第七十三話 空穿つ炎の華
先ほど見せた、マリアベルの目。
自分に対して卑屈になり、全てを諦めるのとは違う、決意を宿した瞳を思い返しながら、リリィは思う。
(マリアベルさんは、やっぱり凄いですね)
気弱で優しく、人を騙したり、傷付けたりということに全く向いていない。彼女の姉であるモニカはそう語り、リリィ自身もそれに関しては同じ意見だったのだが、実際にはどうだ。
全身が震えて動けなくなるような恐怖に苛まれながら、それでも立ち上がり、武器を取れる心の強さを隠し持っていた。
(いえ、きっと最初から……そうだったんでしょうね)
セヴァンは、マリアベルが魔法を使えないせいで、スクエア家の関係者らの彼女に対する風当たりが強かったと語っていた。
先の見えない研究の中、味方と呼べる味方もなく、たった一人で抗い続ける。それは、生半可な覚悟で出来ることではない。
マリアベルは、最初から誰よりも強い心を持っていたのだ。
(……マリアベルさんが作ってくれた道、無駄にはしません!! 早く倒して、戻らないと!!)
だが、どれだけ心が強くとも、彼女には制約が多い。
一つ目は、使える魔法が《星花火》一つしかないということ。
これに関してはリリィも大差ないのだが、攻撃魔法しか使えないということは、相手の攻撃を防御する手段を持たないということだ。
強化魔法の魔道具も持っていないのだから、受けに回ればすぐに打ち負けてしまう。
もう一つは、あの魔道具の特性上、威力の加減が効かないということだ。
そのせいで本来の魔導士のように、状況に応じて威力を調整し、ペース配分を変えるということが出来ない。
今回は、演出目的ということで威力が高めに設定されているのだが、そのせいでマリアベルは、魔法を放つたびに全力で魔力を絞り取られてしまう。
ルルーシュが設定した、あの魔道具でマリアベルが安全に魔法を使える上限は――一日、六発。
披露する時に三発、今一発使ったので、残るは二発しかない。
(マリアベルさんが力尽きる前に!!)
リリィ自身も大概ボロボロだが、強化魔法のお陰で傷は最小限、見た目ほど深い傷はない。疲労は無視出来ないが、それでもまだまだ動ける。
空の敵を無視出来るのなら、後はどうにでもなる。マリアベルの邪魔になるために魔力嵐は使えないが、元々距離を置かれるようになった時点で当てにしていない。
これならば、と考えるリリィだったが、そんなことは、当然敵も理解していた。
「させると思うかい?」
手近な男を一人薙ぎ倒したリリィの背に、魔法を放とうと魔王崇拝者は上空から杖を向ける。
しかし、その動きは地上から放たれた閃光によって中断された。
「ちぃ!」
相当量の魔力が込められた、強力な攻撃魔法。
あまり速度はないので避けるのは難しくないが、真っ向から魔法をぶつけても押し負けるほどの威力はとても無視出来ない。
辛うじて身を捻って回避しながら、忌々しげにマリアベルを睨む。
「おのれ、一撃入れたからと調子に乗りやがって……!!」
思うようにいかない苛立ちが、元々不安定だった彼の精神を揺さぶり、口調が安定しない。
本来なら、今頃は偽装のための隠蔽魔法で隠れながら、とっくに侯爵領を出ているはずだったのだ。
魔導城から遠く離れた街の外れだからこそこうして暴れていられるが、それもいつまでもつか。
「生きてさえいればそれでいい、腕の一本や二本吹き飛んでも、恨まないでくださいねえ!!」
崇拝者の男は杖を乱暴に振るって魔法を発動し、無数の風が刃となってマリアベルを襲う。
しかし、リリィによってまた一人仲間が倒され、焦ったのか。その狙いは甘く、ほとんど動けなかったにも拘わらずマリアベルには当たらなかった。
代わりに、すぐ近くに着弾した魔法の余波で小さな体が巻き上げられ、木の葉のように吹き飛んでしまう。
「きゃあ! う、うぅ……!」
それでも、マリアベルは歯を食いしばって涙を堪え、魔道具のレバーを引きながら体を起こす。
リリィが更に一人を木剣で打ち倒したが、地上の敵はまだ一人残っている。もう少しだけ、時間を稼がなければならない。
いや。
(この空を守るのは、私達姉妹の役目です。絶対に、私がこの手で撃ち落とさないと……!)
