第七十話 黒魔の剣
「う~ん……はっ、ここは!?」
ガタンゴトンと揺れ動く暗い部屋の中、リリィは目を覚ました。
何か手錠のような物で固定されているのか、手も足も自由に動かず、寝返りを打つのが精一杯の状態で、なんとか周囲を見渡せば、すぐ近くで同じように床に転がされているマリアベルの姿を見つける。
「マリアベルさん、マリアベルさん!」
「う、うーん……リリアナ、さん……?」
「はい、リリアナです、大丈夫ですか?」
もぞもぞと、芋虫のように這いずって傍に寄ると、マリアベルは薄らと目を開ける。
そして、しばし目を瞬かせ、徐々に意識がハッキリしてくると……自分の身に何が起きたのか思い出したのか、瞳の奥からじわりと涙が滲み始めた。
「り、リリアナさん……私達、一体何が……? ここは、何処なんですか……?」
「多分、馬車の中なんだと思います。すみません、私の不注意で捕まってしまって……」
城に襲撃があった時、使用人と思しき男について行った二人だが、「ここなら安全だから」と案内された部屋に入った途端、中に潜んでいた他の誰かによって《睡眠》の魔法をかけられ、そのまま意識を失ってしまったのだ。
その場で殺されなかっただけマシではあるのだが、この状況では喜んでばかりもいられない。
もし本当に馬車で運ばれているのなら、このままでは見知らぬ土地に売り飛ばされるか、家族に身代金を要求されるか。
どちらにせよ、テロ行為までして事に及ぶような誘拐犯相手に、捕まっている人間の人道的な扱いなど期待するだけ無駄だろう。どうにか脱出しなければ。
「そ、そんな……私、せっかく魔法が使えるようになったのに……こんな……!」
「落ち着いてください。大丈夫です、マリアベルさんのことは、私が必ず守ってみせます」
安心させるように、にこりと力強い笑みを浮かべるリリィ。
それを見て、何事かを言いかけるマリアベルだったが、結局は一度口を閉じると、「はい」と小さく頷きを返した。
「さて、まずはここから抜け出さないとですね。状況は……」
先ほどは焦って失敗してしまったが、もう同じ轍は踏まないと、リリィは深く深呼吸して心を落ち着けて、周囲の音に耳を澄ませる。
激しい馬の蹄の音、車内が相当揺れていることから察するにかなりの勢いで走っていると思われるが、人の悲鳴や怒声などは聞こえて来ない。恐らく、裏道か何か、人気のない道を進んでいるのだろう。
それに加えて聞こえてくる、魔法の音。一人ではなく、複数人の魔力が入り混じったような感覚。
そうした情報を、頭の中で整理していく。
「……三人、ですかね。最低でもそれだけいます。ただ、魔法を使っている人数だけしか数えていないので、御者の人や、馬を二人乗りして魔法を使う人と手綱を握る人で分担していた場合を考えると、倍になるかもしれません」
「六人……」
その数を聞いて、マリアベルは顔を青褪めさせる。
確かに、こちらにいるのはたった二人、人数差を考えれば絶望的とも言える数字だが、ここはスクエア侯爵領。誘拐犯にとっては敵地に他ならず、ある程度抵抗出来るということを見せつつカロッゾ達に現在地を知らせることさえ出来れば、相手の方が諦めてくれる可能性は高い。
「大丈夫です、任せてください」
しかし、リリィの頭の中には、そんな他力本願な作戦など微塵もなく、自力でどうにかしてやると息巻いていた。
いっそ、二年前からずっと思い描いて訓練を重ね、マリアベルの魔道具によって完成を見た戦い方を試す時だとさえ思っている。
(これくらいどうにか出来ないと、アースランド領は守れませんからね!)
