第七十六話 旅立ちの日
「えーっと、着替えと、お弁当とー……あ、あとおやつ!」
「食事なら船内でも摂れますから、あまり気にしなくてもよろしいかと」
西部辺境、アースランドの領主館にて、リリィはカミラと共に、忙しなく遠出の準備を行っていた。
とはいえ、必要な物は概ねカミラが準備してしまったので、リリィがすることと言えば、遠足前の小学生のような細々とした準備だけだが。
「じゃあえーっと、木剣は持ちましたし、魔道具も私の手持ちは全部……誕生祭でみんなから貰った贈り物が少し多いのが困りものですね」
「お嬢様、それは流石に置いていった方がよろしいのでは?」
「うぅ、でも、みんなとはしばらく会えなくなるわけですし……みんなのことを思い出せる品物は、ちょっとでも持っていきたいんです!」
「……分かりました、そちらは私がどうにかしますから、お嬢様はステラと身支度の方を先に整えてください。皆様も待っているでしょうから」
「すみません、ありがとうございます」
カミラにお礼を言いつつ、リリィは身支度を整えるべく部屋を後にする。
そう、今日はリリィが主役なので、遅れるわけにはいかない。
今日は、リリィが村を発つことになる日。
十歳になり、フォンタニエ王立学園へ入学すべく、王都へ向かう日だ。
「オウガ、私がいない間、村のみんなをちゃんと守ってあげてくださいね」
「ワウ……」
全ての準備を終えたリリィは、船が停泊した桟橋の前で、いつになく元気のない愛狼へと語りかける。
すっかり成獣となったオウガは、もはやこの村近隣の森の主と化し、ほとんどの魔物が見ただけで恐れを為すほどになっていた。
害獣被害も驚くほど減り、農地も以前より拡大出来たため、収益の改善にも繋がっている。
唯一、村のすぐ近くに動物が現れなくなったため、猟師達が獲物を取るために足を伸ばさなければならない距離が増えたと嘆いていたが……まあ、森からいなくなったわけではなく、単に生息地が少々移動したに過ぎないので、彼らもそれほど深刻に困っているわけではない。
つまりオウガは、既にこの村に無くてはならない存在なのだ。
元々、王都に魔物を連れ込むことが難しいのもあって、オウガは学園に行かず村でお留守番をすることになっている。
既にこの村に来て五年、村人達とも相当に馴染んだので大丈夫だと思ったのだが、やはりリリィと別れるのは寂しいらしい。
「戻ったら、いっぱい遊んであげますから。ちゃんといい子にしてるんですよ?」
「……ワフ!」
伝わったのかは分からないが、リリィがわしわしと撫で回すと、オウガは嬉しそうに尻尾を振る。
随分と体格が大きくなったので、それだけで周囲に風が巻き起こって砂埃が舞い上がる。
ステイ、ステイとリリィが宥め、またしょんぼりとするオウガを撫でながら、他の面々にも言葉をかけていく。
「大丈夫だ、リリ様とユリウスがいない間は、俺達がオウガの面倒見といてやるからさ!」
「そうそう、留守は俺らに任せとけって!」
「あはは、ありがとうございます。でも、コアン君は強化魔法を覚えたそうですけど、トール君はまだですよね? オウガの散歩は難しいんじゃないですか?」
「うぐっ、俺だってコアンから魔法教わってるし! そのうち出来るようになっから!!」
「ふふ、楽しみにしてますね」
ユリウスの友人、コアンとトールは、どうもいずれはユリウスの従騎士になるつもりらしい。
実力的に、まだまだ魔物と対峙するには遠いが、ユリウスに負けないようにと彼らなりに頑張っている様子なので、是非ともこの村を守る立派な騎士になって貰いたいものだ。
「クルトアイズさん、スコッティさん、それにルーカスさんも、村のみんなをお願いします」
「ええ、お任せください」
「ルーカスも最近はちったぁ使えるようになってきましたからね、もしまた帝国の連中がちょっかいかけて来ても、村にはもう手出しはさせやせんよ」
「ちょっ、クルトアイズさん、ちったぁって何ですか!? 俺だって最近は一人で魔物倒せるようになったんですからね!?」
「倒したって言ったってお前、グレーターベアの子供だったじゃねーか。せめて成獣倒してから言うんだな」
「そんなぁ!?」
ずーん、と落ち込むルーカスを、リリィは苦笑混じりに見つめる。
彼も頑張ってはいるのだが、運が悪いのか何なのか、今のところこれと言った活躍の機会が巡って来ないため、せっかくの成長した腕前を披露出来ないと嘆いていた。
……一応、子供とはいえ魔物を単独で討伐というのは他所の領地から見れば十分な功績のはずだが、悲しいかな、彼もまたアースランドという特殊な地に慣れてしまった身。クルトアイズの物言いにも、軽く抗議の声を上げただけでそれほど後には引かなかった。