そもそも、リリィの剣は空まで届かない。
魔法を撃てば話は別だが、その間は完全な無防備になってしまうため、魔力嵐で相手の魔法発動だけを一方的に妨害でもするか、真っ向から魔法の火力戦を挑まれでもしない限り、実戦ではあまり使えない。
そうした事情を、マリアベルはあまり詳しく知っているわけではないが、あの男を空から引きずり落とす必要があることは分かっている。
(どうすれば、あの人に攻撃を当てられる……?)
魔法を撃てるのは、あと一発。無理をすれば更にもう一発撃てるかもしれないが、どちらにせよもう無駄撃ちは出来ない。
考えて、考えて、考えて。
悠長に考える時間も惜しい中、それでも頭をフル回転させて考え抜き、そうして思いついたのは、単純明快な回答だった。
ただし、あまり歓迎したくない部類の。
(……リリアナさんの思考が移ったんでしょうか?)
たった一週間。自分でそう言いながらも、案外自分の中でさえ、リリィの存在は大きなものになっていたらしい。
それを自覚し、小さく笑みを零しながら、マリアベルは男に魔道具を向ける。
「リリアナさんに手出しはさせません。やるなら、私を倒してからにするんですね……!」
精一杯の虚勢を張り、震える声で宣言する。
事実、今の状態で男がリリィへの攻撃に意識を向ければ、マリアベルの魔法がそこをすぐさま叩ける位置にいる以上、リリィを倒したければマリアベルを先に排除ないし無力化するしかない。
果たして、男はどう動くのか。
高鳴る心臓を抑えながら、マリアベルがじっとその様子を観察していると……。
「くははは……全く、腰抜け貴族が、少し有利になったからとすぐに尊大な態度を取る……本当に、気に食わない」
男は、頭を抱えて笑い出した。
こちらを嘲笑うかのような態度に、流石に少々不快感を覚えるマリアベルだったが、油断せず、じっと男の目を見つめ続ける。
「我々の目的は、あくまで君だ。忘れたのかい? つまり、僕らは何も、そこのアースランド令嬢を倒す必要なんてない。たとえば……」
そう言って、男が一直線にマリアベルの方へと吶喊してきた。
マリアベルの願った通りに。
「ここで貴様を攫い、私だけ飛行魔法で離脱することだって出来るんだよォ!!」
倒れた仲間を見捨てるような発言に、マリアベルの心は子供らしい純粋さでもって怒りを覚える。
そんな感情を今は押し殺し、迫る男を冷静に目で追った。
(チャンスは一度です、絶対に外しません!!)
凶笑を上げる男の顔が刻一刻と迫る度、心臓がうるさいほどにバクバクと鳴り響く。
早く魔法を放って追い払いたいという衝動が指先を振るわせるが、それをどうにか意思の力でねじ伏せて、必中必殺の距離まで引き付ける。
「喰らえええええ!!」
気絶させるつもりなのか、それとももうとっくに理性を失って、殺すつもりで構えているのか。
杖の先に魔力を収束させ、男が目前まで迫った瞬間――ついに、マリアベルは引き金を引く。
完全制御術式によって放たれた最大威力の魔法が男の体を捉え、爆炎の華を地上に咲かせる。
その炎には、マリアベル自身も巻き込まれた。
「ぐあぁぁぁぁ!?」
「きゃああああ!!」
直撃したのは男で、マリアベルはまだ多少なりと距離があったとはいえ、生半可な攻撃魔法すら弾き返す威力がすぐ目の前で爆ぜてはひとたまりもない。
小さな体がボールのように弾き飛ばされ、壁にぶつかって力なく地面に横たわる。
だが、これで。
そう確信を抱いたマリアベルは、爆炎で舞い上がった土煙が晴れていくのを見て……。
「そん、な……」
そう、絶望の声を上げた。
「く、くふふ……あまり僕を、神の僕たる我らを甘く見ないで貰いたいね」
男は、まだしっかりと立っていた。
体も服もボロボロで、所々に火傷はあるが、それは先ほどの攻撃で負った物。新しい怪我は見当たらない。
「先ほどは不意を打たれましたが、全力で正面に防御の魔法を集中させれば、一撃耐えるくらいは出来るんですよぉ……貴女が私に、直撃弾を当てたがっていることは分かっていましたからね」
つまり、先ほどマリアベルに向けていた杖は、攻撃のためではなく、防御のための魔法だった。
自爆紛いの攻撃すら読まれていたと知り、マリアベルは愕然とする。
「さて、もう動けないでしょう? 大人しく付いて来てもらいますよ」
男はそう言って、倒れていたマリアベルの体を無造作に抱え上げる。
ピクリとも抵抗しないその様子を見れば、もはや体力も魔力も限界なのだろう。にも拘わらず、唯一の武器である魔道具を手放さない姿を見て、忌まわしげに舌打ちを零しながらそれを奪おうとして……。
「マリアベルさんを離してッ!!」
最後の一人を打ち倒したリリィが、魔力嵐を全開にして迫って来るのを見て、慌てて飛行魔法で空へと舞い上がった。
魔力嵐の妨害のせいで速度は鈍り、風に舞い上げられた紙くずのように不安定な動きではあるが、男はどうにかリリィの剣を躱すことに成功する。
全てを破壊するリリィの剣も、空振ってしまえばただの木剣だ。男には何の痛痒も与えられなかった。
「っ……!! 逃げるな、私と戦え!! マリアベルさんを返して!!」
「はははは!! そんなことを言われて誰が素直に戦うか。悪いがもう時間がない、僕は帰らせて貰う。何、心配するな、今回は無理だったが、君のこともいずれは手に入れてやる。この娘の血もそうだが、その凄まじい量と密度を持った漆黒の魔力、我らが神に捧げる供物として、これ以上ない逸材だ!! 精々首を洗って待っているといい!! くははははは!!」
空へと逃げ延びて安堵したのか、先ほどまでの忌まわしげに歪んだ表情は鳴りを潜め、愉しくて仕方ないとばかりに笑い続ける。
だからこそ。
――ガシャンッ!