リリィが思い出すのは、この二年間で成人した他家の男子すら圧倒する力を付け、更に上を目指すべく学園に向かった兄の姿。
彼でさえ、アースランド領ではまだ魔物退治への同行を許されていなかったのだから、正式な軍人や騎士ですらないただの誘拐犯程度、あっさり仕留められるようでなければ話にならないのだ。
……攻撃魔法を扱う賊がただの誘拐犯であるはずがないのだが、リリィの中にある認識では、ユリウスとて八歳の時に使えていたのだから、大人であれば使えてもそれほど不思議はないだろう、という程度に留まっている。
世界を知らない引きこもり令嬢にとっては、自らの家の常識が全て。なまじ周囲に規格外がいたために、敵の強さを正確に認識できないでいた。
「まずは、この手錠を外さないと……って、あれ? なんだか魔力が上手く通せませんね」
ひとまずは邪魔な手錠を壊そうと魔力を込めるのだが、思うように出来ない。
どうしてだろうかと首を傾げるリリィに、マリアベルが沈んだ表情のまま告げた。
「その手枷、対魔導士用の魔力封じの腕輪です……魔力を通さない"絶魔石"という特殊な鉱石で出来ていて、それには周囲の魔力の動きを阻害する効果もあるんです。これを自力で外すのは、無理じゃないかと……」
「へ~、そんなものがあるんですか。知りませんでした」
マリアベルの説明を受けて、リリィはほうほうと何度も頷く。
確かに、魔導士にとって手足を封じられるなど、大した意味はない。その気になれば口一つ、何なら魔力を放出するだけで魔法を発動出来るのだから、それを封じ込める手段が存在してもおかしくはないだろう。
ただ、と、リリィは考える。
そんなものがありながら、今までカタリナは一度もそんなことを口にしなかった。
魔力を封じ込める枷など、それが本当ならリリィの魔力暴走すら抑え込めそうなものなのに、だ。
訓練のためには邪魔だった? 確かにそれもあるのかもしれない。しかし、リリィは別の可能性を考えた。
――この魔道具で、本当に自分の魔力を抑えられるのだろうか? と。
「まあ、きっと大丈夫です! これくらい、ぶち破ってやります!」
「えっ」
そんな考えの下、リリィは自らの手枷に改めて魔力を込め始める。
驚くマリアベルを余所に、自分なら出来るはずだという根拠のない確信と共に、いつもより言うことを効かない魔力を叱咤する。
すると徐々にだが、リリィの中に眠る魔力が、魔道具の効果を上回り始めた。
「ふぅ、んっ、んん……! とりゃああああ!!」
電気を通さないとされる絶縁体もそうだが、その実態は単に通しにくいというだけであり、落雷のように規格外の電力を前にしては大して意味を為さない。
それと同じく、自然界で最大最強の魔力を誇る竜にすら例えられたリリィの力を抑え込むには、絶魔石の枷程度ではあまりにも脆弱だった。
氾濫する河川の如き勢いで手枷に流し込まれていく魔力によって、驚くほどあっさりとその限界を超え……。
バキィィィン!!
魔力を通さないはずの絶魔石諸共その構成を破壊し、粉々に打ち砕いた。
「えっ……えぇ……!?」
「うん、やっぱり大したことありませんでしたね、これくらいならいくつ来ようが物の数じゃありません。さて、それじゃあマリアベルさんのも壊しますね」
「えぇと……は、はい……分かりました……」
一度やったことで慣れたのか、足枷を破壊しながらリリィが言うと、マリアベルは呆然としながらもその手を差し出す。
手足を戒める枷を、まるで砂糖菓子か何かのようにパキパキと破壊し終えると、リリィは胸からぶら下がった魔水晶を、腰の魔道具にセットする。
「それじゃあマリアベルさん、逃げましょうか」
「は、はい……」
強化魔法が発動し、全身に力が漲るのを感じながら、リリィは未だ呆然としたままのマリアベルをそっと抱き上げる。
出来れば、彼女自身にも強化魔法を使って貰いたかったのだが、魔法の披露には必要なかったためか、持ち歩いていなかったらしい。
まあ、リリィにとっては特に問題はないのだが。
「お前達、さっきから何を騒いで……って、手枷が外れている!? いつの間に!?」
すると、遅まきながら馬車の中で起きている異常に気が付いた御者台の男が、ぎょっとした目でリリィを見る。
それに対し、リリィはにこりと笑顔を浮かべると。
「すみません、お父様達が心配するので、私達は帰らせていただきますね。それでは!」
そう言って、馬車の荷台を蹴破り、リリィは外に飛び出す。
着地の勢いを強化魔法で上がった筋力で無理矢理殺し、マリアベルを抱えたまま走りだす。
「お、お前達、追え!! 逃がすな!! それから、リーダーにも連絡だ!!」
慌てて馬を止め、方向転換しようと四苦八苦する誘拐犯の男達の声を聞きながら、リリィは改めて周囲を見渡す。
(あの人達の人数は……五人ですか、まあ、予想通りですね。ただ、ここはどこでしょう?)
黒いローブで身を包んだ、顔の見えない不審な誘拐犯達。
彼らはしばしの時間そこで立ち往生するから大丈夫だろうが、それ以前に今自分のいる現在地が全く分からない。
どこかの裏路地ということは分かるのだが、ただでさえ普段から薄暗いであろう場所を月明かりだけで走破するには、あまりにも土地勘が無さ過ぎた。
「マリアベルさん、ここがどこだか分かりますか?」
「え、ええと……すみません、分からないです。私、普段あまり城の外に出ないものですから……」
「まあ、普段から出歩いてたとしても、こんな路地裏は通らないでしょうしね。仕方ないですよ」
落ち込むマリアベルをそう言ってフォローしながら、リリィはひたすらに走る。
どうやら、男達も方向転換を終えたようで、馬を使って全力で追いかけて来た。
「流石に、強化魔法があっても馬には勝てないですね……お兄様やお父様なら別なんでしょうけど」
徐々に距離が詰まってきているのを見て、リリィは表情を強張らせる。
とはいえ、まさか足を止めるわけにはいかないので走り続けるのだが、ふと、追ってくる馬が一頭しかいないことに気が付いた。
(あれ? 馬車を引くのに使っていた馬は仕方ないにしても、もう一頭いたはず……?)