「ああ、そうそう、リリ様、多分学園には、俺の妹も今年ぐらいに入学するはずなんで、もし会ったらよろしく言っておいてください」
「妹さんですか?」
立ち直るなりそう言ってきたルーカスに、リリィは首を傾げる。
今まで、特に兄妹の話は聞いたことがなかったのだが、どうやら妹がいたらしく、微妙な表情で「ええ、まあ」と頭を掻く。
「リリ様に負けず劣らずお転婆な妹なんで、ちょっと苦労するかもしれませんが、仲良くして貰えると、兄としても嬉しいです」
「はい、分かりました。……って、ちょっと待ってください、私に負けず劣らずってなんですか!? 私、そんなにお転婆娘に見えます!?」
「見えますね」
「リリ嬢、それを否定するのは無理があるってもんでさぁ」
「すみません、私も同意見です」
「スコッティさんまで!?」
真面目なスコッティにまでハッキリとそう言われ、リリィはしくしくと涙を流すフリをする。
実際、淑女という単語を鼻で笑い飛ばすかのように剣に魔法にと邁進する姿は、お転婆以外の何者でもないだろう。
「まあいいです、私だって学園でいっぱい淑女教育を受けてきますから、帰って来たら覚悟しておいてくださいね!」
「へいへい、期待して待ってますねえ」
「ぜんっぜん期待してなさそうに聞こえるんですけど!?」
むきー! と抗議するリリィを、クルトアイズがゲラゲラと笑いながら適当にあしらう。
いつも通りの……いや、いつにも増してどこかおどけた態度なのは、あるいは別れが悲しくならないようにという、クルトアイズなりの気遣いなのか。
そんなことを考えながら、リリィは最後に、両親の下へ向かった。
「お父様、お母様、それでは行ってきます」
「ああ、気を付けてな。向こうに着いたら、ユリウスにもよろしく頼む」
「一人で無理したらダメよ? 何か辛い事があったら、いつでも手紙に書いて送ってちょうだい。必ず向かうから」
「はい、ありがとうございます」
別れの前に、両親とそれぞれハグを交わす。
これでしばらくはこの温もりともお別れかと思うと寂しくはあるが、今生の別れというわけでもないのだ。
もう十歳になったのだから、三年前のように駄々を捏ねたりはしない。
少し、そう、ほんの少し、リリィの抱きしめる腕が震えていたのに二人は気付いていたが、敢えてそれを指摘しなかった。
「お嬢様、そろそろ出港のお時間です、船に参りましょう」
「あ、はい、分かりました!」
そうしていると、やがて時間が来たのか、荷物の積み込みを行ってくれていたカミラから声がかかる。
それを受け、船に乗り込もうとしていると、後ろから聞き慣れた声が響いてきた。
「リリ様~!」
「メアちゃん? どうしました?」
村の中でも特に妹のように可愛がっている幼い少女、メアに呼び止められ、リリィは足を止める。
全力で走って来たのか、息を切らせて肩で呼吸をするメアは、そんな自分の状態にも構わず、手に握りしめたそれをリリィに差し出した。
「これ、お守り! トーマスお爺ちゃんに教わって作ったの! リリ様にあげる!」
「これは……」
メアから渡されたのは、一輪の花で作られた押し花だった。
六つの花弁を持ち、土地によって赤、青、黄、緑、白、黒の六色のうちいずれかを色付かせることから、精霊教で敬われている六柱の大精霊になぞらえ、“精霊花”などと呼ばれている花だ。
色によって花言葉が変わることでも知られているのだが、メアから渡された精霊花は緑色。そこに込められた意味は――“永遠の絆”、そして、“再会の約束”だ。
「リリ様のお名前、緑の精霊リリーナ様から取ったって聞いたの。だから、お守りにいいかなって!」
「メアちゃん……ふふ、ありがとうございます、大事にしますね」
そうした花の持つ意味を、メアは知らないのだろう。だが、リリィのために何がいいのか、一生懸命考えてくれたのだと思うと、不覚にも泣きそうになってしまった。
――カーン、カーン、カーン。
「あっと、いけない。よいしょっと!」
そうしていると、出港の合図を示す鐘が鳴り、リリィは慌てて船へと飛び移る。
すると、リリィが乗り込むのを待っていたかのように、船はそのまま桟橋を離れ、川の流れに従って下流に向けて進みだした。
「みんな、元気でねー!!」
大きく手を振って、見送りに来てくれた人達へ笑顔を見せる。
そう、これは転生した時のような、永遠の別れではない。
学園でたくさんのことを学んで、そうしてまたここに戻って来る。
だからこそ、メアから貰った押し花を握り絞めながら、リリィは精一杯大きな声で、その言葉を叫んだ。
「――行ってきます!!」
こうして、リリィはアースランド領を旅立った。
新たな舞台、ストランド王国の王都――フォンタニエへと。