その音が聞こえた時、男は自らの耳を疑った。
「は……?」
既に力尽き、指一本動かせないだろうと思っていたマリアベル。
彼女が再び魔道具のレバーを引き、その先端を男の体に突き付けていたのだ。
「……先ほど、あなたは言っていましたね……貴族は、民のために身を捧げる存在だと……」
息も絶え絶えに、マリアベルは言葉を重ねる。
もはや、そこにいるのは先ほどまでの、ただ怯えて縮こまることしか出来なかった幼い少女ではない。
「もう一度、言います……ここは、スクエア家の空です。民を守る意思なきあなたが飛んでいい場所じゃありません……あなたは、ここで墜とします……!!」
覚悟を持って何かを為そうとする、一人の魔導士だった。
「ま、待て……やめっ……!」
「待ちません。これで……終わりです!!」
「マリアベルさん!? だめぇぇ!!」
男と、リリィまでもが焦った声色で叫ぶが、マリアベルは構わず引き金を引く。
残る魔力の全てを賭けた一撃は、今度こそ確実に男の体を捉え、爆炎と共に地上へと叩き落とした。
当然、マリアベル諸共。
(これで……私にも、守れたかな? ……お姉様……)
男と違い、防護魔法の一つもかけていない体で、あの魔法を零距離射撃したのだ。自分が無事で済むわけがないと、最期のつもりでそう心の中で呟く。
しかし。
「……あれ?」
一向に自分の体が地上へ落ちて行かないことに。そして、それ以前にあれだけの爆発の中にあって擦り傷一つ負っていないという事実に気付き、慌てて自分の身に起こったことを確認する。
「これって……」
すると、マリアベルを守るように、周囲を風が渦巻いていた。
その風が爆炎を逸らすと同時に、マリアベルが地上へ落下しないよう、その場に留めているらしい。
この魔法の名は、《風の揺り籠》。
父・セヴァンが、人命救助のためによく使う魔法だった。
「……全く、無茶し過ぎよ、マリア」
「あ……お姉様!?」
そして、自分のすぐ後ろに、たった今思い浮かべていた姉がいることに気が付き、慌てて体の向きを変えようとするのだが、周りにあるのはただの風だ、いくら手足を動かそうと、術者でもない身で自由は効かない。
やれやれと、モニカが杖を振るって体の向きを変えてくれたことでようやくそれを思い出し、マリアベルは恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「その……お姉様、助けに来てくださったんですか?」
「ええ、どうやら、必要なかったみたいだけどね」
「どうして、ここが……」
「“空から一望すれば、困っている人もすぐに分かる”……お父様の言葉は、本当だったわね。あなたの魔法、お城からでもはっきりと見えたわ」
「あ……」
思い出深い父の言葉に、マリアベルもまた何か話さなければと口を開くのだが、それよりも早くモニカの表情が険しくなった。
「……あの男、しぶといわね。また動き出したわ」
「え!? そんな、あれでも……!?」
「まあ、あの状態では魔法もロクに使えないでしょうし、大丈夫でしょう。アースランドの子が向かったから、あなたは休んでなさい」
「リリアナさんが……分かり、ました……」
あの男は既に、翼を失った。
なら、後はリリィが何とかしてくれる。
そんな信頼と共に、マリアベルは体の力を抜き、姉の揺り籠に身を委ねるのだった。