「いたぞ!!」
そこまで考えたところで、正面から怒声のような声が響く。
慌てて顔を向ければ、そこにはたった今探していたもう一頭の馬に乗った誘拐犯がいた。
『炎の精よ、灼熱の業火となりて我が敵を焼き払え! 《火球》!!』
「っ!?」
「きゃあ!?」
躊躇なく放たれた攻撃魔法を見るなり、リリィはマリアベルを抱えたまま咄嗟に近くの路地へと飛び込む。
何とか避け切れたと安堵するも、男達は足を止めることなく追って来る。
「むむむ、しつこいですね」
「り、リリアナさん、私のことは、もう、置いて行ってもいいです、から……!」
「あんまり喋ってると舌噛みますよ! 今はとにかく、私に任せてください!」
バカなことを言うマリアベルに叫び返し、とにかくひたすらに走る。
しかし、そんな逃走劇も長くは続かなかった。
「っ! 行き止まり……!」
「そんな……!」
慣れない裏路地を走り回ったため、完全な袋小路に迷い込み、足を止めざるを得なくなる。
そんな二人に、男達はすぐに追いついた。
「ふぅ、手間を取らせてくれる……だが、もう逃げられないぞ。諦めて、大人しく我々について来るのだな」
二頭の馬に分乗していた四人の男が地面に降り立ち、二人に杖を向ける。
そんな彼らの言葉を聞いて、リリィは首を横に振る。
「お断りします。そういうセリフは、私を倒してから言ってください!」
腰から木剣を抜き放ち、不敵な笑みさえ浮かべてみせる。
そんなリリィに、男達はバカにしたように笑い出す。
「ははは! この状況でよくそんなことが言えるものだ……薄汚い貴族風情が、舐めるなよッ!!」
突如激昂した男に合わせ、周りにいた男達からも魔力の燐光が迸る。
「やれ!! 必要なのは、上級貴族の血を引く小娘一人だけだ! 成り上がり貴族など死んでも構わん!!」
「り、リリアナさん!!」
その叫びに応えるように、男達は魔力を杖へと流し込み、そこに刻まれた魔法陣を使って魔法を発動しようとする。
マリアベルの悲痛な叫び声を聞きながら、それでもリリィは恐れることなく手を掲げ……一言。
「《魔力嵐》」
その瞬間、リリィを中心に莫大な魔力が渦を巻く。
マリアベルには感じ取れない、その暴力的なまでに荒れ狂う不可視のエネルギーは、路地という閉鎖空間も相まって一瞬のうちに男達を飲み込み、今まさに発動されようとしていた魔法にさえ影響を及ぼす。
「な、なんだ!? この魔力は……!!」
「俺の魔力が、乱されてッ! くっ、魔法が上手く使えません!!」
動揺する男達を前に、リリィだけは何の支障もなく魔法を使う。
魔道具による強化魔法に加え、木剣に注ぎ込まれた魔力が防護魔法を発動し、その強度を限界まで高めると共に、限界を超えて溢れ出した魔力が周囲の空気と反応し、バチバチと漆黒の火花を散らす。
「よいしょっ」
とん、と。
男達のうち、もっとも先頭に立っていた人物の下へ一瞬で距離を詰めたリリィが、木剣で男の腹を軽く小突く。
ただ、それだけで。
「ぐ……あっ……」
ドサリ、と。
男は地面に倒れ、泡を噴いて気絶した。
「な、なんだ……?」
「今、何をしたんだ……?」
マリアベルの方に軽く飛び退き、距離を置くリリィ。
しかし、男達は動けない。
僅か七歳の、たった一人の少女を前に、大の男達が恐れ慄いていた。
「私の名は、リリアナ・アースランド!! “黄金騎士”、カロッゾ・アースランドの娘です!!」
そんな彼らに向けて、リリィは高らかに名乗りを上げる。
迸る魔力の渦の中心で、黒雷纏う剣を突きつけながら、断固たる意志を言葉にする。
「お父様の名に懸けて……マリアベルさんには、指一本触れさせません!!」
ようやくリリィが少しは主人公らしく(?)




