリリィが立ち上がると、集まっていた野次馬達から二人へと温かい拍手が送られた。
「凄かったぞー!」
「いやあ、リリアナ様って強かったんだな」
「ああ、意外だ」
「てっきり魔導士なんだと思ってたぜ」
「むしろ戦えたんだな」
「みんな酷くないですか!?」
ランターン商会の船内で行っていたため、野次馬も主にランターン商会の従業員達の割合が多く、そんな彼らからは健闘を称える声というよりも、リリィの意外な強さに驚く声が多かったが。
もっとも、彼らはリリィが訓練をしている所も、戦っている所も目にするのは初めてで、それ以外のリリィはといえば、どこにでもいる家族にべったりの幼い少女、それも年齢の割に賢いが体は弱いという印象が付いて回るため、そんな意見も致し方ない。
魔力量が多すぎるせいで何をするにも体への負荷が大きく、体調を崩しやすいというだけで、そうでなければ普通の健康体、という詳しい事情は、家族内でしか共有されていないのだ。
「確かに、お嬢様の戦いは素晴らしいものだったとは思いますが……それで、なぜ模擬戦で魔力嵐など使ってらっしゃるのですか?」
「か、カミラさん!? い、いやあの、これはですね……!!」
そうしていると、人だかりの中からカミラが現れ、リリィに絶対零度の視線を向ける。
魔力嵐は、膨大な魔力を長時間に渡って一気に放出し続けるという特性上、体への負担が特に大きく、リリィの抱えている事情を省みれば、早々連発していいものではない。よほど緊急の事態でもなければ出来るだけ使わないようにと、カタリナからも釘を刺されていた。
出港してすぐにそれを破ってしまった形になるリリィは、助けを求めるようにカミラの傍にいたルルーシュへ目を向けるが……。
「リリィ、ちょっと部屋行こうか? この前、魔力を無理矢理抑えつけるクソ不味い薬を作ったから、試しに飲ませてあげるよ。そうすれば少しは大人しくなるでしょ」
「ひえぇ!? ご、ごめんなさいごめんなさい! もうしませんから許してくださいぃ!」
「ダメ。体のどこにも異常がないかしっかり調べて、しばらくは罰として薬漬けにしてやる」
「そんなぁ!?」
嫌がるリリィを、ルルーシュがズルズルと船内に引きずり込んでいく。
ルルーシュは基本的に、小さい子供でも飲みやすいようにと味にも工夫を凝らして薬を作ることが多いのだが、やはり効能が最優先であることに変わりはなく、その多くは不味い。
そして、彼がわざわざクソ不味いと言い切ってから飲ませる薬は、本当に不味いのだ。それを飲んだ後、しばらく舌がバカになるほどには。
「ぴ~、ひょろ~」
「ヒルダさんも当事者なんですから、そんな口笛の声真似なんかで他人のフリしようとしてないで、助けてください!」
「あー……まあ、こればっかりはオレにはどうすることも出来ねえ、頑張れ!」
「うわーーん!! ヒルダさんの裏切り者ー!!」
ぐっ、と親指を立てて見送るヒルダに、涙目で抗議の声を上げつつ、リリィは連行され。
その後、彼女の船室からはしばしの間、すすり泣くような声が響き続けていたという。
「えーっと……リリアナさん、一体何があったんですか?」
「色々あったんです……」
マリアベルに心配そうに尋ねられたリリィは、そう答えながら溜息を零す。
ヒルダとの騒動を経て、ルードヴィン男爵領を発ってからもしばらくの間は、ルルーシュによる定期健診や、嫌がらせかと思うほどに不味い薬漬けの生活が続き、船酔いのダメージもあってずっと船室に閉じこもる生活が続いていた。
度重なる魔法薬の投与によってか、それとも単に慣れただけか、ようやく船酔いから解放されて甲板に出たリリィだが、もうすぐ王都に着くとのことなので、船旅を楽しむ余裕は無さそうだ。
まあ、初日から続けば代わり映えのしない景色にすぐ飽きが来ただろうことを思えば、これくらいでちょうどよかったのかもしれない。
「元気出してください、ほら、海が綺麗ですよ」
そんな、少しばかりナイーブになったリリィを励まそうとしてか、マリアベルがそう言って眼下に広がる海を指す。
容姿は以前と変わらず、栗色の髪をサイドテールに纏めた彼女だが、そのブラウンの瞳にはかつてほとんど見られなかった強い意思の光が灯り、気弱な態度が鳴りを潜めて背筋がピシッと伸びたように見える。
そんな彼女の成長を感じて――内面だけでなく、外見もまた身長にやや差が生まれてしまっている事実から目を逸らし――少しばかり嬉しくなりながら、リリィは促されるままに海へと視線を投げた。
すると、ちょうどそのタイミングで、何かがパシャっと水面を跳ねる。
「おお、今、何か変な魚がいませんでしたか?」
「え、どこですか?」
「ほら、そこそこ」
リリィに続き、マリアベルが目を向けると、船の航跡に沿って魚の群れがパシャパシャと跳ねまわり始めた。
その光景を見て、リリィは前世の記憶からその魚の正体を看破する。
「トビウオですかね? 食べたら美味しいって聞きますけど」
「トビウオ? 初めて聞きますけど、どんな魚なんですか?」
「ああ、それはですね……」
スクエア領は、アースランド領に比べて更に内地に存在する。
そのため、マリアベルも海の幸については詳しくないのだろうかと、考えたリリィは、意気揚々と説明しようとするのだが……リリィ自身もまた、肝心なことを忘れていた。
ここは前世の世界とは違う、異世界なのだと。
「こらこらお二人さん、危ないからもう少し離れてな」
「え? 危ないって何が……」
「奴らが飛んでくると、怪我するぞ。狂暴だからな」
は? と、リリィが首を傾げている間に、船員達が集まり出し、なぜか取っ手のついた大きな板を持ち出している。
何やら不穏な気配を感じ始めた二人が、改めて海面に目をやると……。
バシャンッ!! バシャシャシャシャッ!!
トビウオモドキが大きく海面を跳ね、船目掛けて一斉に突撃してきた。
トビウオにしてはやけに尖った、口の先端を真っ直ぐ向けて。
「あらよっと」
それを初めから分かっていたのか、驚く二人の前に、船員の一人が板を掲げる。
ズガガガガガ!! っと凄まじい音を立てながら、船の舷に、船員達が掲げた板に、魚の群れが突き刺さっていく。
「はっはっは! 今日は随分と活きがいいな、大漁だ! お? お嬢さん達、どうしましたか?」
突然の事態に驚いて腰を抜かした二人に対し、船員の男は何でもないかのように首を傾げる。
「ああ、もしかしてお二人は、トビウオ見るの初めてで? ここら辺は潮の関係で、魔海の魔力が流れ込んでくるから、こういう“ちょっとした”魔物はよく出るんですよ。だから、怖いなら船室の中にいた方が安全ですよ」
「そういうのは初めに言ってください!」
ぷんすこと怒るリリィに対し、船員は「すんません、お貴族様なら自分で防げるかと思いまして」と軽く頭を下げる。
実際、魔物化と言ってもちょっとした板で防げば簡単に無力化出来るほど弱い上、たとえ当たっても目や喉に刺さりでもしなければ致命傷にはならないので、普段から見慣れている海の男としては、いちいち警告する気にもなれなかったらしい。
そうでなくとも、この辺りのトビウオはその勢いと飛び出す角度の関係で、先ほどの二人のように思い切り海を覗き込みでもしない限りは人に当たること事態が稀なのだという。
男達がガードするのも、どちらかと言えば帆を守ったり、飛び出して来たトビウオを捕獲して食料にする目的でやっている。
「そういうことだったんですか。すみません、邪魔しちゃって」
「いえいえ、俺達も説明不足でした。この通り大漁だったんで、お詫びがてら船を降りる時はお裾分けしますよ」
「ほんとですか? ありがとうございます!」
捕獲したトビウオを気前よく分けてくれるという男の言葉に、リリィは笑顔ではしゃぎ出す。
スクエア領ほどではないが、アースランド領もそれほど海の幸は手に入らないので、王都に来て早速魚料理が作れるのは素直に嬉しい。
「マリアベルさん、聞きました? トビウオ貰えるみたいなので、一緒に食べましょ……って、マリアベルさん?」
どうせなら友達と一緒に食べようと話を振るが、反応がない。
どうしたのかとマリアベルの方を見ると……器用にも腰を抜かしてしゃがみ込んだまま、泡を噴いて気を失っていた。
「ま、マリアベルさーん!?」
どうやら、成長したと言っても気が弱いのは早々すぐには治らないらしい。
マリアベルを船室へ運び込みながら、リリィはそう思った。




